美術館とお寺と猫

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月岡芳年 月百姿 〈前期〉:1 /太田記念美術館

 最晩年の月岡芳年(1839〜92)による傑作シリーズ「月百姿(つきひゃくし)」を取り上げた本展。全100点が、前後期に分けて公開されている。その前期展示のリポートである。  各図は歴史上の逸話、物語の一場面など、古今東西の「月」「夜」にまつわるエピソードに取材している。  《月宮迎 竹とり》は、かぐや姫が月に帰る場面。  なるほど、「月」というテーマにはぴったりで、シリーズに不可欠の1枚といえよう。  このように、現代のわれわれにも、ひと目見ただけで「あの場面だ!」と

    • ライトアップ木島櫻谷 ―四季連作大屏風と沁みる「生写し」/泉屋博古館東京

       近年、スポットが当たる機会が増えつつある京都の日本画家・木島櫻谷(このしま・おうこく)。  櫻谷の代表作を所蔵する住友男爵家のコレクション・泉屋博古館は、再評価の台風の目となっている。その流れに棹さす展覧会である。  代表作とは「四季連作大屏風」と呼ばれている《雪中梅花》(冬)、《柳桜図》(春=下図)、《燕子花図》(夏)、《菊花図》(秋)の4作を指す。いずれも大正中期に、大阪・天王寺の住友家本邸を飾るため制作された屏風だ。  これら4点に《竹林白鶴》(大正12年)を加えた

      • 画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎:2 /静嘉堂文庫美術館

        (承前)  古物のコレクターであった松浦武四郎。愛蔵品に囲まれて昼寝に耽るさまを、不遜にもお釈迦さまの臨終の場面になぞらえてしまった珍妙なる画軸……それが、河鍋暁斎《武四郎涅槃図》(明治19年〈1886〉 松浦武四郎記念館 重文)である。  構想から完成まで、足掛け6年を要したという。その間、「これも足してくれ」「あれも描いてくれ」といった具合で、武四郎からの要望は膨らんでいく。暁斎はずいぶん難儀な思いをして、ぶーたれながら本作を仕上げたとか。  そんな、やっかいな注文主

        • 画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎:1 /静嘉堂文庫美術館

          「画鬼」と「鬼才」の競演……ということだが、「鬼」の連想から「鬼才」をひねり出した点に、並々ならぬ苦心の跡がみえる気がした。「暁斎=画鬼」はごく一般的でも、「武四郎=鬼才」とは耳慣れない。 「松浦武四郎って誰?」との問いには、うまく答えられる自信がもてない。 「好古家の代表」と説明したところで、「好古家」の語を知っている人は、間違いなく武四郎を知っているはず。「“北海道” の命名者」と聞けば関心をいだかれるだろうが、「で、どんな人?」と畳み掛けられたら、また困ってしま

        月岡芳年 月百姿 〈前期〉:1 /太田記念美術館

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          版画の青春 小野忠重と版画運動:4 /町田市立国際版画美術館

          (承前)  藤牧義夫の作品が集中する一角から視線を移したすぐ隣が、また魅力的であった。3点とも畑野織蔵(はたの・おりぞう)という作家の作品だった。  はたのおりぞう……「版画家としての名前かな?」と思ったくらいだが、そういうわけではないらしい。  織蔵は、現在の相模原市内にあたる串川村の出身。山間部で、隣の八王子と同じく養蚕や製糸のさかんな土地柄であるから、ご両親としては、将来は優秀な機織りになってほしかったのかもしれない。  名前の勘ぐりはこれくらいにして……織蔵の作品

          版画の青春 小野忠重と版画運動:4 /町田市立国際版画美術館

          版画の青春 小野忠重と版画運動:3 /町田市立国際版画美術館

          (承前) 「新版画集団」および「造型版画協会」の作家たちに関して、次のように書いた。  今回は、予告どおりに数名の版画家をご紹介してみたい。  いずれも、ウェブで検索を試みたところで、略歴すら見つけられない作家たちである。  まずは、武藤六郎という人物。  《東京駅》(1932年 町田市立国際版画美術館)は、東京駅の赤煉瓦駅舎と街並みの遠望を画面下に配し、中央をがらんと空ける特異な構図が目を引く。この余白に、情趣を感じさせる絵だ。  上端には、薄くグラデーション

          版画の青春 小野忠重と版画運動:3 /町田市立国際版画美術館

          版画の青春 小野忠重と版画運動:2 /町田市立国際版画美術館

          (承前)  藤牧義夫の作品は、版画・ポスターを合わせて23点。新版画集団の活動を順に追う全体の構成に沿って、年代ごとに登場した。  機関誌『新版画』には、会員たちの版画が貼り込まれている。  4号に収録の《御徒町駅の付近で 東京夜曲A》(1932年 神奈川県立近代美術館)。所蔵先のデータベースはなぜかモノクロ画像のみだが、緑系統に彩色されている(以下は参考画像)。  国鉄の高架下をくぐっていく、路面電車。架線が「バチン!」とスパークするその瞬間を描く。  アメ横が

          版画の青春 小野忠重と版画運動:2 /町田市立国際版画美術館

          版画の青春 小野忠重と版画運動:1 /町田市立国際版画美術館

           本展には、長い副題がついている。  メインとサブのタイトルが示すとおりに、本展は小野忠重(1909~90)をボスとした「新版画集団」とその後継「造型版画協会」を扱う展示だが、以下のように言い換えたほうが通りはよさそうだ。  小野は版画家であるとともに版画史の研究者・評論家で、むしろそちらのほうで名前を残した感が強い。  それは、わたしがこの人物を本の著者として長らく認識し、実制作者としての顔に気づいたのがずっと後だったことも関係しているのだろうが、同じような人は他にもけ

          版画の青春 小野忠重と版画運動:1 /町田市立国際版画美術館

          テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本 /パナソニック汐留美術館

          「テルマエ」とは、古代ローマの公共浴場。厳格な階級社会のガス抜き策として、市民に広く提供された娯楽のひとつである。  本展では、古代ローマ市民の暮らしと楽しみを枕としてテルマエの詳細に迫り、日本の「お風呂史」についても駆け足でみていく。ナビゲーターはもちろん、マンガ『テルマエ・ロマエ』のルシウスだ。  最もよく知られるテルマエが「カラカラ浴場」。展示室に入ると、《カラカラ帝胸像》(212~217年 ナポリ国立考古学博物館)が出迎えてくれた。テルマエは階層の垣根を超えて

          テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本 /パナソニック汐留美術館

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:2 /練馬区立美術館

          (承前)  2階の展示室。極彩色のスケールの大きな作が多数を占めるなか、淡彩の《岐蘇川(きそがわ)図巻》(1921年 長野県立美術館)が、ひときわ異彩を放っていた。  江戸時代の紀行文に触発されて、岐阜の八百津から愛知の犬山まで木曽川をみずから下った体験をもとにしている。バイタリティあふれるよいエピソードであるが、それを縦63.3センチの紙、「天」「地」「人」の3巻分にわたって描きつらねてしまうのだから、これまたとんでもないバイタリティだ。  画巻を見守るように壁際を

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:2 /練馬区立美術館

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:1 /練馬区立美術館

           そんなふうに感じた、そこのあなた。  無理もない。池上秀畝(しゅうほ 1874〜1944)は、生前はともかく、没後長らく等閑視されてきたマイナーな画家だ。生誕150年を機に、その顕彰と復権に努めんとするのが本展である。  まずは騙されたと思って、本展のPVを下のリンクから再生してみてほしい。ほんの33秒の短い動画だ。  ……カッコいい。  絵については部分図が多く、それぞれが一瞬なので正直よくわからないけれど、ただただカッコいい。あえていえば「無駄にカッコいい」力作映像

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:1 /練馬区立美術館

          中国陶磁の色彩 2000年のいろどり /永青文庫

           東洋古陶磁は、主に2つのカテゴリーに分けられる。「鑑賞陶磁」と「茶陶」である。要は茶の湯に使えるか、使えないか。  もちろん、双方にまたがる例や、煎茶器のようにどちらでもない作も少なからずあるけれど、おおまかにいってこの2つだ。  細川侯爵家の伝来品から、中国古陶磁をピックアップする本展。  そのリストは、大名家の御道具としての「茶陶」と、近代になってから買い足された「鑑賞陶磁」からなっている。とりわけ、後者が多くのウェイトを占めていた。  唐三彩と清朝磁器に、名品が目

          中国陶磁の色彩 2000年のいろどり /永青文庫

          没後50年 福田平八郎:6 /大阪中之島美術館

          (承前)  平八郎の「題材のおもしろさ」に関しても、ぜひ触れておきたい。「なかなか思いつかないよな……」というモチーフを、平八郎はしばしば絵にしている。  まずは《氷》(1955年 個人蔵)。  庭先の手水鉢にできた氷の割れ目が、本作の着想源という。  冬場、水の入ったバケツを戸外に放置しておくと、こんなふうに氷結することはたしかにあるものだ。ふしぎな絵だが、聞けば「なるほど」と思える。  平八郎は、テレビに映った天気図をよくスケッチしていたともいい、本作には手水鉢の

          没後50年 福田平八郎:6 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:5 /大阪中之島美術館

          (承前)  代表作《漣(さざなみ)》がそうであるように、平八郎の視点はとてもユニーク。とくに、対象のトリミングの仕方には独特な感覚がうかがえる。  主に戦後の作品にその特徴が顕著だが、わたしが会場で初めてはっとさせられたのは、昭和18年(1943)の《山桜》(大阪市立美術館)だった。  みなさんはきっと、山桜が咲き誇る姿を思い浮かべておられることだろう。だがこの絵には、3本の幹だけが描かれている。散見される赤い葉と樹肌から、秋頃の山桜だとわかる。  季節はずれの桜の、幹の

          没後50年 福田平八郎:5 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:4 /大阪中之島美術館

          (承前)  《青柿》(下図。1938年 京都市美術館)では、輪郭線にあたる箇所を残し、その内側が彩色されている。「彫塗(ほりぬり)」と呼ばれる彩色技法で、これにより面的な表現が可能となっている。  葉脈など一部の線は、金で加飾。葉の存在感と典雅さが際立つ。  《花菖蒲》(1934年 京都国立近代美術館)にも、同じ手法を駆使。  こういった、色面を強調する区画立った表現から思い出されたのは、古清水の陶器に施された色絵金彩であった。  平八郎の活動拠点は京都であり、こ

          没後50年 福田平八郎:4 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:3 /大阪中之島美術館

          (承前)  写実表現の部屋を抜けたところに、あの作品が現れた。《漣(さざなみ)》(1932年 大阪中之島美術館 重文)。  昭和7年(1932)、平八郎は恩師からの誘いをきっかけに、魚釣りに没頭。釣りは生涯の趣味となり、しばしば制作の着想源ともなった。  《漣》は、釣りを始めた同年、琵琶湖の湖面を見つめながら、ふと着想に至ったもの。釣果のほどは芳しくなかったようだが、水面のおもしろさを発見できたことは、違った形で発現したビギナーズ・ラックとでもいえようか。  使われる

          没後50年 福田平八郎:3 /大阪中之島美術館