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谷崎潤一郎の『熱風に吹かれて』を読む普通の小太りが、打たれる女を、友人から奪う   

※この本今だけ無料配布しているので、とりあえずダウンロードしてみてください。立ち読みでどこまで「読む」ことができるのか、「読む」とはどういうことなのか、そのあたりのことが比較的平明に、具体的に書けたんじゃないかと思っています。村上春樹さんの『一人称単数』に「は?」な人も「む?」な人も、「そういえば」「へー」と感じていただける筈です。おまけですが、ビートルズとの関係に関しては「ハッ‼」とすることも書いています。無料なので、とりあえず落としておいてください。★★★★★高評価よろしく。

https://twitter.com/WaleedAlshmmari/status/1504245081959804931


 これまで私は天皇批判をする谷崎、ドミナを引きずりおろす谷崎、コントを書く谷崎、サディストの視線を持つ谷崎など、おおよそこれまで語られてきた谷崎論の谷崎とは全く異質なものを語ってきた。
 それはまず『栄花物語』のテキスト内のキーワード検索により「億兆の國民」という表現が明かにおかしいと云う具体的かつ、誰にでも検証可能な指摘をすることから始まった。


 無論、ここにはどうしても疑惑が生じうる。私がこれまでに谷崎潤一郎の主要作品を既に読み終えていて、その上で「話をうまく拵えている」という疑惑である。
 私はこれまでさして熱心な谷崎潤一郎の読者ではなかったが、谷崎作品を読むのは初めてではない。谷崎について何も知らなかったわけではない。しかしそのことと、今回谷崎作品を読んでいくこととは、基本的に無関係だと考えている。これまでに読んできた作品はほぼ未読であり、私は今、これまでにないほど真面目に谷崎作品と向き合っているからだ。
 そのことはわざわざ語彙検索をかける、語彙の意味を一々確認するといった公開されている手法そのものから明らかであろう。なんとなくだらーんと読んで「私にはこうとしか感じられなかった」と「単なる想」を述べているのではないことは誰の目にもあきらかだろう。
 私の記憶が正しければ、この『熱風に吹かれて』も未読だった。読み終えて、二つの書き出しが浮かんだ。筋から始めようか、謎から始めようか、と迷ったのだ。
 筋から言えば、この小説は、友人の恋人を奪い取る話であり、谷崎潤一郎自身のその後の恋愛遍歴とどこか似ていると言えなくもない。まだ何もないとはいえ、いわゆる「姦通」という当時のモラル、いやあからさまな「罪」からは逸脱したテーマを持つ小説であったことについて述べることで始めようかという魂胆が浮かんだ。衣紋竹で打たれる肉づきの良い女を友人から奪い取るという混線を語り、谷崎のドミナの正体を探るのが一案。
 謎を問えば、これはいささか摘まみすぎになる。

「伊藤公がハルピンで殺された時にですね、あの時屍骸を露都まで送り届けてやつたら、果たしてどうでしたらうかねえ。」(谷崎潤一郎『熱風に吹かれて』)

 こうして不意に差し込まれ、死骸が腐るでしょうという冗談でかき消されてしまった疑問の謎は、明らかに主題とは乖離しながら、明確に政治的な批判らしきものを匂わせている。一旦こちらから真面目に考えようとしてみれば、たちまち手がかりを失う。まさかドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をあてこすっているとは言えまい。ごく普通に屍骸は腐るものだ。
 伊藤博文の暗殺者が安重根であったかどうかという謎にはおそらく答えがない。(併合強硬派による謀殺説などがある。室田義文首席随行員がおよそ30年後に話した舞台の真相によると、彼の肉に埋まっていた弾丸が安重根のブローニング7連発拳銃用のものではなく、フランス騎馬隊カービン銃用だったたなど。)伊藤博文が怪しい人物であることも間違いない。(虎の門事件で皇太子、後の昭和天皇を難波大助が狙撃した際に使用したステッキ仕込みの散弾銃は、そもそも伊藤博文がロンドンで入手したものだった。ステッキ仕込みの散弾銃は護身用としても、狩猟用としてもふさわしいものではなかろう。)ことは確かながら、伊東博文の死骸がロシアの首都に運ばれて居たらどうなったという問いの意図そのものにどうしても辿り着けないのだ。しかし谷崎はここに楔を打ち込んでいる。
 まるで谷崎は伊藤博文の遺骸に、何か重要な秘密があり、そのことがロシアに調べ上げられたら世界史が変わるのではないかと言わんばかりなのだ。しかし仮に伊藤博文が安重根らによって殺されたのではないとして、世界史が変わりうるだろうか。
 私はこの「伊藤公がハルピンで殺された時にですね、あの時屍骸を露都まで送り届けてやつたら、果たしてどうでしたらうかねえ。」という問いが冗談でたちまち閉じられたことに、繰り返し述べてきた谷崎の信用ならない部分が凝縮されているように思う。何か言いたげだが、尻尾を摑ませない。これは呑気な話題ではなく、伏せられるべきことだ、タブーなのだとわざわざ合図をしている。全裸にコートを着てほらっとしないおじさんのようだ。皇国史観に逆らい、足利尊氏が偉いなどと書く谷崎は、この作品に於いてもついつい政治批判的逸脱を避けられなかった。おそらくそれは谷崎潤一郎という作家の、本質的な一部分である筈なのに、上手く幻惑で躱している。
 何故死骸が意味を持つのか、その明確なロジックはつかめないが、ここで言われているのはおそらく、ロシアとの交渉はもつれ、日韓併合はならなかったのではないか、という疑問であろう。満州・朝鮮問題でロシアと話し合うために訪れた元韓国統監が、ハルピンで朝鮮人に暗殺されるというまことによくできた話が、そのまま受け取れるものでないことも確かである。
 それはいかにもできすぎている。
 伊藤博文の日韓併合に対する考えやスタンス、日韓併合のそもそもの流れについては、谷崎がこの『熱風に吹かれて』を書いた当時と、現在ではかなり感覚的なずれが生じている事だろう。伊藤は「日本は韓国を合併するの必要なし。韓国は自治を要す、と演説していた」という話もあり、日韓併合には懐疑的な立場であったともされている。事実は別として、仮に「伊藤博文は日韓併合強硬派によって消されたのではないか」と谷崎が勘繰ったのであれば、「伊藤公がハルピンで殺された時にですね、あの時屍骸を露都まで送り届けてやつたら、果たしてどうでしたらうかねえ。」という問いは強烈な皮肉を孕んでいる可能性がある。正確な検死により「弾丸が安重根のブローニング7連発拳銃用のものではなく、フランス騎馬隊カービン銃用だった」ことが明らかにされてしまえば、満州・朝鮮問題でロシアと話し合うために訪れた元韓国統監が、ハルピンで朝鮮人に暗殺されるというまことによくできた話が壊れてしまう。室田義文首席随行員がおよそ30年後に話した舞台の真相がその時明らかにされて居たらどうだろうと、大正二年にわざわざ問うことにどんな狙いがあるのかは分からない。明らかにこの謎は主題とは乖離しており、友人の女を奪うというストーリーに絡まる寓意も持たず、唐突である。
 実は私は『信西』において、谷崎がわざわざ平治の乱にこだわった理由について納得ができず、注釈も読みたくて『平治物語』を読んで見て、改めて「歴史」というのは解らないということだと感じた。信西はうまく始末され、平清盛と後白河院は逆「行って来い」というか、元に戻る。いや平家はそこからむしろ伸びるのだ。藤原信頼も処刑される。藤原道長を批判したかのような『誕生』と併せて読めば『信西』はやはり藤原信西を批判しているようにも読めてしまう。読めてしまうが、そもそも平治の乱がこんがらがり過ぎた事案なので何も確かなものはない。
 こうして何かを語ろうとしながら、決して理解されまいとする態度はどこか三島由紀夫に似て信用ならないのである。

 さて、余談が過ぎた。やはり『熱風に吹かれて』は英子という肉感的ではありながらも打たれる女を、小太りの玉置輝雄が友人から奪おうとするというストーリーの屈折にある。屈折ではあるが、ここにはささやかな理屈もある。衣紋竹で打たれる女に魅力があるとすれば、それは『少年』で縛められぐったりとする光子にも魅力があることになるからだ。
 英子は襟首が長く、目が細い。草双紙の絵にある様な輪郭が、現代風の鋭い理智の閃きを帯びて、鼻付きから口元から頬の肉まで凛々しく引き締まり、柔和なようでどこか利かぬ気らしい表情を持つ女であった。神々しくて近寄りがたい悽愴な趣を備えているのがふさわしいほどの美貌ながら、健康らしい血色と体格が、目鼻立ちの彫刻的な威厳を損して、親しみやすい感じがする。(親しみやすいドミナ?)束髪に結った耳朶の後ろの生え際などは、人を戦慄させるほど真っ白なのに、肌理の濃やかな白粉気のない顔の皮膚だけが微薫を帯びたが如くぽっと薄紅に染まっている。背が高く、脚が長く、腰の周りが小さい。肉づきのいい、体格のガッシリした伸び伸びと発達しつくした体つきで、弱弱しい風情は少しもない。音量が豊富で、胸の内部の力強さを思わせる。大腿骨が太い。
 体重は十五貫というから56.25キロ。輝雄が十七貫 63.75キロ。谷崎の身長156.5センチメートル で計算するとBMI26.03 で肥満度1となる。英子の身長は明らかではないが、やはりグラマラスに描かれていると捉えてよいだろう。
 久々に再開した友人(中學時代からの先輩、輝雄の家で一時同居していたことがある、新潟出身、英法科を志願するも成績不良で五高へ追いやられる)たる斎藤が、法科を出たのに往々歯の浮くようなセンチメンタルな感慨を述べて得々としていることを輝雄は片腹痛く思う。斎藤は法科を出たにも関わらず多重債務者で、借金で遊び惚けているダメ男だ。
 焼きもちを焼かれることの大嫌いな英子に、これまで斎藤は焼きもちを焼かなかった。これが斎藤の唯一感心なところだった。
 斎藤は自分の体に悪戯をされるのが嫌いで、逆に英子を打つ。シンプルにマゾッ氣はない。
 英子は海水浴で輝雄に言い放つ。

「玉置さん、何をして居らつしやるの。━━ まるでの土座衛門のやうだわね。」(谷崎潤一郎『熱風に吹かれて』)

 この一言だけで沼正三は歓喜するかもしれない。この世には「豚」と呼ばれるだけで興奮する男も存在するのだ。しかし、どうも話はそちら側には進まない。

「石鹸の廣告なら鬼瓦よりよツぽどよくつてよ。━━ それよりか今玉置さんが土座衛門の眞似をして居たから、もう少しで首ツ玉を摑んで潜らしてやらうと思つてたの。」(谷崎潤一郎『熱風に吹かれて』)

 こうサービスしてくれようという女王様に、輝雄はむしろ逆らってしまう。

「どうです諸君!」と、輝雄は大聲にら叫んだ。「三人がヽりで、お轉婆先生に水を飲ませようぢやありませんか。」
「よし來た、賛成々々!」 (谷崎潤一郎『熱風に吹かれて』)

 そうして男三人で海に逃げる英子を追いかける。輝雄は一人水中に身を潜めて女を追う。女の両足が蛇体のようにうねうねと鼻先を掠めて消えていく。無論手は触れない。どうも混線している。これでは普通の健全な助平である。

內省の、熱風に吹かれては、曩に髙評噴々たりし長篇にして快活なる女性を描的描寫く。


 と宣伝されている通りだ。
 

例へば『惡魔』とか、『惡魔續編』とか、『熱風に吹かれて』とか、『捨てられるまで』とか、『お艶殺し』とか、『お才と巳之介』とかは、病的傾向、惡魔主義的傾向を著しく帶びてゐる。


 と評されているが、輝雄は少しも病的ではない。普通の青年だ。日本文学大辞典でもこれを「異常なる美」というが、これを異常とか病的とか悪魔的という感覚はさすがに違うのではないか。健康的ですらりとした美人、明るく人懐こい、そんな女に惚れる男のどこが異常なのか。女に海に沈められることを喜ぶのではなく、水着の女を追いまわし、水中で女の足を見る男のどこが病的なのか。みな『刺青』や『惡魔』『續惡魔』のロジックを捉えきれないまま、勝手に悪魔的なるイメージを振りかざし、マゾヒストでもサディストでも汚物嗜好症でもないただの青年の健全な性欲を色眼鏡で見て居ないだろうか。つまりあまりにも容易く谷崎潤一郎を信用してこなかっただろうか?

 繰り返すが谷崎潤一郎を容易く信用してはいけない。

「何でも去年の冬でげしたか、私が青森から弘前へ参りまして、あれから汽車のない所を十里ばかり西へ這入つて、日本海の方へ出て見ましてすがな。そりや、彼の魚と來たらうまいもんでげす。」
「はヽあ。矢張り其處は青森縣なんですね。」
「へえ、西津輕の鯵が澤と云ふ處でげすがな。(略)」(谷崎潤一郎『熱風に吹かれて』)

 どういう訳か谷崎潤一郎は『颶風』において、西津輕の魚は不味いとわざわざ書いていた。私はそれを読みながら、可笑しいな、冬のあのあたりの魚が不味いわけはないのにな。今とは海流や魚の分布がちがうのかな、と不思議に思いながら、主題とはずれることから敢えて深追いはしなかった。そう、この程度の事は、主題とは絡まない、ちょっとした悪戯のようなものであるかもしれない。ただ、よくよく考えれば明らかに変なのだ。わざわざ西津輕の魚は不味いと書いておいて、西津輕の魚は美味いと書くことが変なのだ。谷崎潤一郎は自ら自分を信用するなと書いているのだ。思い返せば「億兆の國民」から始まって、「お役人に聞かれると惡い」「足利尊氏は偉い」「紂王の寵妃、末喜」「やめておけ、やめておけ、今の政治に携わるのは危険なことだよ」「羽前國」「たとへ京都は、一旦右衛門の督や左馬頭の手に落ちても、昔から朝敵の栄えた例はございませぬ」「長く此のの女王となった」「世間一帶がなんとなくお祭りのやうに景気附いて居た四十年の四月の半ば頃」「五段目の勘平」と谷崎はどこかで読者を欺き、試していた。谷崎はわざわざ西津輕の魚は不味いと書いておいて、西津輕の魚は美味いと書いたのだ。そんな合図を見逃しては、批評は糞みその世界に堕ちてしまう。

 英子に何事か打明けて、受け入れられた後、中學時代の初恋以来の無邪気な、奔放な、制御しがたい喜ばしさで有頂天になる輝雄は単なるピュアで幸福な人間ではなかろうか。(この時点では。)

 



 






【余談①】『熱風に吹かれて』の言葉たち

濁染み にじみ
鐵輪の人力 人力車のタイヤにゴムが使われたのは明治後期なのだが、ゴムを使わない人力車のことか? 大正三年には空気入りタイヤになっていた筈だが、

慵げな  ものうげな 物憂げな 懶げな
ざんざめき さんざめき 賑やかに騒ぎ立てる事
地謡 ぢうた じうたい 能楽で地の文の部分を、舞台の端にいてうたうこと。その人々。また、その謡。
狭斜の巷 遊廓のこと。 支那の長安の狭斜に娼婦の住居せし故事に基く。 遊廓のこと。 支那の長安の狭斜に娼婦が住居した故事から出た語。
新路 しんみち しんろ
一眸 いちぼう 一望
粹めて あつめて この字の訓は「いき」。あつめるという意味はない。「萃」と間違えて使った可能性が高い。
呷る あふる
知恩院

揚屋 遊宴のために場所を提供した店。

句調 和歌・俳句・詩などの調子。2 文章の言いまわし。 文章の調子。
南座

萩戸

中高 なかだか 周辺が低く中央が高いこと。
擔ぐ かつぐ 担ぐ
鴨川踊

日本橋區濱町

向島の百花園

Prostitute 売春婦
缼陥 欠陥
月始 つきはな げっし つきはなの読みは他に見つからず。
葭町 東京都中央区の町名。現在は日本橋人形町。湿地帯だったが江戸初期に埋め立てられ,1618年各所に散在していた遊里を集めて葭原(吉原)と称した。
同朋町 どうぼうちょう
自前 芸者が独立して営業すること。その芸者。
金の達引 
達引 たてひき 義理や意気地を立て通すこと。また、そのためにとる言動。特に、遊女が客のために出費などすることにいうことがある。たていれ。
水貝 アワビの料理法のひとつ。

肉面に苔のついたような青いのが雄で、必ずこれを用いる。身の取り方はいろいろあるが、料理人の仕方は、あり合わせの庖丁や、わさびおろしの取っ手の先で起こしている。しかし、一番安全にやる方法は、御飯をつける杓子の小さいのを貝の底に入れて起こすことで、これだと貝に傷がつかない。腸を潰さぬように出す必要があるから、この方法でやると腸は存外潰れない。あわびの腸の中にはドロドロしたものがあって、それを薄い膜が包んでいる。これを破ると中の青白いドロドロのものが出るから、破らないように注意しなければならない。(北大路魯山人『鮑の水貝』)

小股が切れ上がつて 昔は小股の切れた

お派 用例なし

肺尖 肺臓の上部の尖端部。
優形 やさがた すらりとしていること
フラウ 妻、夫人、これ
誰方 どなた
悽愴 凄愴 いたましいさま。 すさまじいさま。 また、ものさびしいさま。
ギレツトの金鍍金の安全剃刀
メドツク メドックのワインの事か?
ラクシユリアス
素封家 民間の大金持。財産家。
義絶 親子・兄弟など、肉親との関係を絶つこと。
十七貫 63.75キロ。 身長156.5 で計算するとBMI26.03 で肥満度1
斎藤が十二貫だと45キロでがりがり。
饗し もてなし
家事向きの事 家事に関する用向き。家事についての用件。
小三郎の「しぐれ西行」

 こういうものを観るとやはり近代文学の終焉というのは違うんじゃないかという気がますますしてくる。私は文豪飯と顔出しパネルを否定しているが、西行の理解とは別のところで、ネタとして西行を受容すること、つまりいささか頓珍漢なところがないではないが兎に角「文豪アルケミスト」や「文豪ストレイドッグス」みたいなものが近代文学をネタにしていることそのものは延々続いてきた文化なんじゃないかと。

音曲 日本ふうの、楽器による音楽・うたいものの総称。特に、三味線(しゃみせん)などにあわせてうたう俗曲。
フィロソファイズ 拗音の表記方法がいつの間にか現代式になっている‼
さっきまでカツプルだったのに。
油のやうな濃い藍色の  これより濃くなると紺になります。
豚の土左衛門

「要するに君、女なんて者は結局金次第さ。いくら色男でも社會上の地位と勢力がなけりゃいかんね。伊藤博文なんぞ見給へ、あの年になつても艶聞を流しとるぢゃないか。」


露都 ロシアの首都。 また、ロシアの都市。
ロムブロゾー


Projecting ears   突き出た耳  妖怪人間ベロみたいな耳

ネツケル

He has two left han
総領娘 いちばん上の娘。 長女。
夕隱 ゆうなぎ 夕凪,夕和,悠凪,悠凪,結凪,夕和
仙台物 磐城物
西津軽の魚はうまい。
海鼠腸 このわた
空気蒲団?
千代田草履

衣紋竹 竹製のえもんかけ
無頼漢 ごろつき
写真の暗箱

どうさ引きの半紙

みづみづと太った みずみずと しつこくないさま、あっさりとしたさまを表わす語。 みんずり。  つやがあって新鮮なさま、若々しいさまを表わす語。 みんずり。

呂昇の「野崎村」





【余談②】「カサドリテ」の謎

信西ハカサドリテ左衛門尉師光。右衛門尉成景田口四郞兼光。齋藤馬允清實ヲ具シテ。人ニシラルマシキ夫コシカキニカヽレテ。大和國ノ田原ト云方ヘユキテ。穴ヲホリテカキウヅマレニケリ。

 谷崎は『信西』を書くに際して『愚管抄』を参照したものと思われるも、やはりどこかおかしい。逃げた時点で異変は起きていたのだから、信西が安泰であるような会話はおかしい。

三條烏丸ノ內裏院ノ御所ニテアリケルニ。信西子ドモグシテ常ニ候ケルヲ押コメテ。皆ウチ殺サントシタクシテ。御所ヲマキテ火ヲカケテケリ。

 と、謀反は起きていたのだ。なんなのだろう。このねじれは?
 もう一つ気になるのは「カサドリテ」だ。威張って、横柄に、という意味だがこれを「穴ヲホリテカキウヅマレニケリ。」と落としている。
 それにしても情報量が少ないので、本当に何があったのかは分からない。ただ谷崎の『信西』には「カサドリテ」がない。何故だろう?








ドバイはリヤドより安くなりました! 彼は価格を比較し始めました、そして驚くべきことに、彼の言葉は特にレストランとカフェに関して真実でした。 どこに向かっているの?



クウェートの石油価格は1バレルあたり4.81ドル下落して113.08ドル

コロンビアの農民は、牧場に6億ドルが埋葬されているのを発見しました。


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