億り人になってからの憂鬱なお金の話
億り人になったといっても仕事をしながら運用している人もいれば、私みたいに基本家でぼけーっとしている人もいると思う
身内に一人も投資だとか運用をしている人がいない私は、当然のごとく結婚しても共働きで働くものだと思われていた
苦手な集団生活から逃げるために、投資を選んだ私は迷うことなく投資のみでお金を稼ぐことにした
そんな私を誰よりも批判したのは、両親と母方の祖母でニートだ、社会の敵だと罵られた
母は専業主婦だったけれど、女で大学まで卒業しているのだから一生働きなさいという考えだった
私がその考えを受け入れないと知ると、今度は資産状況を根掘り葉掘り聞いてくることになった
心配してくれているのだろうと思っていた私は、たまの質問に答えていたけれど、徐々にそれも雲行きがあやしくなった
次は私のお金の使い方を全否定してくることになった
車は外車じゃないとお金持ちとは言わない、豪邸を買えと言っては土地価格ぼったくりの売れ残った1億円くらいの家をすすめてくる
とにかく派手なお金の使い方をしていない私は、結局貧乏人だと決めて、1億円もってる人間だとは認めず、自分達の方が素晴らしい人生だと価値観を押し付けてくる
それまでに誘導や直接的なお願いでお金や時間を提供した回数は数えたくない
昔からそうだったので、違和感なく過ごしていたが5000万円ほどに資産が増えたあたりから、不信感がようやく生まれた
お金の話はしないようにしようと学習できた私だけれど
そうすると、私の実家では会話が成立しない
直接誉められたことはないけれど、近所の人や知らない人にまで娘や孫が投資で成功しただの触れ回っている材料が集められないとイライラされる
そして、自分達の思い通りのお金の使い方をしていないと怒り出して説教が始まる
他人に自分のことを誉められたいがために生きているような人たちなので、仕方ない
そして、私は非常に愚かなことに、お金さえあればCMに出てくるような親子関係ができあがるのだと思っていた
お金があれば夫婦喧嘩なんて起こるわけない、お金があれば夫婦円満に決まっていると、ことあるごとにお金のせいにしていた母を見て育った私は、お金に期待していた
せめて標準
標準くらいお金を稼げば、家族仲良く生活できるんだ
という価値観のもと、育ってしまった
貧乏だった実家は、標準家庭にまでなっていたけれど変わらなかった
お金だけでは幸せになれないと気付いた時に、ゾッとして旅行や人にお金を使うようになった
ブランド品にも手を出した、ミラノやパリの直営店に何度も買い物へも行った
とにかくお金持ちがしていることを真似していった
ただ、一時的な満足感は得られるけれど、その行動も結局両親や祖母に喜んでもらうためだったと分かった時には泣いた
5000万円から今にいたるまでは、もがき続けていた
今、人生で初めて3週間も両親と会っていない
ほぼ毎日しなければいけなかった母への連絡も3週間していない
最初は自分の行動にパニックになったけれど、距離をおいてようやく好きなこと探しをしてみようと思えるようになった
自分達の思い通りのお金の使い方や時間の使い方をしていなければ、怒り出して不機嫌になる人と関わらないでいい
ようやく穏やかな感情が流れた時間の中で、焦ることもあるし毎日困っているけれど、好きなことを見つけたい
今日は、好きな場所に住んでみたいという感情も初めて芽生えた
憂鬱な中にも、ちょっと兆しが見えた気がする
1億円の資産を持ったものの、特にしたいことや欲しいものももののみごとに消え去って、困りつつ焦りつつもがいている主婦でございます。