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日常の”不便”が、実は必要だった

 4月28日の西野さんのvoicyを聞いて、コミュニケーションとは、協力すること。つまり人と人の会話が生まれる所で、それは”不便”があるからうまれるんだよって言っていました。そして、世の中にはつぶしたほうがいい不便と、残したほうがいい不便があるみたいです。

 これを聞いて、あっ!っと思い出しました。
先日、神社にお参りに行った時に、奥の方によくわからない場所があったんです。岩とひしゃくと水。
普通に考えれば、水をすくって岩にかけるのでしょう。
でも、私は、(えっ、これ何回かけるといいの?作法はあるの?目がよくなるご利益があるらしいけど…どこにも説明書きがない!!!適当にやればいいかと思ったけど、後ろに人が並んでいる…もし作法が間違っていたら、何か恥ずかしい。でも、待っている人がいるから急がなきゃいけない…)って頭でぐるぐる考えてしまって、動けませんでした。
 ちらっと後ろの人を見ると、赤いジャージを履いたおじさんでした。
あの人に聞くのもどうかな…と思ってしまい、一瞬見た目で躊躇してしまったのですが、私は勇気を出してこの赤いジャージのおじさんに、ここのお作法を聞いてみたんです。そしたら、すごく丁寧に教えてくれました
 私はほっとして、岩に水をかけてその場を立ち去りました。ほんの2~3分の出来事だったと思います。
 もしかしたら、ここにはあえて説明書きがなかったのかもしれません。知っているのが当然で、わからないなら人に聞けばいいのだから。
これが、戦略的”不便”のデザインです。心の針が揺れるドキドキ体験。

”不便”がもたらしてくれる可能性

 出来事としては、読んでいて面白くも何ともないかと思います。
でも、私の中ではすごい発見があったんです。それは、これって世の中の問題に直結しているかも!ってピンってきたからです。
 どういうことかというと、私の父は統合失調症で日常会話が困難でした。
いつも、宇宙人と話しているようで目が合わず、子ども心に「この人ヘン…」って思っていました。一応父なので、嫌いではないけど「メンドクサイ」「大変」「何か怖い」といつも近寄りがたい感情を抱いていました。
 でも、子どもの私は誰にも相談できませんでした。そして何か恥ずかしかった。よくわからないけど。
 しかも、当時はこの病気に名前がついておらず、近所の人も気持ち悪がって、嫌がらせがよくありました。でも、どうすることもできません。

 だから、私の場合は早く家を出ることで、自分が安心できる場所を確保したのです。これは、これでうまくいきました。”不便”から逃げて”快適”を追求してそのために必要な情報を調べまくって、よりよい選択をしてきました。本を読んだり、結婚相手を探したり、お金の勉強をして知識を得ました。自分一人がができるようになれば私だけはちゃんと生きていけるって方向に動いたんです。
 ただ、それだけだと根本的な解決にはなりませんでした。ずっと、何か引っかかっていました。多分、見捨ててしまったな…という罪悪感。どうしたらよかったんだろうという後悔。

日本は”不便”を隠してしまう社会だった

 「臭いものには蓋をする」ということわざがあります。
都合の悪い事を隠して、その場しのぎの方法で隠そうとすること。
これは、これで処世術なので否定はしないし、私がやってきた事だったから、そういう面もあるでしょう。ただ、ずっとずっと私のように困っているものの根本原因は解決しません。
 そこででてきたのが、今回のvoicyを聞いて思った事なのです。
こういう”不便”は人と人をつなげる価値になる!という発見です。

 人は、わからない事や知らない事に勝手に距離をとろうとします。
わざわざ分かろうとも思わないし、知りたくない。これは、誰にでもあると思います。でも、そこを一歩踏み出して知ろうとする。そこから始まることもあるのです。

 日本の教育は、「人に迷惑をかけてはいけない」が強いです。だから、人様のご迷惑になる行為はなるべく抑えておきましょう、という無意識が働きやすいです。だから、こういう面倒ごと”不便”な事は、人から見えない所においてあります。来客時に押し入れにモノを押し込むように。そう思ってしまうと、なるべく人と関わりたくない…という気持ちが強くなりすぎて自分からコミュニケーションを断つ行動をとっていきます。それで、察してほしいと。実は、助けてほしいのに

 だからこそ、人と人とのコミュニケーションやマンパワーが必要なのです。それは、投資家の存在や、説明が上手にできる人、ケアができる人、場所を作れる人、みんなの意図が分かる人、それぞれの才能が必要なのです。場所が整うと、全体的な”不便”がなくってきます。それがつぶしたほうがいい”不便”で、残っているコミュニケーションの部分が残したほうがいい”不便”となります。
  この場合で言うと、つぶしたほうがいい”不便”としては、今足りていない障がい者がそのままの存在で認められ、適切な治療体系を継続して受けられる優しい場所づくり。
 残すべき”不便”としては、障がい者に直接関わるケアできる人やその家族の存在でしょうか。ここの”不便”を共有する中で、ちゃんと見捨てない、私たちは価値ある仕事をしているという充実感が含まれていくのだろうと思いました。ここをゴールとした、”不便”のより分け。
 今書いたのは私の中のあくまで1例で、他にも世の中のいろいろな問題に対処できる公式です。それが”不便”の戦略的デザイン。そして、その欲しい場所は誰かが作るのではなく、自分で創るしかない。

 頭ではわかったけど、実現するには様々なハードルが見えてきました。天才的頭脳の持ち主の西野さんならこの最短ルートが見えるのかもしれません。この本を読んでいろいろ考えさせられました。NFTでお金持ちと繋がる方法。きっかけは何でもよくて寄付を巻き込む方法。

  これ、言うは易し、行うは難し
 最近、西野さんと直接会う機会があったから、色々な事を深く考えさせられてます。近くにいた小谷さんが「たくさんの現場を知っている人間の肌感覚が言うなら、俺はそれを信じる」っていう西野さんへの半端ない信頼感とか、出版社の女性に業界初の絵本無料公開とか困難な注文をつけながらも、結果を出してきた西野さんの実績を聞いたり、そういうのを支えている周りの人たちとか、そこに集まる人たちのモノのとらえ方とか…ここに私のような専業主婦がこっそり混じっていてよいのだろうか?という不安と同時に、でもめちゃくちゃ面白い!って思っている自分にも気づきます。
 あぁ、みんなはこうして自分たちで理想の世界を創っていくんだなぁ…。
最前線で活躍している人たちに会うと、私の近所のPTAの集まり何かとは異なる空気感に呑み込まれます。これは、言葉であらわせないけれど、肌で覚えていくという感じ。かっこよかったなぁ。
 
 とりあえず今私にできることは、この本の紹介ぐらいしかないなっと思い記事を書きました。これを読んでいるあなたのまわりの”不便”をちょっと探してみると、いろいろ思い当たると思います。この記事が、何かの気づきやあなたの行動の1歩にお役に立てたのなら光栄です。
 読んで頂きありがとうございました。




 



 

  
 

 




 

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