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ぼくは関係性が認識できません。

今日は、とある告白をしようと思う。



ぼくは「関係性」が認識できない。


というのも、家族は血のつながり、夫婦も婚姻届、恋人も日本では「告白」が一般的で。いわゆる広い意味での、契約関係にある。

しかし、友だちや親友、知り合いに契約関係はない。みんな「友だち」と「親友」や、「友だち」や「知り合い」を自然と使い分けをしているが。僕にとって、親友も友だちも知り合いも。頭の中で、ぜんぶ区別が出来ない。

初対面の人と、10年近くの付き合いになる人との話の内容の濃さも大して変わらない。それもあってか、中々「親友」や「友だち」というものが出来ない。と思っていた。

ちなみに、家族やパートナーは認識できる。だからこそ、とてつもなく大切な存在だ。

認識できないのは、友だちや親友だ。ふとした瞬間に「あれ、友だちいたっけ...?」という気持ちになる。

こんな気持ちを消化するために、じぶんの内側を何人かに話してみた。「じぶん、関係性が認識できないんだよね」って。そしたら、共感してくれた人がいた。昔そうだった人もいた。

少し心の距離が近くなれた気がした

しっかりしなきゃ。嫌われないように。余計なことは言わないようにと。とにかく人間関係を完璧にコントロールしようとしている自分がいた。

けど、苦手な人とはニコッと挨拶するだけで話さないでいいし、じぶんが居心地が良いと感じる人にはもっと気持ちを話す。オープンマインドというか、言いにくいことを言うに近い。

でもやっぱり違う気がしてきた

でもやっぱり、なんだか一周回って、別にそういうカテゴリーも関係ないような気もしてきた。そもそも、そこに人がいて、じぶんがいる。そこにコミュニケーションがうまれて、互いの言葉と感情が交差する。

やっぱ愛だな

目の前の人に、愛をもって接する。じぶんの主張はするんだけど、それは相手に優しい言葉で、ストレートに伝える。仕事で動いてくれない人がいたら「なんでやらないの?あの人」「やってほしい」じゃなくて、「一緒にやろう」「手伝ってくれると助かる」など。愛をは、ちょっとした言葉の節々にも現れてくるんだろうと思う。

なんの話だっけ

まあいいや。人とじぶん、以上。そう思っておくことにします。でもやっぱ契約関係がないのは、頭の中で認識できないから難しいなぁ。

ちなみに

このテーマについて、はるかちゃんに話したら、彼女は「私もある。ドラマとか見ると、友だち像のようなものを見せられるから、その影響も大きいかも」と言っていた。

確かに、確かに!!!!!!!

アニメやドラマって分かりやすい「友だち」や「親友」が出てくる。絶妙な関係という人が、構成上、全てカットされているのだ。しかし、実際の人間関係というのは、もっと複雑で、絶妙なバランスを保っていると感じる。うーん、面白い。またこのテーマについて誰かと話したいな。

あ、そういえば

さいきんインド人と話したんだけど、会った次の日に「Hey bro!!」と自分に声をかけてきた。日本語訳は難しいが、よお!兄弟。のようなニュアンスだ。

思えば、幼稚園生の頃って「友だちになろう」、「うん、いいよ」と。そんなやりとりをしていた記憶があるような、ないような。

色んな記憶と、今回のインド人からの「Hey bro」、何人かとこのテーマについて話した結果。自分の中で、ひとまず次のような結論が出た。

結論「Hey bro!!」

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