見出し画像

緋色の研究 朝ドラ「スカーレット」:5

承前

 半年間続いた物語のラストシーン。窯焚きのシーンで、芸術家の燃えたぎる情念は最高潮に達する。
 困難、犠牲すら養分にして、自分の芸術に向き合う。喜美子のように度を過ぎてしまえば、社会通念上かならずしも褒められた行動ではないかもしれない。それでも、いくら非常識と言われようと、全力を傾けることをやめられない……凄絶なまでに追求する姿がこれから先も続いていくであろうことを予感させて、映像は途切れる。

 涙が止まらなかった。
 多くの視聴者は、直前の●●が●●●●●●●●たあたりで涙を誘われたことと思う。わたくしとて人の子、その気持ちは痛いほどわかるのだが、個人的にほんとうに胸を打たれたのはむしろそのあとの、このラストシーンだったのである。
 ここには、陶芸家の執念を描く挿話の古典的な類型、すなわち戦前の修身の教科書に掲載された柿右衛門が柿の木の柿色を表現するため苦闘する寓話や、同じく教科書に載った岡野薫子「桃花片」に描かれるような「炎の陶芸家」像が投影されてはいるのだが、そこに性差の別はない。
 「スカーレット」は、暗闇のなかで燃えつづけてけっして消えない、静かなる炎のようなドラマであった。

 ――朝ドラ「スカーレット」について長々と投稿してきた。
 「芸術家の物語」という本筋に気を取られるあまり、おのずとシリアスな書きぶりとなってしまったのだが、「スカーレット」は笑えるシーンや和めるシーンも光るドラマだった。
 最初に触れたように、喜美子の幼なじみを演じた林遣都と大島優子の明るい演技は癒しだった。●●●の●との結婚を認めてもらおうと必死に立ち回る林遣都、ほっかむり、野良着に籠を背負ったいでたちで野菜をおすそ分けにやってくる大島優子の姿はとくに印象深い。また3バカそろい踏みの気のおけない会話は、同じく二姫一太郎のスリーピースであった「ひよっこ」のトリオを彷彿とさせ、ほっこりさせられたものである。
 喜美子が大阪で下宿屋の女中をしていた頃の下宿人・優しい優しいちや子さんもまた、よき箸休めの役割を果たしていた。ちや子さんはいつも、ふらりと喜美子のもとにやってくる。忘れたころに、そして、喜美子が苦しんでいるときにかぎって姿を現し、ヒントのようなものを残して帰っていくのだ。おまけに彼女自身が会うたびに少しずつえらくなっている。喜美子にとってはお姉さんのような少し年上の身近な女性であり、それぞれの理想に向かって高みを目指す同志ともいえるのだろう。
 こういった明るいシーンとシリアスなシーンが縦糸・横糸となって、喜美子の人生が紡がれていく。

 なお、タイトルの「緋色の研究」は単なるもじりであり、探偵小説とは関係がない。(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?