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BLEACH 獄頤鳴鳴篇 考察~仏教行事「施餓鬼会」で読み解く魂葬霊祭~

はじめに

7月に入り、お盆が近づいて参りました。

お盆前の7月〜8月初頭にかけて、多くの寺院で行われている行事として、「施餓鬼会(セガキエ)」というものがあります。通称は、「お施餓鬼(オセガキ)」です。

本記事では、この「施餓鬼会」の儀礼的意味から、BLEACH 獄頤鳴鳴篇で描かれた「魂葬霊祭」について考察してみたいと思います。

結論から言うと、この施餓鬼会と魂葬霊祭は、非常に対比的に描かれていると思います。

・お世話になった先祖を供養する「施餓鬼会」
・お世話になった隊長を地獄に落とす「魂葬霊祭」
ですから、なんとなく対比的なのは、想像つくかもしれませんが、

決して、それだけではありません!

詳しく説明していきましょう。

BLEACH 獄頤鳴鳴篇とは

BLEACH 獄頤鳴鳴篇は、BLEACH本編完結後に、少年ジャンプ2021年36・37合併号に掲載された読み切り漫画。

BLEACH20周年を記念したもので、
掲載された少年ジャンプの発売日は8月10日という、
偶然なのか、狙ってなのか、まさにお盆直前でした。

内容としては、BLEACH最終エピソードで戦死した浮竹隊長の「魂葬霊祭」を行うというのが、物語の本筋です。

引用:久保帯人(著)BLEACH20周年記念読み切り

なぜ、この「魂葬霊祭」という儀式がBLEACHの世界で行われているのか、はじめは登場人物にも分かりません。

しかし、終盤にかけて、この儀式が死亡した隊長クラスの死神を地獄に落とすための儀式であったことが明らかになります。

(なぜ、隊長たちを地獄に落とす必要があるのかは、考察とは関係ないので触れません。気になる方は、獄頤鳴鳴篇をご購入ください。)

そして、この「魂葬霊祭」の内容は、
地獄の餓鬼」と呼ばれる存在を殺すことでした。

引用:久保帯人(著)BLEACH20周年記念読み切り

この「餓鬼を殺す」という行為は、
仏教における「施餓鬼」という行為と非常に対比的です。

ここから
なぜ「餓鬼を殺す」という行為によって、隊長を地獄に落とすことが出来るのか?」について、考えることが出来ます。

まずは、施餓鬼会について説明しましょう。

餓鬼に施す「施餓鬼会」

施餓鬼を説明する前に、「餓鬼」という存在についての説明しなければなりません。

仏教では、六道輪廻という世界観を考えます。

この世の全ての生き物は、「六道」と呼ばれる6つの迷いの世界で、死に変わり生まれ変わりを繰り返していて、

生前の行いの善し悪しによって、次の世界に生まれる世界が決まるというものです。

六道とは、

  • 地獄道

  • 餓鬼道

  • 「畜生道」

  • 「修羅道」

  • 「人間道」

  • 「天道」

の6つです。

この「餓鬼道」に落ちてしまった存在を「餓鬼」と呼びます。


餓鬼のイラスト

上のイラストのように、喉が非常に細くなる・食べたものが燃え上がってしまうなどにより、飢えと喉の渇きに苦しみます。

BLEACHでは、「地獄の餓鬼」という呼び方でしたが、
仏教では「地獄道」と「餓鬼道」は別世界と考えるので、
地獄道」には、餓鬼はいません。(たぶんね)

そもそも、BLEACHの世界観は六道輪廻ではなく
三界と呼ばれる「現世」「尸魂界」「虚圏」の3つの世界に、「地獄」を加えた4つの世界を設定しているので、世界観が食い違うのは、当たり前でしょう。

余談ですが、この4つの世界を六道に無理やり当てはめるとすれば

地獄→地獄・餓鬼
虚圏→畜生
現世→人間
尸魂界→天・修羅

と言った感じでしょうか?※

さて、話を元に戻しますが、
この飢えに苦しむ「餓鬼」に
食べ物・飲み物を施す(ほどこす)
 =食べ物・飲み物を与える
という行為が「施餓鬼」です。

日常的には、仏教修行者が食事をする時に、
自分の食事の一部を小皿などに取り分け
餓鬼」に分け与えます。

そして、その行為を盛大な儀式へと昇華させたものが
施餓鬼会」という行事です。

毎年お盆前に盛大に行う行事で
私の寺院でも、年に一度行う最大の仏教儀礼になります。

飢えに苦しむ餓鬼のために、
五如来と呼ばれる五人の仏様の力を借りて
餓鬼に食べ物・飲み物を与えます。

簡単に言うと、
苦しんでる人を助けてあげる行為ですから
これは、非常に善い行いです。

仏教では、「因果応報」と言って
善いことをする人には、幸せ(功徳)が
悪いことをする人には、不幸()が訪れます。

施餓鬼」という非常に善いことをするので
ここから得られる幸せは、非常に大きなものです。

そして、この幸せを自分が受け取るのではなく
ご先祖さまに「回向(えこう)」する
 =ご先祖さまにプレゼントする
ことで、ご先祖さまをご供養します。

これが「施餓鬼会」の儀礼的な意味になります。

ちなみに、お盆の前に、この儀式を行うのは、
施餓鬼会に参加して得られた幸せ(功徳)を
お盆でも、回向することが出来るからです。

考察:餓鬼を殺す「魂葬霊祭」とは?

さて、ここまで聞けば察しの良い方は、
私が何が言いたいのか、ご理解頂けると思いますが

BLEACHの魂葬霊祭では、
餓鬼を殺すという行為、
つまり、施餓鬼とは反対に悪行を行います。

仏教における餓鬼という存在は、
餓鬼自身の悪行(贅沢を好み、物欲が強いなど)
によって、餓鬼道に落ちた亡者ですから
別に聖なる存在ではありません。

BLEACHにおける「地獄の餓鬼」も
以下のザエル・アポロ※
のセリフから推測すると
虚化が地獄に落ちた姿が「地獄の餓鬼」らしく
やはりこれも全く聖なる存在ではないでしょう。

引用:久保帯人(著)BLEACH20周年記念読み切り

ただ仏教的に考えれば
生き物であることには変わりないので
これを殺すことは、殺生罪になります。

「死神は、今まで散々、虚化を殺しているじゃないか!」
という反論が来そうなものですが

死神が虚化を斬るという行為は
あくまで虚化を浄化して、尸魂界に送るという
魂の循環を手伝っているに過ぎません。

この虚化を斬るという行為によって、
BLEACHの三界における、魂のバランスは保たれている
という大義名分があり、これは正義なわけです。

しかし、これはあくまで三界の話であり、地獄は含まれていません!

BLEACHにおける地獄は、
現世や虚圏などで、大きな罪を犯した者が送られる場所で、
そこで魂が浄化されていき、後に尸魂界へ還ります。

ここに、死神という要素は入ってこないので
死神が「地獄の餓鬼」を斬ったところで、
おそらく、再び地獄に堕ちることになると推測されます。

つまり、"死神が「地獄の餓鬼」を斬る"という行為は、
意味の無い殺生ということなります。

これも、私の推測ですが、
この行為は、BLEACHの世界でもにあたるのではないでしょうか?

そうなると、「地獄の餓鬼」を殺した副隊長たちが
地獄へ落ちてしまいそうですね。

しかし、これを施餓鬼の回向のように
亡き隊長たちに、罪をプレゼントする
つまり、罪をなすりつければ、どうでしょう?

隊長たちを地獄に堕とすことが出来そうですね。

つまり、「魂葬霊祭」は
「地獄の餓鬼」を殺すことで、死神がわざと罪を犯し
その悪行による罰を隊長になすり付け、地獄に落としている。

ということではないでしょうか?

施餓鬼会との対比を表にすると以下のようになります。

魂送霊祭と施餓鬼会の対比

こうして考えると、この獄頤鳴鳴篇が
8月10日のお盆直前に公開されたのも
偶然ではなかったのではないかと思ってしまいます。

久保先生は、どこまで考えておられるのでしょうか?

まとめ

  • 施餓鬼は、苦しむ餓鬼を救って得られる幸せを、先祖にプレゼントする儀式

  • BLEACHにおける、死神が「地獄の餓鬼」を殺すという行為は、罪にあたると考えられる

  • 「魂葬霊祭」は、「地獄の餓鬼」を殺した罪を隊長になすりつけ、地獄に落としているのではないか?

  • 「魂葬霊祭」は、「施餓鬼会」と対比的な儀礼にあたり、掲載されたジャンプの発売日まで意味があるのかもしれない。

以上です。

今回は、施餓鬼会の意味から、BLEACHの考察をしてみました。

ぜひお近くの寺院で施餓鬼会が行われる際には、1度参列してみてください。

非常に煌びやかで盛大な儀式となりますし、
施餓鬼をしてこそのお盆となりますので、
お盆のお経をしていただくご予定がある方は、
施餓鬼会にもご参加されることをおすすめ致します。

これから暑くなって参りますが、
みなさま、夏バテなどにならぬよう
体調には、お気をつけてお過ごしください。

※脚注

※ 現世にも尸魂界にも動物がいるので、
畜生をどこにするのか難しいですね。
また尸魂界を修羅としましたが
千年血戦篇の舞台となった「見えざる帝国」を
修羅とした方がよいのかもしれません。
でも、まぁ、だいたいこんなところでしょう。
長くなりそうなので、この辺はまたどこかで

※ ザエルアポロの孔が背中に付いたことで
 仏様の光背のようになっているのは、
 なにか意味があるんでしょうか?

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