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境部臣摩理勢の破滅(四・完)

山背大兄やましろノおおえは、弟や妃が必ず王位にけよとしきりに励ます声も今は忘れて、
「いろいろな悪いことをせず、善いことのみしなさい」
という亡き父の言葉を反芻していました。思えば父は臨終のきわまで、王位をゆずられぬまま死ぬことを不平とせず、ただ仏の教えにしたがうことをよろこびとしていたものです。この精神こそ自分が父から継いだものなのです。そうであれば、王位継承のことで争いが起こることなどは、なんとしても防がねばなりません。

蘇我そがの里の家に戻った摩理勢まりせは、蝦夷えみしがどう出るのか待ちかまえています。さき氏上こノかみであった馬子うまこの墓造りを妨げられた以上、蝦夷は今の氏上として黙ってはいられないはずなのです。

翌日の朝すぐに、豊浦とゆらからの使いが来て、蝦夷の手紙が摩理勢に届けられました。こうあります。

「わたくしは叔父上のなさったことが妥当でないと思いますが、一族の長老でいらっしゃるのでただちに責めることはできません。
わたくしとしては、もし他の人々が良からずして叔父上が正しいときは、必ず人々に背いて叔父上に従いましょう。しかしもし人々が正しくて叔父上が良からずば、もう叔父上に背いて人々に従います。
そこで叔父上もお従いにならなければ、わたくしと叔父上とのあいだに隙ができましょうし、国にもまた乱れることがありましょう。
さればやがて後の世の人の言うことには、われら二人が国を破ったとも云われましょう。これは悪しき名を伝えることです。
叔父上にはくれぐれもよく気を付けられ、良からぬ考えを起こされませぬように」

摩理勢はこれをざっと読んでしまうと、
「わたくしは蘇我一族のために正しいことをこの甥に教えようとしているのです」
と言い、矛を持たせた八十人の手勢を引き連れて北へ向かいました。

斑鳩宮いかるがノみやで、山背大兄は前触れなしに、蝦夷からの急な使いによって、その手紙を受け取りました。それにはこうあります。
「このごろ摩理勢はやつかれと仲違いをして、泊瀬王子はつせノみこの宮にかくれました。願わくは摩理勢の身柄を給わりまして、その是非を処断したく思います」
そこで大兄が和慈古わじこに事を問うと、たしかに斑鳩宮に附属する弟の宮に、摩理勢が布陣をしている所だと言います。ようやく大兄は事態の退き引きならぬことを知り、蝦夷へは、
「摩理勢はもともと父上がかわいがっておられたものですから、そのことを偲んでしばらく寄っているだけでしょう。どうして叔父さんのこころたがうことがありましょう。どうか責めずにおいてくれますように」
と伝えるよう使いの者に言い付けると、慌てて弟の所へ向かいます。摩理勢は泊瀬王子に従い、大兄を上座に迎えました。大兄は弟が何かを言おうとするのを待たずに、摩理勢に対して、
なんぢが父の恩を忘れずに、こうして支えてくれることをうれしく思います」
と切り出し、こう続けます。
「されど、わが身一つのために国が乱れようとしています。父もみまかろうとなさったとき、『いろいろの悪いことをせず、善いことのみしなさい』とわれらにのたまいました。わたくしはこの御言葉を承って、心に永く戒めとして刻んでおります。それで王位を田村に譲るとしても怨むものではありません。
またわたくしは蝦夷と争うことも耐えがたく思います。今からは憚ることなく心を改めて、他の人々の言う所に従いなさいませ。さすれば、蝦夷との事が収まるまで、ここに居てもよいでしょう」
和慈古も摩理勢に、大兄の仰せに違うことのないようにと勧めます。

摩理勢はそこで、もはや大兄を利用できないだろうことを知ると、次に泊瀬王子を担ぐことを考えました。大兄が王位の相続を放棄するなら、次には泊瀬王子がその権利を主張しうるのです。大兄もそのことを案じて和慈古に、弟が軽はずみなことをしないよう、後見うしろみをしてくれるようにと言い付けました。

十日ほどして、泊瀬王子は急にやまいおこして、そのまま息を引き取ってしまいました。

摩理勢は、今や王位継承の問題を自分のために利用できなくなったことを知り、長男の毛津けつを呼んで用事を言い付けると、わずかな従者だけを連れて、蘇我の里の家に帰りました。

蝦夷はいよいよ摩理勢を殺さねばならないと考え、八十を数える手勢を率いて、摩理勢の家が見える所まで来ました。そこからは二人の武士ものノふにだけ両脇を衛らせて進みます。摩理勢は次男の阿椰あやとともに太刀を帯びて、門から出て蝦夷を迎えました。

「叔父上におかれてはお元気にすごしておられますか」
「わたくしは変わりありません」
「この甥もいつもどおりです」
と常の例のように挨拶を交わすと、蝦夷は本題を切り出します。

「叔父上はなにゆえに墓造りを引き揚げられたのでしょうか」
「わたくしにはそうすべき理由があります」
「それはいかなることでしょう」
「とぼけるのはおよしなさい、甥よ、その身に憶えがあるはずです」
「わたくしのほうに罪があると言われるのですか。それは憶えのないことです」
「おまえが無いと思うのなら、この老いぼれを斬りなさい」
摩理勢は道ばたの樹の根本に、どっかと坐りこんで腕組みをします。

「わたくしは叔父上を斬りたくはありません。どうか心を改めて、墓造りに人手を戻してはくださいませんか」
「それはもうできないのです」
「なぜでしょう。そうなると、わたくしは蘇我の氏上として、あなたとその妻子をも殺して、領地と領民を取り上げねばならなくなりますが、それは忍びないことです」
と言って蝦夷は哀しそうな顔を作ります。

「それはできぬことです」
そう摩理勢は言って、こう続けます。
「わたくしの領地と領民は、そっくり法隆寺いかるがでらへ喜捨してしまいました。仏の御為に施入せにゅうしたものを、いかに国の大臣おおおみとて取り上げるわけにはいきますまい」
「何を言われるのです。叔父上はもう一切の富をお持ちにならないのですか」
「わたくしが引き揚げただけの人手は、おまえが出すよりほかありますまい。わたくしはそれをおまえの罪の償いと思い、名と魂を清くして死ねましょう」
蝦夷はその言葉を聞くと、後ろへ戻って一人の部将を呼び、手抜かりせず塩の詰まった桶を持ち帰るように命じました。そして馬に跨って豊浦へ向かい、目の上の瘤が取れる快さに任せて、ゆるゆると家へ歩いて行きました。(了)

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