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そもそもオレ「書く」の大嫌いだわって話

おはようございます。KOBAPYです。

平日、ただでさえ超繁忙なところ、プライベート(特に水曜・木曜)も立て込んでまして、毎日更新は難しいのです。時間的・物理的に無理ということで、何卒ご寛恕願います。

それ以前に・・・

オレ、

「書く」って行為が大嫌い

でしてね。

文才以前に文章力がない、日本語の能力に著しくもとる・・・・そんな理由じゃないっす。小学校~高校と古文含め、国語を苦にしたことはない(唯一、漢文だけがどうも・・・)

それに、割と小さな頃から読書が好きで、小学校高学年辺りから家で購読していた新聞に目を通し、友人であるササキに影響され、高校からは週刊誌もくまなく目を通していた。

一時期、新聞や雑誌から離れていましたが・・・これはもうネット環境が自宅にも大学にもそして職場にも整備されたからに他ならない。

ネットの書き込みとか、バイラルメディアだのしょうもねえまとめブログとかも、嫌いじゃないですよ。

まとめブログもバイラルメディアも、基本的にくだらなく、ロクでもない。娯楽やエンタテインメントの範囲でしかないですが・・・

バイラルメディアの勃興は、間違いなくアメリカ。日本でもガラケーからスマホ、固定回線+PCからモバイルの流れの中で、そのアメリカ発祥の有力なバイラルメディアの日本語版がいくつかローンチされ、日本の有力新聞や出版社、放送局の精鋭たちが相次ぎ出向・転籍、もしくは移籍・・・個人的に

「いい流れ」

だと踏んでおります。

しかし、日本においてはまだまだ

「肥料を蒔き、畑を耕している」

そんな状況でしかない。

故に、情報入手。最近は紙媒体がサブスクで電子版展開に積極的って理由もありますが、新聞・雑誌に回帰しています。あくまでオレ個人に限った話なんで

「記事が無料で読める時代にバカじゃね?」

とか、知りませんよ。んな意見。

そんな話はさておき・・・「書くのが大嫌い」って話。

テキストコミュニケーションが主流となったこのご時世に、致命的な「苦手」があるんですわ。

どうしてこんな事態に陥ったかというと、頭をこねくり回し、洗い出しできたのはこの4つ。

1)小学校・中学校の年に何回か課題で課される作文・読書感想文
2)大学のゼミのレポート・レジュメ・プレゼン・卒業論文
3)会社で週次で書く業務週報・成果物・社内文書・メール・プレゼン資料作成etc・・・

作文だ、感想文だ、レジュメだ、レポートだ、週次報告だ、PPT(死語)だ、メールのやりとりだ・・・決して貶されてばかりで褒められたことがないわけじゃないです。

とてもお褒め頂き、感謝に堪えない、光栄だっていう経験も多い。

しかし、どれもまぁ、ケチョンケチョンに貶され、否定されるパターンも数知れず。

まず「1」。こりゃもう最悪。

「みんな仲良しの典型、道徳心と慈愛にあふれたいい子かつお利口さん、洞察力に優れたKOBAPY」

を演じなきゃならないんですわ。ありゃ、

仮に

運動会→体育祭や遠足、社会科見学の感想

どこの小学校、中学校でもありそうなものに絞って言いましょうか?

・・・率直に

「運動会、とにかく練習しんどい。特に組体操。下の奴ばかり負担かかり、上の奴は落ちたら怪我する。サッサとやめるべき」
「三浦市の海っぺりを延々、水一滴も飲めず(※1)10kmも歩かされ、三戸浜も小網代も油壺も、しょっちゅう家族と出かけていて、今更なんの感激もない。何だよ、あの行事」
「○○製作所の工場で仕事を見たが、よく分からなかった」

・・・・そう思っていても、書けないでしょうが? 書いてご覧なさいって。担任や国語の教師に呼び出され叱られ、ヘタすりゃ家庭訪問や三者面談で

「あなたのお子さんの作文の普段の記述、あれ如何なものなんでしょうか?」

とか。言われ終わり。

書きたくとも・・・母親をむやみに悲しませたり、オレとしても母を怒らせそしてオレが怒られるのは本分でなく、自重せざるを得ない。

「外で食う母ちゃんの弁当は、いつもおいしく最高」

位の話を、殊更expandさせて

「いい子いい子」

的な文章を書くしかない。

読書感想文もまた然り。課題図書を読んでもだいたい、有識者や学者、県教委や市教委、担任なり国語科所属の教諭が

「子供に是非読んで欲しい一冊」

みたいなのを課題図書に上げてくるじゃないっすか。

これがだいたい、つまらない。読んでも何にも心に響きゃしない。当たり前で

「この本を読めば、きっと子どもたちの国語力や道徳心向上に寄与し、情操教育の一助になる」

とかの、有識者や教諭の勝手な思い込みに基づいたもの。高く評価された良書であると限らないんですわね。

しかしだ、

「読んでみたが、ムダに長い文章で意味が良く分からない」

こんなどっかにありそうなのを原稿用紙に・・・ってならまぁしゃあないとして、ちゃんと目を皿のようにして読み、いや何度も読み返しても

「面白くありませんでした」
「ちっとも心に響かない」

とならざるを得ないとしましょうか? それ正直に書いてみれば、またもや放課後に呼び出されるか、家庭訪問や三者面談で何か言われるがオチ。

挙げ句の果てに、通知表。国語の評点で「A」や「4」「5」は絶望的となり、

「道徳心・公共心を良く理解し、豊かな想像力を表現することができる」

とかの項目があれば「△」「×」がつくのがオチ。

通知表・・・家が火災で焼失とか、大災害で家もろとも流されるか土砂に埋まるでもしない限り、一生残り続けるのですよ。

小生意気に中学生の分際で(厨二病??)

夏目漱石や太宰治や三島由紀夫の数々の名作を題材に感想文書かせろ!!

と何度思ったことか。あの手の作文だの感想文だの・・・あんなロクでもないもの、サッサと義務教育からとっぱらうべきだと思いますわ。悪弊だらけであり、何の意味もありません。

さて「2」と「3」。

実学重視の大学や学部出身者ならともかく、大学とビジネスが連関しているわけがない?? 

恐らく、所謂「講義」だけを履修し卒業、「演習」すなわち「ゼミ(ゼミナール)」を履修してない方の感想じゃないかと。

オレの大学の出身学部は、少人数による「ゼミ」重視。1年次は必修でクラス単位の「基礎ゼミ」がある、当時必修でなかったが、単位が8単位とれるので、教職課程履修希望の学生でどうしてもコマが・・・・というケースに該当しない限り、2~4年次は「ゼミ」を履修することになる。

ここで、

「レポート」
「データ分析」
「フィールドワーク」
「プレゼン」

この辺の「肝」をとことん叩きこまれるんです。

基本、学部内で

ウチ緩いよ

みたいな評判の「ゼミ」存在しなかった。どこも厳しく接する教員ばかりで、ゼミ生も先輩・同級生・後輩・・・皆優秀でキレモノ揃い。

さて、仮にレジュメを2ページ。必死にWord(学生当時はWindows95に完全対応してなかった「一太郎」か・・・)で仕上げ、エッチらコピーし(痛恨の1枚10円×2×ゼミ生30人+教員1名分)、配布する。

それが・・・

「そんな言語表現は如何なものか」
「あまりに詰めの甘い考察、出直してこい」
「何だ! あの所見の記述!!」

教授やゼミ生、同・・・ミソクソ(朝から汚い表現で申し訳ない)言われたりするわけです。

自分では精一杯、ソーセージとポテチでもつまみにビールでも飲み、家でテレビでも見てるかネットでもしてりゃどんなに幸せかってのに、必死に寝る間も削り仕上げた物を全否定。

お前の実力の証左だ!!

と言われればそれまでの話でしょ? 自省・自戒し、

「次回はきちんと・・・」

と気をあらためるしかない。

実際、社会に出た後の「3」。すなわちサラリーマンとなり、

勉強不足

を身をもって知りましたね。

ダメ出しや厳しい指摘を、上司・同僚・取引先から何度受けた事か。

甘かった。もっと勉強しておくべきだったし、オレの学力・知識吸収力・実務能力・洞察力・分析力・そしてメンタルに包容力に受容力・・・・

であり、それを糧とバネにここまでやってきた自負はある。

故に「2」と「3」にはとても感謝はしている。

さて、問題は今まで例示しなかった「4」。「4」こそ「書くのが嫌い」と化した諸悪の根源と言って差し支えないかと。

4)ネットの些末な書き込みに対する批判・中傷・罵詈雑言・ネガティブキャンペーン開催(25年のネット歴で、もう数えきれないレベル)

まぁ、オレの些末な書き込みがキッカケで、何度フルボッコにされたことか。

スポーツ報知のWeb記事的でいえば

「持論を展開した」

でしかないのにもかかわらず、

「お前の書き込みは許さん! けしからん! 今すぐこの場から消えろ!!」

みたいなコメントやリプが殺到する。

会ったこともないヤツから

「バカ」

と罵られる。挙げ句の果てに、人格否定や出身地への冒涜的指摘、職業の貴賎に関する範疇、人権蹂躙の如き発言まで彼らは平気でしれっとする・・・

「こばぴー」とかつてのTwitter ID(回示はしないですが)でGoogleで検索してみりゃ分かります。オレはやりたくもないですが・・・

リアルで苦い経験が積もり重なった結果、ネットじゃこれ。

「書く」

ことが、嫌いにならないはずがないでしょうに。

家に帰るとネット・・・って時期、ハッキリ言って安月給、食うのにスレスレの時代の話。

出自や学歴。職業にまであれこれ言及されるので、一時期、本気で

「オレって社会人としての根本が欠落しているのでは」
「欠格者か? オレ?」

とか、本気で考えたこともあります。かなり追い詰められてました。それに加え、当時の仕事、基本「書く」事をしなくなったことも影響しているかと。故に、今までの経験則や方法論がまるで通用しないんです。

しかし、2015年末からネットどころでは基本、なくなりまして。仕事で忙しく、それどころじゃなくなりました。

今でも、ドキュメントやPPT(死語)にダメ出しされる、全面否定される、承認文書のはずが上長の承認が下りない、メールだTeamsだSlackだChatWorkだで、

「お前! 何様のつもりだ、その言及!!」

みたいに相手を立腹させてしまうことも、年に2~3回はあるかと。

それでも、ログなり、否認されたドキュメントやPPT(死語)を見ていると、どんなに言いがかりに近い、理不尽きわまりない指摘であれ、

「腑に落ちる」

ところが、だいたい見つかるもん。

上司なり、顧客なりがどう捉えるかという目線に立っていない、口説き落とす、説得材料として充足していない、要は自分の詰めが甘かったと。反省材料にはなる。

さて、仕事の合間に、Twitterやまとめブログなんぞを覗いてみる。

「おいおい! 何かのデジャヴじゃね??」

みたいな光景が、あちこちで展開されています。

インフルエンサー、プロブロガー、ジャーナリスト、新聞や雑誌の記者、ライター、芸能人や有名人、スポーツ選手、そして政治家・・・。

フォロワーを万単位で抱える、彼らへの無数のリプ(言及)の数々を見れば、すぐ分かる。

どっかで見たような言及が、あふれんばかりになった。要はもう、ネットってそういうとこなんだって話でしかない。

彼ら、基本「難癖付け専門家」であり「揚げ足とり専門家」であり「誤字脱字・事実誤認指摘業」であり「プロ人格否定・誹謗中傷書き込み業」なのか分からないですが、スゲエなと。もはや匠の技、芸術的な域でしょう。匠の技で芸術なのにもかかわらず、その熟練の技を1時間あたり数十件も発揮する方々、日本だけでも数がン百万いそうな気がしますが・・・

そして、彼ら。「ネチケ」なんていう言葉があっという間に消え失せたように、最低限わきまえておくべきな礼儀もマナーもモラルもへったくれもない、リテラシーって何ですか?、義務教育レベルの社会科の知識も持っていない、そして最近、カンタンな日本語すら読解できない・・・って事が分かってきたわけで。高校3年生の半数弱もが、教科書レベルの日本語の文意を正しくくみ取れない、「人工頭脳」とは言いますが、所詮膨大な人間のアウトプットとデータとアルゴリズムを・・・要は自ら

「新たに思考する」
「アイデアを生み出す」

ことがないAIの方が遥かに賢いという、衝撃の事実。

「それでよく、こんな事しれっと書けるよな・・・」

と、たまに真剣に考えてしまいます。

多分です。

彼らはオレが大学や社会で経てきた

「そんな理解力ではダメだろう」
「リサーチ不足だ」
「詰めや考察が甘すぎる」
「話にならない。出直してこい!!」

みたいな経験、

「書く」(拡大解釈すればアウトプットする)事は批評以上の批判と常に隣り合わせ。時にメンタルをやられてしまうほどに、ぐうの音も出ない真正面からの厳しいツッコミを浴びることがある

多分のこと、経てきていないのかと。

「書く」ってラクな仕事じゃないんですよ。国語力や文章力、持ちうる知識やリサーチの結果だけではない、人間の持ちうる全方位をもってやらないと、とてつもない批判を浴びるのと、隣り合わせなんです。

すなわち・・・幾ら匿名であれ、SNSのような世界中の誰が覗いているか分からない場所で、バカで迂闊で見立ての甘い言及、普通できるわけがない。

誹謗中傷の類はなおのこと。よほど実社会で権力握っている、経済界の重鎮、屈指の大富豪、地元の名家で有力者・・・そんなステータスお持ちの方以外、誰がそんな発言連発する人間に好んで近づいていきますかね? 嫌われ、影ですさまじい悪口言われ、悪評を世間にまき散らしで終了でしょう。

だって、彼ら。

「理解力が足りない」
「きちんと文意を読み取れてない」

なる指摘をした時点で

「マウンティング野郎」
「学業成績と学歴しか頭にない典型的選民思想に染まったバカ」
「ムダに長いネット向きにでない文章に文句言って何が悪い」
「自治厨」

とか言いだして、お終いじゃないっすかね?

まあいい。もう「諦めた」としか言えない。

これじゃねえ・・・と「諦め」こそついたものの、そんな空間にヘタにアウトプットすべきでないな・・・と、ますます心のストッパーがかかるでしょうに。

そうして「書く」事への苦手意識はまだまだ消えない。自己肯定感が足りないのだと思うし、今後成功体験を積み重ねれば・・・みたいな期待こそあるが、期待でしか無さそうで。現状勉強不足と思わざるを得ない。

ビジネスの範疇なら、それで済みます。いや、そのビジネスでも、そうは問屋が卸さない。

このネット社会。Webなしにビジネスはあり得ないんです。その成果物が、リリースなりWeb媒体の記事なりで、ネットに実名込みで出てきたときこそ、本当の怖さを思い知ることになりそう。

朝日新聞の記者の方々やBuzzfeed Japanの記者への無数のリプを見れば、容易に分かる事です。

会社の看板と実名・・・・詰めの甘いリリースなり事業のぶち上げなんてしようものなら・・・あてられそうにない状況を招きそうで、たまに本当に恐ろしくなります。

そして、10年前くらいの無数の大炎上経験が、たまに頭を走馬灯のようにもたげます。それの書き写しみたいな展開が、Twitterや掲示板で、あちこち展開されている日には、ますます構えてしまう。

「1億総発信者時代」

のネット社会のもたらした闇は、あまりに深いと言わざるを得ません。

※1)我々が小学生・中学生だった1982~1991年ごろ、教育現場では授業中のみならず、運動・スポーツ・課外活動において、食事時間に水分摂取は一滴もできませんでした

eye-catching Photo on VisualHunt.com (Creative Commons 0<CC0>)

お読み頂きありがとうございました。平日の更新は多忙につき厳しいですが、週末なんとか時間を作り、更新していく所存です。宜しければ、他の記事も是非