Kobayashi

日々感じたことを自分の言葉で。

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最近の記事

テレビっ子だった私

子どもの頃、学校から帰ってから、アニメやらバラエティ番組やらをずっと観ていた。一日に4、5時間は観ていたのではないか。具合が悪くて欠席した日には教育番組のみならずワイドショーも観ていた気がする。 なぜあんなに観ていたのか。周りに止められた記憶がまるでない。 テレビのことを悪くいうつもりはない。散々お世話になってきたものだ。ただ、全くもって、自分の中に何かが残っているという実感がない。テレビのこういうところから影響を受けて、今のこの部分に役立っています、という類の物がない。むな

    • 何が食べたい?と聞かれる幸せ

      コロナ隔離生活3日目の朝、初めて「お昼ご飯何食べたい?」と聞かれた。泣けた。食べ物が準備してもらえるだけありがたいとは思っていたけれど、自分の希望が聞いてもらえたことが、人として認めてもらえたようなそんな感覚になった。 迷わず、「うどん!」と答えた。うどんかーとかゴニョゴニョ聞こえたけれど、そこは気にせず。 お昼ご飯には、うどんが用意してもらえた。ん?昨日と同じビニール袋?同じ持ち帰り容器?予想は的中し、同じチェーン店のものであった。2日連続買いに行ってくれたのか。ありがとう

      • 夫のキャパオーバーです

        コロナ感染し、家庭内隔離をされ、2日目に入った。 今日は平日。皆、それぞれの場所へ行く日である。仕事、学校、園。だが、子ども達が学校、園に行くには準備が必要、送迎もしかり。 夫はずっとイライラしている。普段私に任せきりの準備や送迎を自分が担うことになり、慣れないことの連続だからか、イライライライラ、そして、ついに、私に向かって「あんた何様よ」という言葉が飛び出る始末。 何様ですと?部屋から出るなと言われ、閉じ込められ、手も洗えない、お風呂も入れない状態にさせられて、晩ご飯もも

        • 熱あんのにそれはきついっす

          関節が痛い。あれ、熱っぽいかなと思ったのも束の間、すぐに体温計が38°Cを叩き出した。子どもにうつってはいけないと、距離を取り、お風呂と寝室は別にした。次の朝、やっとのことで布団から這い出し、ふりかけ納豆ご飯を子どもに食べさせ、自分はまた布団に戻った。 そうこうしているうちに、夜勤明けの夫が帰って来て、検査キットを渡され、言われるがままに実施するとコロナ陽性が判明した。 私はコロナウィルスに感染したのである。 今や分類も第五類になり、世間的な扱いは変化してはいるけれど、多岐に

        テレビっ子だった私

          いいぞ

          高校時代の同窓会の案内が来た。たくさん思い出すことはあるが、今日は英語の先生のことを書きたい。その先生は、当時、もうどちらかというとおじいちゃんに近い年齢だった。授業はバシバシ生徒に答えさせるスタイル。とても厳しくて、しっかり予習をしないとすぐにバレてしまう。その代わり、先生に投げかけられた問題にきちんと正解できると、「いいぞ◯◯」「よく勉強してるぞ」と短い言葉だけど、ニコッとして褒めてくれる。 私は子どもの頃から英語は好きな科目だったから、英語の予習もよくしていたし、先生か

          誕生日おめでとう

          ずっと、心から憧れている人がいる。 今日はその人の誕生日。 10年ぐらい前までは祝いのメールなんかもしていたけれど、その人が結婚すると知ってからは祝いのメールも控えるようにした。 祝いのメールの際、何ラリーかメールのやりとりをして、近況などを話すのが常だった。 その人とは、中学の時、テストの点数を競ったのが始まりだった。1年生の一番初めのテストで私の方が点数が良く、「いつか抜かしてやる」と言われ、ふーんと思っていたけれど、高校受験の前には抜かれていた。結局、同じ高校に進学は

          誕生日おめでとう

          冷静と情熱と私生活と仕事のあいだ

          現在、私はどこかの組織に属して仕事をしていない。出勤する、退勤するという、行為もなければ概念もない生活をしている。 すなわち、私生活と仕事の境があってないような状態になっているのである。ということは、私生活と休暇の境もない。自ら気をつけて意識的に休みを取ろうとしないと、休めていない状況が続いてしまう。 そんな私と我が家に、組織に属して仕事をしている家族メンバーの、長期休暇の時期がやってきた。期間は1週間だという。「どこか、一緒に行く?」と誘われた。少し返事を待ってもらい、考

          冷静と情熱と私生活と仕事のあいだ

          パンを焼くのだ

          秋。急に深まる秋。むしろ深まりすぎて、冬の足音が聞こえている気もする昨今ではあるが。 秋といえば、「〇〇の秋」というフレーズ。各々が自分なりに何かを当てはめて、新しいことを始めたり、楽しんだりするのにぴったりな季節。 私自身ももれなくそのひとりで、読書の秋、食欲の秋、芸術の秋、と、自分なりにではあるが、楽しもう、楽しみたい!と試行錯誤している。 そして、買ったのがパンの本。パン作りに挑戦したいのである。 コロナウィルスのパンデミックが始まった頃、スーパーマーケットでの買い物も

          パンを焼くのだ

          まぶしい、そこ、まぶしい。

          輝いている人。頑張っている人。はじける笑顔、響く笑い声。まぶしい。まぶしすぎて直視できず、相対的に自分の輝きのなさが浮き彫りになって、苦しい。 これは、最近私がよく感じていることです。 この秋、新しく習い事を始めた。ずっとやりたかった音楽の習い事。自分のためだけの時間を充実させたくて始めたこと。 レッスンは基本的に週一回で集団レッスン。私の習う楽器クラスとその楽器に合わせて踊るダンスクラスもある。私以外の受講生の方々は数年習っている人達らしい。つまり私以外は皆ある程度の経

          まぶしい、そこ、まぶしい。

          この汚い海を何とかしたい #未来のためにできること

          夏休みに、数年前に住んでいたところへ家族で旅行に出かけました。息子達はあまりに小さかったので、覚えてないかななどと話しながら、レンタカーを走らせ、海に到着し、周遊できる船に乗りました。 7歳、4歳の息子達が船に乗るのは数ヶ月ぶりです。前回家族で旅行した別の場所でも船に乗る機会があり、楽しそうにしていたので、今回も喜んでいるかな、と期待して、隣に座る長男の顔を覗くと、憮然とし、何やらぶつぶつとつぶやいています。 「海が汚い。海が汚すぎる」 驚きました。海が汚いことを嘆いているの

          この汚い海を何とかしたい #未来のためにできること

          毛布とビールと音楽と

          息子の授業参観日があった。校長先生がお話してくださる機会があり、「幸せ」について話してくださった。ある児童のエピソードから校長先生ご自身が幸せな気持ちになった話をしてくれたのだが、強く印象に残ったのは「私(校長先生)は日々子ども達の幸せを願っています。保護者の皆さんもそうであろうと思います。そのためには自分が幸せである必要がある。保護者の皆さんもどうか、日々、幸せを見つけてください」という言葉であった。 なるほど、確かに、と思った。人を幸せにしようと思ったら、まず自分が幸せで

          毛布とビールと音楽と

          IKKOさんの冷蔵庫の画像にうっとりする話

          これまで生きてきて、まめに何かを続けられた試しがない。 三日坊主という言葉は、自分のためにあるのではないかと思う。 料理もしかり。頑張って作り置きを、と何度思ったことか。 最寄りのスーパーといえど、家からそれなりに距離があるので、いわゆるまとめ買いをせざるを得ない。食材を集めてはみるが、冷蔵庫に眠らせてしまう。どんどん使わねばと思うのだが、面倒だなという思いが先立ってしまう。なので私の冷蔵庫はいつもパンパンに詰まっている。 自分の意思でスーパーで選んだものですらそうなのだから

          IKKOさんの冷蔵庫の画像にうっとりする話

          自分の価値

          今春、引越と2人の子どもの卒園・入学、入園を経験した。 目まぐるしい日々で、不安で寝られない夜もあった。 だがそれら全てが終わり、子どもたちは子どもたちで、それぞれの生活を送り、それぞれの世界で毎日を過ごしている。たくましいなあ、頼もしくなったなあと思うと同時に、いつまでも新生活に馴染めず、なんだかふわふわとした日々を送る自分を不甲斐なく感じている。 そして、ひょっとして、ここに私の存在する意味はないのでは?自分の価値はないのでは?とさえ思えてきた。 そんなの自分のペースでい

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          書くことの原点

          「自分のためのnote」これは私の初投稿のタイトルである。 難しいことを考えず、まず自分のために書くことにしよう、と肩の力を抜く思いで始めたのだが、気がつくと3週間も何も書かずにいた。 新生活で書く時間が取れなかったというのが正直なところだが、裏を返せば、自分自身と向き合うのを避けていたような気もする。 高校生から大学生ぐらいまでの間、「ネタ帳」を書いていた。ネタ帳といっても、自分がそう呼んでいただけで、お笑いのネタが書いてあるわけではなく、学校であった出来事と自分が感じた思

          書くことの原点

          おたかさんと私

          おたかさんとは2年前に知り合った。そしてその翌年、一緒に仕事をすることになり、おたかさんがいわゆる上司、私が部下となった。 おたかさんと一緒に仕事をしてみて驚いたことがいくつもある。 まず、おたかさんはいつも笑っている。忙しく大変な時もいつも笑顔である。上司なのに偉ぶっていない。遠く離れた場所から大きく手を振って挨拶をしてくれる気さくさの持ち主だ。 そして、人に何かを頼む時、必ず敬語である。「上から目線」という言葉はおたかさんの辞書にはきっとない。丁寧に頼んで、それに対する私

          おたかさんと私

          自分のためのnote

          この度、note を始めることにしました。仲良くしてもらっている友人から「コラムとか書いた方がいい。読むから」と勧めてもらったからです。またまた、そんなそんな、と流していたのですが、何回も言ってくれるので調子に乗って、書いてみることにしました。 日々感じた、何気ないことを書く場にしていきたいです。誰かに何かを届けるというよりも、まず自分のためのnoteという感じでやっていけたらと思います。おたかさんありがとう。

          自分のためのnote