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「うれしい」は好きのきっかけ

今日、運転しながらラジオを聞いていたら、視聴者からの投稿でを紹介するコーナーで、こんな話が流れてきた。

自分は小学生のころ、背も小さく身体も細く、運動も勉強もイマイチで、自分に自信がなかった。
ところが、小学校時代に出会ったおばあちゃん先生が、絵をほめてくれた。
その体験から自信を持てるようになり、ますます絵を描くように。
そしていまは漫画家として活動している。

なんせ運転しながら聞いていたので、細部は聞き逃しているかもしれないけれど、そんな話だったと思う。
親以外の大人からの率直なほめ言葉って受け入れられやすいし、影響が大きいよね、という感想でまとめられたのだけれど、なんだかわかる気がした。

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高校時代に好きだった、現国のるり子先生。
「るり子」っていう名前もちょっとすてきだったけれど、なんといっても先生のたたずまいが格好良かった。
ちょっとクラシカルなファッションで、肩までの真っすぐな黒髪。
いつもシャキッとヒールを履いて、凛としていて。
低い声で、しずかに、でもよく通る声で話した。
その、浮ついた高校生など近寄らせない雰囲気に、格好いいなぁと思いつつ、話しかけることは最後までできなかった。

ある日、るり子先生の授業で、芥川龍之介の「蜜柑」の感想を書くよう指示があった。
しかし授業の終了まで時間があまりない。
なんとなく感覚だけで、日記を書くようにサラサラと書き終えて提出をしたのだけれど、それが、年度ごとに発行される文集の中におさめられていた。

特に練った文章でもなくて、いつも書いていた(誰にも見せられない!)日記に書くように、わーーっと書いた文章。
あ、こういう文章でも「あり」なんだ。
それはちょっと気恥しいような、でもなんだか嬉しいような、不思議な感覚。
誰にも見せなかった、自分の中にこっそりしまい込んでいたものを、急に明るい場所で公開したような。

でも、それが掲載されたのは素直に嬉しかった。
そして、それを選んでくれたのがるり子先生だったということも、なんだか嬉しかったし、ちょっと誇らしい気がした。

決してうまくはなかったその文章だけれど、そんなちょっとした「うれしい」から、文章を書くことが好きになった気がする。

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今だって、特にうまい文章は書けないし、きちんと内容を組み立てて書くことは苦手だけれど、やっぱり文章を書くのは楽しい。
そう思えるのは、ちょっとした「うれしい」の産物なのかもしれないなぁ。

私自身も、誰かにそんな「うれしい」をおすそわけしていきたい。
まずは身近な人たちに、じゃんじゃん伝えていこう。
そしたらきっと、私自身もうれしくなれるかもしれない。
そんな邪念を、ほんのりと持ちつつ。笑

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