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緋色の研究 朝ドラ「スカーレット」:3

承前

 喜美子は信楽という、やきものづくりが生活のかたわらにある環境で幼少時代を送った。一時、大阪に女中として出たのち、信楽に戻ってからは幼なじみの実家でもある大きな窯場で働くことになる。窯場勤めといってもおさんどんのような役割で、職人として下積みの期間を過ごしたわけではない。それが、ひょんなことから火鉢の絵付けに興味を持ち、頼み込んで絵付け師に入門すると、頭角を現していく。
 このように喜美子は、教育制度・職業経験の両面において、陶磁器の製造に関する正規の指導を受けていない。土ひとつこねられなければ轆轤も回せない、焼成もできない。彼女を支えていたのは生来の画才と絶え間なく湧いてくる好奇心・探求心、それに、女性だからと差別することなく柔軟に受け入れてくれた周囲の理解であった。
 そんな喜美子の勤める窯場に、醤油顔イケメンの八郎が赴任してきた。八郎は、京都の学校で陶磁器の製造を専攻した、この分野における当時最高のエリートである。釉薬の調合や焼成に不可欠な化学の知識を豊富に持っており、制作への姿勢も徹底的な理詰め。喜美子とはまったく逆の知性的な存在こそが八郎なのであり、喜美子に陶磁器製造のイロハを教え、足りなかったピースを埋めていく存在でもあった。
 紆余曲折を経て喜美子は八郎と結ばれ、独立して共同で窯場を持つ。八郎の仕事を手伝うなかで、喜美子は土のこね方、轆轤、焼成などの基本的な技術から、八郎の持つ化学的な知識までをひととおり、スポンジのような吸収力でものにしていく。そんな妻・喜美子のサポートもあって、八郎は陶芸家として華々しいデビューを飾る。ここまではまだ、歯車が噛み合っていたのだが……。
 加速度的に技術を習得、熟達させていくのみならず、アーティストとしてのきらめく天分をも徐々に発揮しつつある喜美子と、デビュー以降はぱっとせず、制作に行き詰まってしまう八郎とのあいだに、しだいにすきま風が吹きはじめる。
 やがて喜美子は、まるでたがが外れたかのように、みずからの創作活動に底無しの情熱を注ぐようになっていった。八郎の喜美子に対する恐れや焦燥感はいや高まっていく。こうしてひずみは肥大化していく。
 ただ絵が上手なだけの生娘だった喜美子と、陶芸の技術全般をマスターしたエリートの八郎。その対照的な関係性はものの見事に逆転し、差は広がるばかり。八郎のプライドは、はからずも妻・喜美子その人によって、ずたずたにされていくのだ。
 もはやここから先は伏字つきのダイジェストで示すしかないが、ついに八郎は●●まがいのことをした末に●●してしまう。愚かなる八郎は、喜美子に置いてけぼりにされた、痛ましくてたまらない寂しき人。切実なまでのリアリティをはらんだ人物なのである。(つづく


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