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【書く力】③文章は血で書く

血縁、脈絡、続いていく物語がある

文章ってさ インクで書くんじゃないんだよ。
血だよ。血で書くんだ。
だから、書くのは痛いし、辛い。

これは誰の言葉だったろうか、私のノートにメモしてあった。
文章は血で書く。ちょっと、怖い。
でも、言いたいことはわかる。

書くという行為は、自分の思考をさらけ出すものだ。
だから、私の脳内を丸裸で見られるのと同じ。
自分の心をさらけだすんだ。
普通、人前で裸になるのは恥ずかしいだろう。
それでも、作家という人たちは毎日書くのだ。

おそらく、毎日銭湯に通っているような感覚なのだろう。
すっきりとリフレッシュできる。
そういえば聞こえはいい。
ただ、わざわざ毎日公共の銭湯に通うの人は人口の何%いるのだろうか?
それと同じように、
毎日公共の場に文章を公開しているのは人口の何%いるのだろうか?
きっと、変人にしかできまい。

私も、その変人の仲間入りしようとしている。
どうしてこんな変なことをやりたいと思ったのか……。
それは、書いてみたいと思ってしまったから。

私の心の痛みも含め、思考を堂々とさらけ出す。
noteで伝える言葉の線。
社会に届ける魂。たましい。これが、血。

私の血には、何が宿っているのだろう?
「こどものえがお」を守りたい。
今の教育のあり方は、多様性の現代にあっていない。
もっと、子どもたちの原石を見極める人がいる。
もっと、子どもたちの原石を伸ばせる人がいる。
型にはめて伸ばすためには、その型が本物じゃなくちゃいけない。
今の教育の型は、本物なのかな?
それで、本当によいのかな。
何か、おかしくないだろうか?
戦後から脈々と続く、洗脳じゃないのかな。これって。
自分の頭で考える子を育てたい。
そういうキレイゴトを本気でやりたいって大人がどれだけいるんだろう?
それって、家庭で担うべきことなのかな?
無理な親もいるって知ったけど……。
本当に、家庭任せでいいのかな?

たくさんの「?」がずっとある。
自分が、子どもの頃から思っていることがある。
なぜ、親は親の役目をしっかりと果たさないんだろう?

私の父親は精神病だった。
統合失調症?そんなの知ったことじゃない。
私は、普通の父親が欲しかった!
私の母親は変な集まりに通っていた。
誰かにすがりたくて宗教にハマった?そんなの知ったことじゃない。
私は、普通の母親が欲しかった!

私は保育士になった。
親の役目を担う人のケースをたくさん見てきた。
保育園で幸せそうな家族もたくさん見てきた。
けれど、裏では実はいろいろあった。
あれ?「普通」って何だろう?
普通の父親とか、普通の母親とかって何だろう。
普通ってもしかしたらないのかも。
一般人なんて、いないのかも。
ただ、そこにその人がいるだけ。
みんな、普通じゃなくてオリジナルだった。
そこでまた「?」が生まれた。

知りたい。
もっと知りたい。
その人の秘密も。言えない事も。苦しみも。悲しみも。
そこから抜ける方法も。幸せも。愛情も。
すべて、知りたい。
知れたらきっと「こどものえがお」が取り戻せる。
自分の子どもの頃の笑顔が……。
私は、他者を通して自分をもっと知りたくなった。

自分も産んで育ててやっと、わかったことがある。
「親の心子知らず」とはこのことだった。
私が生まれた時の母親は20代だった。
その頃の不安な1人の母親として客観的にみてみた。
30代で3人目が産まれて、夫が壊れた。
なるほど、そういうことか。
「なぜ、親は親の役目をしっかりと果たさないんだろう?」
という問いがおかしかったのだ。
母には、母の物語がそこにあったのだ。

私は、恵まれていた。
保育士の仕事で培った育児スキル。
いろいろな家族の姿を見せてもらっていた。
だから、できるし当たり前がわかるのだ。
30代で3人の子を持ち、夫が壊れた不安な1人の母親の姿には、無理なんだ。
私の母は、精一杯やっていたんだ。
あれでも。精一杯。
そうか、よくやっていたんだ。
子どもの頃は、家庭の事情なんて見えなかったけれど
今は、よ~く見える。
「なぜ、親は親の役目をしっかりと果たさないんだろう?」
ではなかった。余裕がなかったのだ。愛する余裕が。

子どもの私はただ、母の愛を求めていただけ。
甘えんぼうなだけだった。
もっと自分を見てほしかっただけなんだ。
それを私は親に嫌われている子どもと思い込み、
はやくここからでなくっちゃと決め込んだ。
はやく!はやく!って自立に向かって行動した。
自立したら、愛されると思い込んだ。
しっかりしている、頼りになる人。
それが私のアイデンティティになった。
どのグループに所属しても、いつもリードをとる人の原型だ。
はやく歩き続けるには、余裕がいる。

余裕が大事。
私は、余裕をもって生きるために書く。
書いているときは、痛い。
それは、あの時の感情を思い出すから。
書いているときは、辛い。
感情がくっついてくるから。

だんだん、書くことで感情が離れていく。
涙とともに、流される。癒される。
そして、楽になる。余裕ができる。

書きながら出てきた感情の血は流れる。
流しきってしまったら空間ができる。
その空間には、自分の中で新しい血が作られる。
新しい血にできたら明るいものをいれていけば、
あなたの世界は明るくなる。

だから、世の中に楽しいものを増やすんだ。
笑えるものを増やすんだ。
見下しじゃなくて、心の底から大笑いできる
自分のことも笑って許せる広い心を育てられるように。
「こどものえがお」を守るために、
明るい世界を創るために、今日も私は血で書くの。


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