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SNS時代だからこそ再読したい「嫌われる勇気」〜悪口に悩む人に贈る言葉〜

救急外来の夜勤帯は、多忙すぎる時とそうでない時の落差が激しい。
ほっとするその束の間、読書し、執筆するのは、自分にとって何よりマインドフルネスな時間です。
さて、10月27日から11月9日の読書週間、いつもよりギアを入れて読書するように努めています。
今回読んだのは、「嫌われる勇気」。
言わずと知れた、アドラー心理学の人気を不動のものにした大ベストセラーです。

筆者はこの本を学生時代に初めて読み、深く心を打たれました。
相手の目を意識しすぎて自分のやりたいことができないなんて、自分の人生なのにすごく勿体無い!」と学生時代気づけたのは、本当に幸せなことだったと思います。早いもので当時から7、8年の月日が経ちました。

ところで昨今はSNS上で、たくさんの他者の言葉が氾濫する時代です。
建設的な意見や批判ではない、目を疑うようなただの悪口が、平気で飛び交っています。
匿名という心理的安全性と、目の見えない相手へのリスペクトの欠如がそうさせるのでしょうか?
そんな悪しき言葉に疲れた人にこそ、まさに「嫌われる勇気」が必要なのかもしれません・・・。

そんな思いで、「嫌われる勇気」に登場する名言を紹介していきたいと思います。


名言①「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである
(中略)
「われわれは過去の経験に『どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。」

「嫌われる勇気」 第一夜「トラウマを否定せよ」
p30 「トラウマは、存在しない」

「経験それ自体」に、プラスもマイナスもないとアドラーはいいます。
「経験に自分が与える意味」によって、自らを決定するのだと。
それならば、意味を与える自分の心一つ。

たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」(フランクル「夜と霧」より)

大戦中のユダヤ人迫害のドキュメンタリーでもある名著「夜と霧」(フランクル)のこの言葉を、私は思い浮かべます。
このような限界状況でも、人は凄絶な経験にさえ意味を与えて、前を向いて生きていくことができるのだと、フランクルは示してみせます。

ならば、今を生きる私たちが、自らの経験に自分で意味を与えて、前を向いて生きていくことができないはずがない。そんな勇気が湧いてきます。
まさに、過去の経験に自分がどんな意味を与えるのか、ということが問われているのだと。

名言②「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、『理想の自分』との比較から生まれるもの」

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、『理想の自分』との比較から生まれるものです。」
(中略)
「われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。」

「嫌われる勇気」 第二夜「すべての悩みは対人関係」
p92-93  「人生は他者との競争ではない」

誰かの目を気にするという背景には、誰かと勝ち負けを争ったり、順位を競争したりという意識がどこかにあるからかもしれません。
人生を勝つ、負けるという単純構造で考えると、とてもしんどくなります。
だって、人生というものが楽しむどころか、常に競争大会真っ最中の、心休まらぬ日々になってしまいますから。
心休まらぬ日々だと、どうしても楽な方に走りがちです。
自分が努力することよりも、敵である他者のレベルが落ちればいいと考えるようになっては元も子もありません。それは悪口の元凶にもなりえます。

でも、比較対象はただ1人、自分だけだとしたら。
1日1日、匍匐前進でもいいから、前へちょこっとでも進めば万々歳。
その積み重ねは、確実に自分への成長へつながっていきます。
心穏やかに、自分の成長が望める唯一の方法は、人生は他者との競争だという考えから解放されることです。

名言③「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる」

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。」

「嫌われる勇気」 第三夜「他者の課題を切り捨てる」
p135  「あの人の期待を満たすために生きてはいけない」

われわれは『他者の期待』を満たすために生きているのではない
(嫌われる勇気 p135)

他者から承認されることを求めるあまり、他者の目線や評価に従って、本当に自分がしたいことができなくなっていく・・・。
これほど悲しいことって、他にあるでしょうか。
たった一度きりの、自分だけの人生なのに。

公共の福祉に反する行為は別として、自分を信じてやった行為に対しての「〜〜すると、こう思われるよ(笑)」「〜〜するなんて信じられない!笑われているよ(笑)」という嫌味なんて、自分の人生を縛る枷にしてはいけません。
自分が生きているのは自分の人生であって、他者の人生ではないのですから。「あなたの期待を満たすために、私は生きているわけではありません」と(面と向かっていうのはおすすめしません。スルーしましょう)。

それに、他者の目線や評価って、時代によっても、環境によっても、結構変わるもんですよ。所詮、それだけ脆いもんです。

名言④「自分の信じる最善の道を選ぶこと。その選択について他者がどのような評価を下すのか。それは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話」

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。
一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか
これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です

「嫌われる勇気」 第三夜「他者の課題を切り捨てる」
p147  「対人関係の悩みを一気に解消する方法」

変えられないことを受け入れる平静さ、
変えるべきことを変える勇気、
それらを常に見分ける叡智。

これは「嫌われる勇気」本文にも登場する、「ニーバーの祈り」と呼ばれる一節です。
相手を変えることなんてまず無理だし、自分にどうにもできないことをいつまでもくよくよ考えていたってしょうがありません。
自分がベストを尽くした結果が、相手にとっては不服なものだったとして。
悪口が飛んできたとしても、それはもう自分ではどうしようもないことです。
そこから先は、「相手の課題」と認識して、自分の手に負えないと潔く諦めましょう。
それよりも自分にできることのみに注力し最善を尽くすことの方が、よっぽど生産的だし、よっぽど心が軽くなると思いませんか?

名言⑤「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないこと」

「わたしが『いま、ここ』を真剣に生きていたとしたなら、その刹那はつねに完結したものである」
(中略)
人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです。」

「嫌われる勇気」 第五夜「『いま、ここ』を真剣に生きる」
p 275 「人生最大の嘘」

人生はよく、旅にたとえられることがあります。
旅は、目的地にいかに早く確実に辿り着くか、ということよりも、いかにそこに至るまでの過程を楽しみ、満喫するかということに主眼を置きますよね。
人生が旅のようなものなら、その最終目的地は死に相違ありません。
ならば一層、そこに至るまでの過程を充実させようと思えてきます。

ここで、目下の未来の目標をとりあえずの目的地に据えるとします。
もし、「いま、ここ」をその未来の準備だけの日々という認識しかなかったら?
残念ながらその夢が破れた時、今までの自分が歩んできた道のりすべてを否定することになるのでしょうか?

人生は予想外の出来事の連続です。
スティーブ・ジョブズの名言”Connecting the dots"のように、過去の経験が思いもよらぬところで、結果に結びつく瞬間が訪れることもあります。
ただし、それが訪れるのは、「いま、ここ」を真剣に生きた者だけです。
充実した「いま、ここ」の連続、それが人間にできるベストではないでしょうか。

悪口に苦しむ人へ、特に伝えたいこと

攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪いわけではない
(中略)
物事の一部分だけを見て、全体を判断するのは、人生の調和を欠いた生き方である。

「嫌われる勇気」 第五夜「『いま、ここ』を真剣に生きる」
p 245-246 「ワーカホリックは人生の嘘」

この世の全ての人間に好かれている人間、そんなものは存在しません。
どんなに立派で素晴らしい人でも、その人のことを嫌う人はほぼ確実に存在します。そしてこの世の大多数が、好きでも嫌いでもないその他大勢です。

SNSなど顔の見えない言葉の海のなかでは、悪口だけが強烈にスポットライトを浴びているかのように視界に飛び込んでくるものです。
でも、その悪口を言っているのは、全世界のごくごく少数だけ。
あとの人たちは何の関係もないその他大勢と、あなたの味方です。
そんなごく少数派だけに注目して「みんな私を笑っている」なんて、思う必要はないのです。
スポットライトの当たっていないところが、世界の大多数ですよ。

まとめ

「そこで、アドラーは『一般的な人生の意味はない』と語ったあと、こう続けています。『人生の意味は、あなたが自分自身に与えるもの』だと。」

「嫌われる勇気」 第五夜「『いま、ここ』を真剣に生きる」
p 278 「無意味な人生に『意味』を与えよ」

自分の人生の意味は、他の誰かからではなく、自分自身が与えるもの。
自分が「いま、ここ」をどう生きていくかは、他でもない自分自身が決める。他の誰にも決めさせないこと。


もし、あなたが理不尽な悪口を受けているのなら。
大丈夫、無視で全くもって大丈夫です。
あなたの味方は、きっとたくさんいますよ。
まずは自分と、そんなあなたの味方の方に、全注意を向けてみてくださいね。

SNSの言葉の海の中で、自分の人生を見失わないために必要なものこそ、「嫌われる勇気」ではないでしょうか?
他者にどう思われるかより先に、自分がどうあるかを貫けていけたらいいな
と、常々思います。


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