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マスターソードは「借りた力」である

剣を授かる儀式

「初めてゼルダの伝説を作った時、マリオと違って何をしていいかわからないという意見が多かった。なのでまず剣を老人からもらうことにして、そうするとプレイヤーはこの剣を使って何かをすればいいんだなとわかるんですよ」

ってなことを、生みの親である宮本茂さんがある記事で語っていました。つまり当時は、ゲームの導入をスムーズにするための工夫の一つであったということです。
しかし私はここ最近、この「剣を授かる儀式」に別の意味を見出してきているのです。


※以下、作品のネタバレを含みますのでご注意ください。

リンクは丸腰でスタートする

ロックマンははじめからバスターを装備しているし、シモンはムチを持っている。彼らはゲームスタート時から戦士なのです。

だが、リンクはそうではない。リンクははじめは無力なプレイヤーの分身として存在し、剣を授かることで戦士となる。つまりこの剣は「借り物」であり、いつかは返さないといけないものなのです。

借り物としての剣

「時のオカリナ」のラスト、ガノンとの対決のシーンでリンクはマスターソードを弾かれ、一時的にではあるが剣のない丸腰の状態に戻されてしまいます(まあ他の武器は普通に使えるのですが)。
それまでの冒険で最も頼れる相棒だった剣は、決して自分自身の力などではなく「借り物」だったのだ、ということをここで気づかされます。

ここで話が盛大に逸れます。
ジブリ映画「魔女の宅急便」で空を飛べなくなったキキが、友達を助けるためにそのへんにあるデッキブラシで空を飛ぶシーンがあります。母親からもらった借り物の力としてのホウキではなく、自分の力だけで目的を達成しないといけない試練の時です。
リンクがマスターソードを失うのは、これに似ている気がします。

ゼルダの伝説は、次々と与えられる試練を乗り越えていくゲームだと言えます。最後の最後でも「マスターソードが使えない」という難題をプレイヤーに与えます。このとき妖精のナビィに助言を求めても「弱点なんてわからないよ!」と言われ、プレイヤーは自分一人で知恵を絞り工夫をこらして、ガノンの倒し方を見つけないといけません。

そして戦いの後、リンクはマスターソードを台座に残し去っていく。
ゲームを終えたプレイヤーは、リンクと同じように借りていた「力」を返し、現実の世界へ戻らないといけない。

もう20余年も前のあの日に、少年がこの世界から何か持ち帰ったものがあるとすればー
それはほんの小さな「知恵」と「勇気」だったのかもしれません。

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