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THE HIGH BEATS その後

50年越しの再結成〜東日本大震災、コロナ、現在〜


今は2023年です。その後のことを簡単に書き残します。
ブログを公開したのが2009年ですが、その直後に私を探し当てた人がいました。
当時女子高生だった学外メンバーでした。短期間営んでいた民宿のホームページに名前と電話番号を出していたのを見つけたようです。
長い会話の末に、あの頃の仲間を探してみようということになりました。

京都や島根や思い当たる場所に連絡を取り、空振りが続いた中、チュウがポンを見つけました。卒業以来ずっと同じ会社に勤務していたので、問い合わせたところすぐに話ができたようです。
ホンダサンの素晴らしい記憶力によって、タカハシクンが京都の某ホテルに勤務していたことがわかりました。
すぐにホテルを検索して電話を入れたところ、元支配人はもう定年退職しましたとのこと。
すぐにでも連絡先を聞きたかったのですが、個人情報を漏らさない作今の事情もあり、こちらの用件を元支配人に伝えることが可能ならお願いしたいと、私の電話番号を書きとってもらいました。
さすが一流ホテルです。その日の夕刻に千葉のタカハシクンから電話が入りました。
あわただしく懐かしい会話を交わした後、ヒゾーの消息を訪ねたら、卒業以来お互いに連絡を取り合っているからとすぐにわかりました。これまた電話で懐かしく話が弾みました。

あとはテッチャンだけです。出身高校にたずねましたが、わかりません。
65歳の元女子高生の情報網を利用して、東京周辺の苗字を検索しまくりました。私はなぜかテッチャンは東京あたりにいるような気がしていたのです。
三人の同姓同名の人がいました。そして横浜在住の一人目で大当たりでした。

お互いにいろんなやり取りが交錯した結果、またみんなで集まりたいね、ということから演奏するのはどうかな、ということまで発展しました。やはり音楽から離れられない人たちでした。
2010年10月、品川区の広いスタジオで「THE HIGH BEATS」が50年ぶりの大音量を響かせました。近辺に住むメンバーの家族の人たちが観客です。ヘタでした。でも思う存分楽しみました。

約3時間を過ごしてから、大井町駅の居酒屋に落ち着きました。できれば来年も会いたいね、と誰もが言いました。
私も同窓会のつもりで上京することができます。
翌年の予定が決まりました。以来毎年10月に同じ場所で集まりました。
東日本大震災の時は、必死になってWEBを頼りにホンダサンの消息を尋ねました。幸いそれが息子さんの友人の目に留まり「本田さんご一家は全員無事です」と書き込んでくれました。
そして「新型コロナ」の大流行。私の手帳は「2020 10/21」と翌年の予定を書いたまま空白になりました。

2020年4月、ホンダサンが亡くなりました。心臓関係の持病がありました。
脳から何かの断片が剥がれ落ちたような気持です。
弔電では「……知的でありながら飄々とした佇まいは誰もが忘れることはできません……」としました。

他のみんなは元気なようです。チュウと、その同級生でいろいろ手伝ってくれたヨシアキにも先日会いました。
私も負けずに頭や体を動かして元気でいようと思います。

(一応 完)