見出し画像

めまいとわたし

昨年、メニエール病と診断された。
きっかけは昨年5月末に、めまいで救急搬送されたこと。

台所で急に立てなくなり、子どもの晩ごはんも準備ができず、吐き気に襲われまったく動けない。
耳鳴りとめまい。たとえるならば、遊園地のコーヒーカップを全力でまわしてる、そんな感覚。ぐるぐるして視点が定まらない。

今思えば救急車を自分で呼べばよかったけれど、そのときはとにかく
「どうしよう、子どものごはんは、寝かしつけは」
という考えしかできなかった。

夫は仕事に出ているし、しかたなく近所で働く母に電話をする。
「今忙しい?」と聞くと「うん」と返され、説明をする気力もなかった私はそこで心が折れ、
「ごめん、なんでもない」
と電話を切った。

長男はママどうしたの、と心配している。次男はよくわかっていないのか倒れる私の上に乗って遊ぼうとしてくる。それを長男が怒って止める。
喧嘩しないで、叫ばないで、ひどくなるから……。
心の中で願うも声には出せず、うめくことしかできなかった。

しばらくして、母が来てくれた。電話越しにどうも様子がおかしいと察して仕事を抜けて駆けつけてくれた。
こういうところが、やっぱり母だ。申し訳ないけれど、ありがたかった。

子どもたちの夕飯の間に、私は廊下を這ってなんとかトイレにたどり着いた。
そこからはあまり記憶がないけれど、とにかく吐いていた。水を飲んでも吐くから何も口に入れたくなくて、うずくまる。

めまいの合間に「体調が悪く動けない」とメッセージを送っていたので、夫も子どもたちが寝るくらいの時間に飛んで帰ってきてくれた。

子どもを寝かせてもらい、私はまた這ってリビングのソファで横になる。ずっと気持ち悪い。めまいで目を開けられなかった。

病院に行こう、という話になるも、私が少し咳をしていたせいでいくつかの病院に断られてしまった。
夫が救急電話相談にかけたら、
「もうそこまで症状がひどいなら、救急車を呼んでもらったほうがいい」
とアドバイスされたらしい。


人生2度目の救急車は、あまり記憶にない。
(1度目は次男のときの切迫早産だった)

結果、MRIや血液検査をしたけれど異常はなく、入院してもいいが今できることは酔い止めの薬と点滴だけだと言われ、帰ることにした。
めまいはまだあったけれど、薬と点滴のおかげか支えてもらえば歩けるくらいには回復していた。

救急車に乗ったのが夜中11時ごろで、帰宅したのは4時ごろ。
夫が私に付き添う間、母は寝ずに家で待っていてくれた。次の日も仕事だというのに、申し訳なくて情けなかった。

救急病院で「耳鼻科案件かもしれない」と言われたので、次の日夫に連れられかかりつけの耳鼻科に行った。
先生がめまいの専門医だったこともあり、問診と検査、点滴をして、最後にメニエール症かもしれない、と伝えられた。

実は数年前から耳鳴りと頭痛に悩まされていて、頭痛外来に通ったりもしていた。
そのときはストレートネックによる緊張性頭痛ではないかといわれ、薬を飲んでいたけれどいまいち効いておらず、もうストレートネックは治らないのだからある程度は頭痛も仕方がないかと放置してしまった。

その頭痛が、めまいではないかと指摘されると、そうだったかもしれない。
ズキズキ痛むというよりズンと重く、揺れる感じがするのだ。
揺れたかと思うと、ぐるぐるとする。当時は「信号機がEXILEの『Choo Choo TRAIN』の振り付けみたいになるんだよね、アハハ」なんて呑気に話していたけれど、そうか、それってめまいなのか。


その後数日は毎日点滴をしてもらい、家ではずっと布団で寝て、家のことはすべて夫がしてくれた。母は仕事の合間に買い出しをしてくれて、子どもたちも私をゆっくり休ませてれくれた。
本当に情けなかったけれど、おかげで少しずつ回復して動けるようになっていった。立つとふらつくけれど動けるようになり、食事も1週間ぶりにとれるようになってきた。

困ったことに、めまいや耳鳴りは間隔があいてはいったけれどなくならなかった。
ザラザラとした音やピーっという音がずっとあって、これは症状なのか単なる環境音なのか、もはやわからないくらい。

おかげで編集という仕事において必要不可欠なパソコン作業に支障が出るようになってしまった。
10分ほどでひどくめまいや頭痛がし、作業にならない。スマートフォンも同じく、2週間ほどは画面をあまり見られない日々が続いた。

仕事もプライベートも返事が遅くなったりして、「やりたいのに、できない」というもどかしさが心苦しくなり、当時はとてもつらかった。
夫や母が仕事に専念できない状況を作ってしまっている自分に腹が立ち、母として子どもの相手をできないのももどかしい。

思い返せば何年も前から予兆はあったのに、疲れだろう、緊張性頭痛だろうと、だれにも相談せずやりすごしてしまったことを後悔した。

病名がわかるまではこれが何なのか、仕事は続けられるのか、これ以上家族に迷惑がかからないか、ずっと不安だった。
趣味の漫画も読書もゲームも、アイドルの姿も見られない。耳だけならどうだろうと音楽を聴いたら、むしろ頭に響いて逆効果だった。

どうもメニエール病はめずらしいものではなく、親戚や知り合い、仕事先の方などたくさんの人が抱えている病のようだった。

珍しいものではない、という安心感と、とはいえみんなうまく付き合っているだろうに、ほぼ寝たきりで点滴三昧の私はなんなの?という絶望感が休養中交互にやってきた。

一番こたえたのは、子どもの習いごと。
送り迎えができない。
当時はつねに軽くめまいがするし、激しいのがいつくるかわからないため、運転を控えるよう言われていた。
子どもたちは元気いっぱいなのに、宿題もきちんとやっているのに、習いごとに行きたいのに……。
私のせいで休ませていることが申し訳なく、耐えられそうになかった。

いつ症状が軽くなるのか、治るのか、それとももっとひどくなるのか。
わからないまま、ひとまず薬と点滴でなんとか最低限のことをこなす日々だった。


数度の通院を経て、メニエール病と診断がおりた。
そこから数回薬を変え、合うものがみつかるとみるみる回復した。
今も不定期でめまいは起きるけれど、薬を使いながらなんとか付き合っている。

丸一日寝込む日も、たまにある。
そんなときは夫が支えてくれて、子どもたちも私の病気をなんとなく理解しているので、
「大丈夫?ゆっくり休んでね」
と気遣ってくれるようになった。


このnoteも、回復期に少しずつ書いていた。いつもの10倍以上の時間をかけ、書き留めていたものをもとにしている。
1行書くたび画面を閉じ、目を休め、横になり、数時間おいて落ち着いたらまた書く、の繰り返しで綴った記録だ。見返すと懐かしい。

今日も、少しめまいがあった。今も頭が重いから、下書きに残っていたこの記事のことを思い出し、書き足すことでこうして形にする。
どうも疲れもめまいの原因で間違いなさそうなので、早く寝て、ゆっくり休もう。


どうやら一生付き合っていくもののようだから、それなりに仲良くよろしくやっていけるようにつとめます。
これからよろしく。

お読みいただきありがとうございました。 あなたすべてのアクションが私の血となり肉となります。大感謝!