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人工湖にクジラ15頭⁉ 泡と消えた巨大プロジェクト群

新型コロナ禍の長期化もあり、日本経済が本格的な浮揚に至っていないのはご承知の通りです。世代によっては「生まれてから、景気の良い時代なんて経験したことがない」という声もあるかもしれません。

経済停滞が叫ばれて久しい日本ですが、かつてジャパンマネーが世界を席巻した時代がありました。米国の社会学者が「ジャパン・アズ・ナンバーワン(世界の頂点にいるも同然の日本、といった意味)」という本を著したのは1979年のことです。その高度経済成長はやがて90年代初頭のバブル崩壊、その後の長期低迷につながるのですが。

日本企業がバブル景気に踊っていた頃は、国や自治体も競うように、巨額の税金を投入するプロジェクトを次々と生み出しました。それらはバブルがはじけたことで泡と消えましたが(実現したがためにその後、大きな負の遺産となったものも多くあります)、中には、今改めて聞くと「ホントにこんなこと計画してたの⁉」と思うような〝とんでもプロジェクト〟もあります。

今回は私、ぶらっくまが、そんな「夢の跡」をいくつかご紹介します。

クジラやイルカ泳ぐ海水湖 海中トンネルや〝潜水艦〟で散歩…

1989年4月2日付朝刊の記事

 兵庫県が淡路島リゾート構想の中核として整備を計画している「津名国際リゾートアイランド」(兵庫県津名町)の人工島で、甲子園球場の2倍強という全国最大の人工海水湖をもった大規模レクリエーション施設の建設が4月1日、決まった。
 海水湖にはクジラをはじめシャチ、イルカなど600種以上の海洋性動物を自然の状態で飼育。海中に、総延長約500メートルに及ぶ透明トンネルの〝動く歩道〟を張りめぐらし、海底見学用の50人乗り〝潜水艦〟も運航する。総事業費約946億円。平成6(1994)年4月にオープン予定で、完成すればアメリカ、オーストラリアにある「シーワールド」などと肩を並べる世界でも有数の海洋レクリエーション施設となる。
 予定地は同町生穂、佐野沖合に県企業庁が埋め立て中の同リゾートアイランド佐野地区南部約40ヘクタールで、同庁が昨年11月から、民間企業を対象に事業コンペを実施。4社が共同出資する企業体の「シーライフパーク」計画に決まった。
 同計画によると、うち約24ヘクタールをテーマパークゾーンとし、ほぼ中央部に9ヘクタールの人工海水湖(最大水深10メートル)を造成。遠洋、浅瀬、沿岸エリアに分け、なかでも最大の遠洋エリアでは小型ないし中型のクジラ15頭、シャチ4頭、イルカ50頭などを泳がせ、その他のエリアではトド、アザラシ、オットセイなどを、それぞれ自然生態の状態で飼育する。
 海中の〝動く歩道〟は、直系4~5メートルのアクリル製チューブでつくられ、海中で動く魚を見ながら移動できる。また同様の海中チューブの中を小型コースターに人が乗って移動する施設もつくる。〝潜水艦〟は全長13メートル、幅4メートルで排水量106トン。
 テーマパークゾーン以外ではリゾートホテル(計3千人収容)も計画され、企業庁は「関西新空港や明石海峡大橋、日仏シンボルがそろえば、年間400万人の集客数が見込め、十分採算はとれる」としている。

1989年4月2日付朝刊記事より抜粋

記事にある米国やオーストラリアの「シーワールド」も大規模なのでしょうが、ここまで大きくないのでは、と思ってしまいます(すみません、詳しくは知らないのですが)。今なら環境、動物保護的にもいろいろと問題があるような…。この記事の5年後にオープン予定だったことにも驚かされます。

泡と消えた「シーライフパーク」の完成イメージ図(「兵庫県企業庁25年のあゆみ」から)

しかも、記事中の「淡路島リゾート構想」というプロジェクトは、この「シーライフパーク」建設にとどまらず、淡路島の3分の1に当たる約2万ヘクタールを開発し、10年間で約4千億円もの巨費を投じる計画でした。

当時は国全体が空前のリゾートブームに沸いており、淡路島リゾート構想も、この記事の前年の1988年10月に国の承認を得ました。記事末尾の兵庫県企業庁のコメントに、関西新空港(1994年開港の関西国際空港)、明石海峡大橋(1998年開通)と並んで出てくる「日仏シンボル」(日仏友好のモニュメント事業)も、それら大規模事業の一つでした。

「自由の女神像」に着想の巨大モニュメント 未完で幕

高さ55メートル、長さ210メートルの門をイメージした「日仏友好のモニュメント」の完成イメージ図

 1995年1月に淡路島で着工しながら、直後に起きた阪神・淡路大震災の影響で20年以上凍結されていた「日仏友好のモニュメント」事業について、官民でつくる「日仏友好のモニュメント日本委員会」が建設中止を決め、2015年末で解散したことが1月11日、関係者への取材で分かった。兵庫県や日仏政府も支援した建設費200億円の〝夢〟のプロジェクト。未曽有の災害にほんろうされ、震災から21年を前についに終止符が打たれた。
 プロジェクトは1986年、フランスの仏日シンボル協会(フィリップ・ケオ会長)が提唱。フランスが19世紀末、米国に贈った「自由の女神像」にならい、日本に「コミュニケーション」をテーマにしたモニュメントを建設する構想だった。
 同協会は、淡路島を建設予定地として兵庫県に協力を打診。パリでのデザインコンペを経て、89年に当時の経団連会長を会長、貝原俊民知事を副会長に「日仏友好のモニュメント日本委員会」が組織され、日仏友好議員連盟も支援を決めた。
 建設地は大阪湾を一望する県立淡路島公園(淡路市)の丘陵地に決定。巨大な門をイメージし、高さ51メートルのガラス張り支柱4本の上に、長さ210メートル、重さ5千トンのブロンズ碑板を載せ、展望台も設ける構造だった。
 提唱から約8年を経た95年1月12日、日仏関係者約220人が参加し、現地でくわ入れ式を挙行。だが、5日後の17日に震災が発生、事業は休止となった。99年にはモニュメントの大きさを半分にする縮小案が示されたが、震災の復旧・復興が優先されて建設は再開されず、以降は委員会も開かれなかった。
 そして震災から20年が経過した2015年11月、兵庫県の井戸敏三知事ら日本委員会の副会長3人が、建設中止と委員会の解散を提案。全委員と、同協会のケオ会長も了承した。
 副会長3人は解散を呼び掛ける文書で「(発足時の会長、副会長だった)斎藤英四郎・元経団連会長や貝原俊民・前知事が逝去され、事業推進のシンボルを失った」とし、「兵庫はいまだ震災の影響の中にあり、(建設再開の)機運醸成は難しい」と記した。
 井戸知事は事業断念を「震災20年の区切り」とした上で、「これだけ情報化が進んだ時代に、『コミュニケーション』の象徴というプロジェクトを再開するのは難しい」との見解を示した。
 〈日仏友好のモニュメント事業〉 フランス革命(1789年)から200年の記念事業の一つ。淡路島の丘陵地に高さ55メートル、全長210メートルの記念碑を建設する計画。日本委員会は官民約20人で構成し、建築家の安藤忠雄氏らも名を連ねた。建設費200億円の半分程度を兵庫県が負担し、残りは一般からの募金などを見込んだ。明石海峡大橋との同時開業を目指し、近くの淡路夢舞台から全長1.4キロの登山電車の運行も計画された。

2016年1月12日付朝刊記事

友好を示すモニュメントに200億円…。先述の「シーライフパーク」同様、今となっては現実味のないお金の使い方ですが、着工にこぎ着け、式典等も行われていました。震災がなければ、形になっていたかもしれません。

日仏友好のモニュメント建設予定地。設計細部を詰める観測塔が立つ=1993年6月、兵庫県淡路町(現淡路市)
フランス・パリで行われた日仏友好モニュメントのコンセプト・デザイン贈呈式。右端が貝原俊民・兵庫県知事(当時)=1990年1月
兵庫県立淡路島公園に残るモニュメントの礎石。足元の流水プールにフランスの花こう岩約4千トンが敷き詰められる計画だった=2016年1月、淡路市楠本

塩田跡に「甲子園45個分」の巨大リゾート 半世紀経て幻に

リゾート開発が予定されていた姫路市臨海部の航空写真=2018年10月(姫路市提供)

 「住・遊機能を備えた21世紀海洋理想都市」をうたい文句に、姫路市臨海部に広がる甲子園球場約45個分の敷地で計画されたリゾート開発が、半世紀ほどの時を経て廃止される見通しとなった。ヨットを係留するマリーナや水族館、ホテルなどの集客施設に、4千戸超のマンションなどを備える壮大な構想。高度成長期に動きだし、バブル崩壊で頓挫しながらもなお、計画だけが生き続けた。そして今、検討される道路計画によって土地の将来性に再び脚光が当たりつつある。
 姫路市によると、開発計画は山陽電鉄大塩駅の南に広がっていた塩田開発の跡地利用として始まった。敷地面積は約174ヘクタールで、市が主導し、兵庫県は港湾管理者として関わった。
 1971年3月、県の港湾計画に盛り込まれ、12月に市が開発の基本計画を策定。市のほか、銀行や鉄道会社、百貨店など大手企業24社からなる調査会が検討を進めた。
 構想をまとめた90年5月の調査会の報告書によると、同年に開業したゴルフ場を取り囲むようにマリーナや水族館、ショッピングモール、ホテルなどの施設が集積。500戸の一戸建てと3600戸のマンションの住居区画が併設する。
 総事業費は、現在の姫路市一般会計予算の約6割に当たる1350億円で、集客施設の年間利用者数は、姫路城の入城者数の3倍近い450万人と試算。市の担当者は「バブル期とはいえ、計画先行でよくここまで描いたものだ」と驚く。
 構想が公表されて程なくバブルが崩壊し、計画は暗礁に乗り上げる。93年の港湾計画では、マリーナを陸地に造成する「掘り込み」から海上へ広げる「沖出し」に変更。陸地部分の計画面積は29ヘクタールと大幅に縮小された。
 県港湾課によると、用地買収の難航も背景にあったという。担当者は「今なら構想自体が即中止になるはずだが、バブルを引きずり、形を変えてでも残そうとしたのでは」とみる。
 だが、景気低迷が長引き、95年に調査会が解散。事業主体も決まらず、用地買収も滞ったが、市は2010年代に入っても調査費300万円の繰り越しを続けた。地権者への配慮のほか、実現を前提に用地の一部を取得した企業があったことなどから廃止の決断がずれ込んだとみられる。
 構想に終止符を打ったのは、2019年6月の県港湾審議会姫路港部会。県と市が調整し「経済情勢やニーズの変化」を理由に港湾計画から削除する方針が固まった。国の手続きをへて、19年7月末にも正式に廃止される見通しだ。
 一方、〝塩漬け〟が続いた予定地は現在、草地を埋めるように産廃施設や太陽光パネルが広がる。市によると、新たな開発計画もなく、土地利用に大きな変化はなさそうだが、将来性を評価する声もある。
 国が検討を進める「播磨臨海地域道路」(神戸市―太子町)で、予定地周辺を経路が通るとの期待が高まっているためだ。地元の関係者は「都市圏の臨海部でこれほどまとまった土地が残っているのは全国でも珍しい。地域道路の整備が進めば、さまざまな活用策が出てくるだろう」と話す。

2019年7月15日付朝刊記事

この巨大リゾート構想も実現しませんでしたが、計画が持ち上がってから正式に廃止されるまでに約半世紀を要しました。利害関係者が多く、撤退も難しいのが巨大事業です。実際はとうに頓挫している状態ではありましたが。

「21世紀海洋理想都市」といううたい文句は、日本が元気だった頃の勢いとともに、どこか、科学や技術の進展が人類の幸福に直結すると信奉していた時代の空気を感じさせます。いくばくかの物悲しさ、滑稽さを伴って。

このうたい文句が付けられたのは、過去記事によれば、1989年のことだったようです。当時の記事に、姫路市が設置した調査会が「21世紀海洋理想都市」と名付けた中間報告をまとめた―との記述があります。

1989年5月3日付朝刊の記事

淡路島―和歌山間11キロ 夢の海底トンネル

1994年6月9日付夕刊の記事

最後は、正確にはまだ消えていない構想です。上にある1994年6月の記事の主見出しに「たん道路」とありますが、「紀淡海峡連絡道路」「紀淡海峡横断道路」「紀淡連絡道路」などとも呼ばれます。

紀淡海峡とは、兵庫県の淡路島と、和歌山県の間にある幅約11キロの海峡です。和歌山を指す「しゅう」「いのくに」の「紀」と淡路島の「淡」で「紀淡海峡」。その海峡を横断する道路を建設する壮大な構想です。提唱されたのは1965年ともいわれます。

上の記事には、巨大な「紀淡海峡大橋」の完成予想図が付いていますが、関係自治体による「推進協議会」発足を伝える記事の本文では「紀淡海峡を長大橋かトンネルで横断する構想」と書かれています。

記事には「建設省は1991年、調査に乗り出した。92年に策定された第11次道路整備5カ年計画には事業具体化が盛り込まれている」との記述もあります。このわずか9日後の朝刊には、こんな記事が出ました。

1994年6月18日付朝刊の記事

建設省近畿地方建設局(現・国土交通省近畿地方整備局)が「海底トンネル」方式を費用面から断念し、紀淡海峡にある二つの島伝いに3本の橋を架ける方針―との記事です。「うち1本は明石海峡大橋と並ぶ世界最大級の長大橋になることが確実」ともあります。

さらに「5年後の1999年度までの着工を目指し」「完成は着工から10年前後とみているものの、今後の技術開発次第では工期の短縮も可能としている」とまで書いています。

しかしご承知のように、そのような長大橋は今もって完成していません。国が98年に地域高規格道路の候補路線に指定しましたが、その後目立った動きはありません。

ただ、構想は消えていはいません。兵庫、和歌山の地元などでは今も実現を望む声があり、関係自治体や議員、経済界などでつくる推進団体もあります。「紀淡連絡道路の早期実現を」といった看板を目にしたことがある方もいるかもしれません。2019年にはこんな記事もありました。

2019年5月10日付夕刊の記事

兵庫県がまとめた道路整備計画に、紀淡連絡道路など一見、実現性が低そうな7路線がなぜか「構想路線」として登場する、という記事です。県は「今は夢のような計画でも革新的な技術開発などが進み、可能になるかもしれない」としています。技術革新もさることながら、昔と違い、現代では人口減少などの環境変化も大きく影響するのは間違いないでしょう。

〈ぶらっくま〉
1999年入社。紀淡連絡道路については私も、淡路勤務時代にたびたび取材した経験があります。バブル期のリゾート計画と同列には語れない構想ですが、「夢のような」と形容して差し支えないほど実現のハードルは高いでしょう(ちなみに幾多のリゾート計画の背景には、国がつくった「リゾート法」の後押しもありました)。
ただ、いまの時代も巨大プロジェクトがないわけではありません。さしずめカジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)でしょうか。メディアがよく使う言葉に「起爆剤」がありますが(最近は減っているでしょうが)、われわれの税金が投入される事業は特に、費用対効果などを冷静に見ていく必要があります。