見出し画像

川上未映子の『夏物語』をどう読むか④ 中華料理店にやってくる人々

 夏子は巻子と緑子を連れて中華料理店に行く。

 そう文字にしてみて、ようやく気が付く。

 うっかりしていた。

 見逃していた。

 緑子は第一章で最初の日記のようなものでこんなことを書いていたのに。

〇 卵子にはなぜ、子という字がつくのかというと、それは精子、に子という字がついているから、それにあわせただけなのです。これは、今日いちばんのわたしの発見。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 なるほど。だとしたらこの三人の登場人物にみな「子」の字がついているのは何に合わせたのだろうか? 夏子は巻子と緑子、みんな昭和の名前だ。令和の今、女の子の名前は、例えば2022年の人気ランキングでは「莉子」が八位に入っているだけで百位以内にほかに「子」のつく名前はない。どうも敢えてそんな名前が選ばれている。

 おそらく「子」はこの後何か意味を持ってくるのだろう。

 注文されたのは、烏賊料理をいくつかと、白湯麺、分厚い皮の焼き餃子、中華まんじゅうと豆腐のちぢれ麵。……烏賊料理って衣をつけて揚げた烏賊をセロリと炒めたやつくらいしか知らないな。いくつかって……。そんなに烏賊が好きか? それは何かのふりなのか? なぜわざわざ東京で中華料理を食べるのか? 寿司か鰻か天麩羅か蕎麦でないのは貧乏だからか。

 それは仕方がないとして、中華まんじゅうとは肉まんなのか豚まんなのか、それとも具はないのか?

 巻子は小さい当たり屋の「九ちゃん」が死んだという話をする。夏子は「九ちゃん」のギター伴奏で「宗右衛門町ブルース」を歌ったことがある。宝龍という中華料理屋で「なんやようさん食べて」当たり屋を失敗して死んだ。村上春樹ではあり得ない死に方だ。

 巻子は帰宅すると真っ先に緑子の寝顔を見て、ときどき「ちゅう」をすると言い出す。緑子は中華まんにたっぷりとしょうゆをしみこませて食べる。「きもちわるい」と緑子は巻子をにらみつける。

 わたしはお母さんとちょつとのあいだしゃべらんとこうかって考えてて、しゃべったらケンカになるし、またひどいことゆうてまうし、働いてばっかりでお母さんもつかれてるの、それも半分、いやぜんぶ、わたしのせいで、そう思うたらどうしようもなくなる。はやく大人になって一生懸命働いて、お金をあげたい。けど今はまだそれができひんから、優しくくらいしてあげたい。でも、うまくできひん。涙が、でてくるときもあります。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 しかし緑子は「日記」(?)にこんなことを書いている。ほんまはいじらしいええ子や。そして子ども家庭庁の異次元の少子化対策に真っ向から対立する。

 でもそのあと、わたしは気づいたことがあって、お母さんが生まれてきたんは、おかあさんの責任じゃないってこと。
 わたしは大人になってもぜったいに、ぜったいに子どもなんか生まへんと心に決めてあるから……。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 誰の責任という話になれば、それは旦那の責任だろう。女房子供を食わすのは昔から男の責任と決まっている。

 道也には妻がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。自らみいらとなるのを甘んじても妻を干乾にする訳には行かぬ。

(夏目漱石『野分』)

 夏目先生もこう書いている。しかし精子や卵子を知っている緑子の意識は、精子の提供者の方には一切振り向けられない。精子の提供者にも責任はある筈なのに。

 なるほど緑子が精子の提供者に意識を振り向けないことを、読者は意識しなければならないわけだ。それで精子と卵子のふりがあり、夏子は巻子と緑子と「子」がやかましく、「子ども」が貧乏の原因としてフォーカスされているのだ。

 このままでいいのか、子ども家庭庁!

 遊んどる場合ちゃうで。



[余談]

うーん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?