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川上未映子の『夏物語』をどう読むか⑩ 次の選択肢から正しいものを選べ

 流石に鼻についてきたこの章タイトルのスタイルは『水滸伝』や『特性のない男』の影響ではなく、村上春樹が『羊をめぐる冒険』以来駆使する章タイトルのやり方を真似たものであろう。『水滸伝』では「双林渡にて燕青雁を射る」「湧金門にて張順神を帰す」などとその章で起こることを総括したようなタイトルが用いられる。『特性のない男』はちょいとすかして「似たようなことが起こる」「愛の千年王国のなかへ(犯罪者たち)」と事前には解らぬが事後何となく、ああそういうことかという仄めかしのようなタイトルが付けられる。村上春樹の場合はそのあわいのような、すかしたような真面目のようなタイトルが用いられる。

 そういう意味で言えば「小さな花をよせあって」は事後もぼんやりした感じで、中身とのつながりが見えなかった。では「次の選択肢の中から正しいものを選べ」はどうだろうか。タイトルとしては奇抜だが、読者を惑わせずに済む仕掛けだ。

 選択肢とは?

 まずそんな問いが与えられている。

 子供を産む、産まない。

 知らない相手の精子を自分の中に入れる、入れない。

 どのサイトから精子提供者を探す?

 そんな選択肢の中で、もはや男性は完全に人格を喪失し、「精子提供者」あるいはそんなルーツを欠いた「精子そのもの」あるいは「精子の情報」にされてしまう。もう生身のみっともない男たちはまとめてお払い箱だ。

 そのうちどれが、じっさいのこの自分に関係することなのだろう。
 このなかで、わたしの現実につながるものが、あるのだろうか。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 今は「精子の情報」であったとして、それが現実に繋がるときには生々しい精子として現れなければならない。平気で精子を飲み込めるというタイプの人がいることも間違いなかろうが、そして自分には起こりえないことだとして、物体としての他人の精子という、肉体から切り離されたそのものは、私にとってはただ「ばっちいもの」であり、それを自分の体の中に入れることなどとても考えられない。あるいはここで論われている精子が自分とは無関係なものであるにせよ、人格から切り離された精子というものが何か酷く侮蔑的な印象を与える。

 むりむり。知らない男から精子をもらって、子どもを産む? そんなこと無理に決まってる。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 しかしこんな男にも解りやすい、男を安心させるような理性ではないものを夏目夏子が持つていることもまた事実なのだ。

 理性では拒否しているにもかかわらず、夏子は子供を産んで良かったと語った女性の「この子に会えて本当に良かったです」という言葉が忘れられない。

 さて、季節が夏から秋に進み、夏子は長編小説を書き続けている。ふと電話をみると仙川涼子の着信履歴が残っていたので折り返してみる。要件は頼んでいた資料の件だった。しかし話は脱線して、ある文学賞の二次会か三次会で涼子が年配の女性作家に顔面を張られたという話になる。それでもその後も普通に会うのだという。

 このエピソードに何か意味があるのかというと、おそらく

 作品の話もしてたしね—作家にとってはいちばん大事な領域のことだから

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 こんなところにあるのではなかろうか。つまり夏子を罵倒したあの男性編集者とはまた違ったスタイルながら、あるいはもっと核心を突くような感じで、仙川涼子は児童文学とファンタジーの間の作風で知られる年配の作家の一番痛いところをえぐってきたのではあるまいか。

 そして仙川涼子はいつか同じことを夏目夏子にして来るよということなのではなかろうか。

 夏子の意識は仙川涼子との会話を離れ、偶然に自分が精子提供によって生まれた子供だと知ってしまった男性のインタビューに移る。彼は自分の身体的特徴である一重瞼、大きな体、長距離走が得意という情報から本当の父親を探している。その情報の頼りなさに、頼りない情報に縋るしかない男性に夏子は胸が締め付けられる。

 読者はそこでふと、父親の責任に一切意識が及ばなかった緑子のことを思いだしてみるべきなのだろう。自分の半分のルーツ、つまり精子の情報でも精子そのものでもなく、その提供者でもなく、肉体と肉体をぶつけあって自分を拵えた人間としての男性という生き物を突き止めること、そんな自然な感情が何故か緑子にはみられなかったことがここで比較されているわけだ。

 仙川涼子との話は続いていた。仙台に一泊の取材旅行に行かないかと誘われる。まだ自社では売り上げもないのに豪勢なことだ。これは夏子がかなり見込まれていて、仙川涼子もやりてだということなのだろう。夏子はその取材の話は断る。引きこもるタイプのようだ。
 朗読会に誘われて電話は終わる。

・デンマーク精子バンク、ヴィルコメン
・子どものいない、人生

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 結局選択肢は二つに絞られている。あるいは仙台に取材旅行に行っていたなら、別の選択肢が生まれていたかもしれないのに。阿部和重のようにハンサムな小説家と出会い、たちまち恋に落ちていたかもしれないのに。

 しかし実は選択肢というのは常にそうした割り切りの中で成立しているものなのだ。ほかにも可能性がなくはないが、気が付かない。そして正解かどうかは別として夏子がどんな選択をするのかはもう決まっているような気がする。まだ読んでいないけど。何故ならそれは既に書かれていて、おそらくかわらないものなのだ。

 変わる?

 もしかしたらかなり低い確率でそんなことがあるのかもしれないけれど、私はそれが書き換えられたことにさえ気が付かないだろう。世界は自分の思った通りにはならない。
 



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