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『ありがとう!ママはもう大丈夫だよ~泣いて、泣いて、笑って笑った873日~』全文公開④ 生体肝移植手術前夜、忘れられない夜

我が子・優司の命を救う唯一の手段は「肝臓移植」のみである』―という事実を、入院した国立成育医療研究センターで告げられ、母親として生体肝移植のドナーとなることを、選びます(『ありがとう!ママはもう大丈夫だよ~泣いて、泣いて、笑って笑った873日~』全文公開③ 立ちはだかった、小児生体肝移植の現実より)。

移植手術を待つ間、私の心のなかでは『夫に悲しい思いをさせたくない』という思いが引っかかり、何度も気持ちが揺れ動きました。しかし、その間にも優司はニッコリと笑うことを覚えてくれました。機能していない肝臓が肥大して肺を圧迫して呼吸が苦しいのか、いつもハアハアしていましたが、それでも覚えたての笑顔を私に見せてくれるようになりました。半分しか笑えていない疲れたような笑顔だったのですが、「ボク、優司。まだ3カ月だけど、笑えるようになったよ!」とでも言いたげなのです。得意そうな顔を見ていると、優司に当たり前のようにあったはずの残りの人生を、「私が取り戻してあげたい!」と今まで以上に強く思うようになりました。

楽しいことがいっぱいあるはずだったこの子の時間を取り戻し、救えるのはこの世でたったひとり、私だけなのです。私の決断だけが、この子に人生を終えるかどうかを決めるなんて、あまりに残酷すぎます。

夫も優司の笑顔を見てからは、私がドナーになることにやっと納得してくれました。それほどにこどもの笑顔は、親にとってかけがえのないものなのですね。

手術前日の夜―。私たちは明日に備えて、夫と共に病院に泊まりました。優司の兄の祥司は私の両親が見てくれています。同じ親としての気持ちはわかってくれていると思いつつ、実の娘が死ぬかもしれないという気持ちを聞くのが怖くて、父にも母にもドナーになることの相談はしていませんでした。

その夜はなかなか眠れず、時間だけが過ぎていきます。考えるのをやめようと思えば思うほど、「死ぬかもしれない……」と心の底で思いました。やはり、人は死を恐れるのです。

いやな汗が止まらず、このまま病院から逃げ出したい気持ちと、優司を助けたい気持ちが交互に襲ってきてなんとも言い表せない心境でした。なぜ、何度も意思確認をされたのかやっとわかったような気がしました。

「親として無責任でもいいから、まだ死にたくない」

「でも、優司を見捨ててしまうひどい親になるのもゆるせない」

―本当に忘れられない夜でした。

手術は、10時間にも及びました。

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