文武両道考

 文武両道の文は學問、武は武道、現代ではスポーツを指し、転じて文武の両方に優れた人等を指すのが一般的だと思う。スポーツで素晴らしい成果を出しながら、難関大学への進学も果たしている学校がその例だらう。
 
 しかし、私は少し違和感を感じる。武士の時代で言う文の學問は、四書五経等、身を修める、人格を磨く事が目的であった。そしてその高めた精神性を実行する実力を養う手段が武術(ここではあえて武術と呼び武道との区別は述べない)であったのではないか。武士で有れば、主君の為に生命をかけて闘うと言う気概、精神を學問で高め、その精神を発揚する手段として、実際に敵を倒せる実力を武術で養っていたと考える。もし、そうなら文は精神、武は肉体、物質等の手段と考えられ、両道という様に別の二道があるのではなく、不岐のものであるはず。
 
 現代でいう文は、人格を高める學問というよりも、実学である。そして武は、武道を含むスポーツ、しかも本来、スポーツ活動を通じて養う様々な副次的効果ではなく競技結果だけに注目するなら、如何に「文武両道に優れる」と言っても、そこには人格、精神性は含まれていないのではないか。
 
 武士の時代ではない現代では、武が文を実行する手段と考えるなら、武は、スポーツや武道だけではなく、むしろ生きていく術として経済に関する知識や、様々な職業に関する専門的知識技能が含まれると思う。私が考える現代あるべき文武を整理すると、
文→人間性を高める學問。あるべき人間像、社会についての学び。
武→実学、専門的知識技能(もちろん武道も含めたスポーツを通じた身体作りも含まれる。)

ということになると思う。加えて、文武は不岐のもの。私は、「文武不岐」でいきたい。

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