文字だと気がつかない 芥川龍之介の『誘惑』をどう読むか③
昨日は蝙蝠は人ではないかと書いた。蝙蝠がいた洞穴に「さん・せばすちあん」がいたことで、蝙蝠も「さん・せばすちあん」も両方怪しくなる仕掛けだ。蝙蝠がいた洞穴に石原さとみがいたら、やはり石原さとみも怪しくなる。あばれる君がいたら、まあ、そうかと思う。そのための「さん・せばすちあん」なのだ。
また猿が出てきた。気のせいだろうか。つい最近『猿』の話を読んだような気がする。
ふむ。先月末か。割と最近だな。
この猿たちはオオストラリアには猿がいなくて、ニホンザルの尻尾が短いことを知っているのだろうか。
おそらく何も知りはすまい。しかし芥川龍之介という作家がそれを知らない筈はない。何故芥川は存在しない猿たちを存在させようとするのか。
猿とは何なのか。
首席司教?
それにしても「影」を追って動きを伝えるのは、まるで「トムとジェリー」とか、ディズニーアニメの手法だな。
文字だけで書いているとなかなか思いつかない書き方だ。
それに昔の歌舞伎などの舞台は暗く、影で動きを見せる演技はなかった。
小説作品としては『影』という作品でもそれに近い技巧が駆使されているが、少なくとも映画以前にこの書き方がされていることは結構凄いことなんじゃなかろうか。
夏目漱石にもこういう書き方はなかったような……。
あるっちゃあるようにも思えるが……
この「影」はあくまで「姿」だな。
やはり影を動かすという手法は新しいのではないか。
矛盾、非現実。
結果的に猿は水兵の死の残酷さを消し去り、絵面をユーモラス活幻想的なものに変えた。
十字架の前で煙草を吸う「さん・せばすちあん」。洞穴でタバコを吸えばカマドウマがいぶされてぴょんぴょん跳ねるのではないか。それはゆるゆるの服を着ればお乳が見えそうになるのと同じ理屈である。
ところで『誘惑』とは、誰が何を誘惑?
ここで「さん・せばすちあん」の驚きの意味が解らないように、何故ウクライナの債務保証を日本がしなければならないのか私には解らない。「さん・せばすちあん」は明らかにおかしい。
猿は?
二匹の猿はどうなった?
猿は全部で何匹いる?
私には何も解らない。
これは傾城には見えない。
なるほど。
解ったぞ。
猿の正体は悪魔だな。「さん・せばすちあん」を煙草と酒とお菓子と女で誘惑するつもりだな。
だから「さん・せばすちあん」はつい煙草を吸い、パイプを投げつけたわけだ。猿はどんな人間の中にも忍び込み、私の本を買わないように仕向けるのか。
それは剣呑だ。直ぐこの本を買わねば。
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