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川上未映子の『夏物語』をどう読むか⑬ 複雑な命令

年が明けてしまった。ようこそ、2017年。

 そう言えば725万円という夏子の定期預金の金額が二年前に出した一冊の短編集によるものだとしたら何冊売れた計算になるとか、そういう話を書くのを忘れていた。それに今なら定期預金何て利子も少ないのでオルカンがウェルスナビなんかにした方がいいとも書き忘れた。

 悪くても一年で7~8パーセントくらいは増やすことができる。

 夏子には接骨院と雑誌の編集部と新聞社からしか年賀状は来ない。新年の挨拶も巻子と緑子とLINEで済ましている。あのバイト仲間たちとはそれほど深い付き合いはないのだ。そういえばランチ会のお誘いもない。

 平日になると仙川電話で食事の誘いが入る。仙川は年末にパーマをかけて髪型が変わっている。とんかつを食べ、喫茶店に入る。たわいないお喋り。

 仙川はティラミスを食べる。バブル世代の御馳走だ。

 遊佐とも電話で話す。春に出す予定の小説のゲラと連載小説にかかり切りだという。
 夏子は小説を直し続ける。仕事の合間に逢沢潤のインタビューを繰り返し読む。夏子は逢沢潤が教えてくれた二十九日のシンポジウムに参加することにした。

 一つ目のプログラムは生殖補助医療をめぐる法案と各審議会の成果に関する専門家の話。
 二つ目も専門家の話。

 会場に逢沢潤の姿は見えない。夏子は頭痛が酷くなり、研究者と当事者と医療関係者の鼎談の途中で席を立った。

 トイレでくたびれきった女の顔、茄子の煮浸しに似た自分の顔を見る。トイレを出るとロビーのベンチに逢沢潤が座っているのが見えた。会釈して通り過ぎようとすると逢沢潤のほうから話しかけてきた。

「来られたんですね、もう帰られるんですか」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 疑問文だ。「お疲れさまでした」と云えばそこまでのところ、逢沢潤は疑問文を使ってきた。夏子も前のめりだ。

「あの、わたしは夏目といいます」わたしは自己紹介をした。「名刺とかもつてないんですけど」わたしはバッグから自分の本を取り出して手にもった。
「小説を書いてるんです」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 キャンペーン中でもあるまいに、自分の本を持ち歩く作家がいるものだろうか。単行本と云うものはそれなりに重いしかさばる。ここは夏子に何か魂胆があったと思われても仕方ない。
 二人は1978年生まれのおない年だということが解る。つまり遊佐ともおない年ということになる。逢沢は内科医。時給二万円前後で医師のバイトをしている。

 どうも夏子の食いつきがよすぎる。雌の本能が働いている。このまま逢沢潤の精子をいただくことになるんじゃないかという予感が強くする。

 二月になった。小説は相変わらずだ。逢沢とはメールでやり取りが始まる。

 二週目の夜十時、仙川から電話で呼び出され、薄暗いバーで酒を飲むことになる。

 仙川は家族の話をした。どうも家族は金持ちらしい。八王子の外れに大きな家がある。子どもについては、仕事が忙しくて、自然に生きていたらこうなったと説明される。そして今となっては子どもがいなくてよかったとも。

 そして毒も吐く。

 みんなストレスすごくって。旦那の愚痴ばっかりで。そういう記事とか本とか多くないですか? ママ作家とかもそんなのばっかりでしょう?出産本とか育児本とか、苦労と共感系っていうか。産まれてきてくれてありがとう——とかね。作家がそんな凡庸な感情を書いていったい何になるんですか。わたしからすれば、ああいう身辺雑記を書いたら小説家なんてそこで終わりですよね。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 でた、身辺雑記。これこそが編集者の愚痴というものなのだろう。自分ではどうにもできないこと、しかし気に障ることが愚痴になる。編集者は作家ではないのに、編集者が作家の矜持を語っている。

 夏子はトイレで仙川に抱きつかれる。

 コンビニでウイスキーを買った夏子は部屋でそれを飲みながら不妊治療のブログを電話で読む。

 子どもをつくる権利は誰にある? 相手がおらんだけで、セックスができひんだけで、それが与えられへんとでもおまえらは言うんか?

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 こりゃ、夏子は本当に子どもが欲しいんやなと思うところ。しかしそもそも『夏物語』って「貧乏」な話じゃなかったっけ? やせっぽちで畑の目立つ女の子に貧乏を感じて、……それがいつの間にか子どもを産みたくてしかたのない雌の話に変わっている。

 夏子は逢沢潤からのメールに酔っぱらって妙な返信を送ってしまう。

 その後夏子は三度逢沢潤と会うことになり、逢沢の育ての父が小説を書いていたことや、逢沢が自分の出自を知る経緯の詳細を聞かされる。

 母親は「父親なんてどうでもいいんだよ」と云った。これは『彼岸過迄』において須永市蔵の出自が大げさに語られていることへの批判だろうか。

 二人はそれぞれショートケーキとカスタードプリンを食べて、夏子はその甘さにため息を漏らす。

「糖分が」逢沢さんもおなじように感じたようで、何度か肯いて言った。
「こう……脳みその皴というかみぞというみぞに、じかに塗りこんでるんかっていうくらい効きますね」

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 これは芥川龍之介の『囈語』に対する批判で、血液脳関門を通り抜けることのできるのはブドウ糖とケトン体だけで虱は脳みそには入れないことを指摘してはいまいか。


「夏目さんは親切だな」しばらくしてから、逢沢さんは小さな声で言った。
「そんなこと言われたことないよ」 

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 これは夏目漱石の『行人』の、

「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他から親切だって賞められる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」
 自分はかつて大きなクッションに蜻蛉だの草花だのをいろいろの糸で、嫂に縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。
「あれ、まだ有るでしょう綺麗ね」と彼女が云った。

(夏目漱石『行人』)

 このテレパシーの場面が意識されていないだろうか。

 いないな。

 なんとなくいい雰囲気だつた二人だが、また会う約束をした別れ際、逢沢には善百合子という、このあいだのイベントであった逢沢と同じ境遇の、三年付き合っている彼女がいることが解る。

 夏子、ドンマイ。



 


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