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パルプ小説において『物語を動かす』とは

ワシは、逆噴射小説大賞2022チャンプであるしゅげんじゃサンの記事(こちら)を読み、あらためてソンケイの気持ちを抱き、刺激を受けた。以下に一部を引用する。

「Tips? なぜ唐突に?」と感じる方もいるかもしれません。創作において Tips なんてくだらないもの……特に逆噴射においてはその精神に反するもの、とも言えます。ただ、最初期から逆噴射に参加していて、去年は大賞を取り、そんなこんなでそれなりに経験値をためてきたこともあってか、他の人の作品を読みながら「こういう点を意識すればもっとよくなるのに……もったいない……」と感じることが増えてきました。
そこで後進のためにも、そういった感覚を言語化して残しておこう……なんてことを思ったのでした(偉そうだなおい)。
もちろん逆噴射はお祭りなので Tips 的なものなんて気にせずに、自分が思うように、好きなように作品を書いて投稿するのが本来あるべき姿です。ただ、賞レースで少しでも上を目指したいという人、あるいは逆噴射とは関係なく小説自体うまくなりたいと思っている人にとっては、そこそこ役立つ内容になっているはずです。

「逆噴射小説大賞2023ライナーノーツ的なやつ+α」より

そう……
ワシも、逆噴射2023エントリー作品をすべて読み、その過程で感じていたことがある。
まず、今年は例年にも増して「小説書いた経験アリ」という新規参加者が(たぶん)多く、2018年にワシを含め大勢の小説ニュービーが全裸ステゴロで飛び込んだあの頃と比べると明らかにレベルが高い。
……高いが、その一方、流れゆくINTERNETのなかで「逆噴射書いたけどリアクション薄いな……うまくやれなかったのかな……」「難しいな……」みたいな発言も見かけた……ような気がする。

「生き抜くための何かを他人に伝える」ということを本能でおこなっていた逆噴射聡一郎氏や歴戦の逆噴射パルピスト諸氏にならい、ワシも冒頭800字の勝負(それは逆噴射の賞レースに限らず、時間の奪い合いが激化の一途を辿るエンタメ界におけるパルプ小説の戦い方でもある)について言語化したい。
ただ残念なことに、ワシはバンデラスでもソーイチロー氏でも逆噴射小説大賞受賞者でもないし、小説に役立つ技法を熟知しているわけでもないし、なんなら日本語の文法知識すらもけっこう怪しい。下手こくと「ジョン太のくせになまいきな」などと囲まれてボーで叩かれる危険もあるが、ワシなりに思うことはある。そしてアウトプット行為によってワシの頭も整理できるので、真面目に書く。あたたかい目で見てほしい。

この記事ではただ1点、ワシでも書けそうな『物語を動かす』にポイントを絞り、そのポイントにちなんだりちなまなかったりするコトをいくつか記そうと思う。
本記事を誰向けに書くか、については、
逆噴射小説大賞に興味があるものの、書いてもなんだか手応えない(もしくは書こうとしてもなんだか上手くいかない)し、たった800字ぽっちで「物語を動かそう」と言われてもピンとこないな……
という人をイメージして書く。
(そういう人いるのか?)
※逆噴射に何回も参加している人にとっては耳タコな内容思うのでスルーしてほしい。あと長文なので疲れたらブラウザを閉じてほしい



■物語を動かす、とは……

正直ワシもうまく言語化できません、と書いてしまうとこれまた囲まれてボーで叩かれそうなので、何とか語り手=作者側の視点で定義してみると、
登場人物の ”行動” によって物語の現状に ”変化” を生じさせ、その変化によって読者の脳に ”エンタメエキス” を注入すること……の連続。
みたいなものだと思う。ソーイチロー氏も「アクションして話を動かせ」とかそんな感じのことをしつこいくらい繰り返し言っている。

”行動” は、殴る撃つ斬るみたいな派手なアクションに限らない。どこかに移動する、会話する、手紙を出す、掃除する、道の石ころを蹴る、電車を降りる、寝る、寿司屋に入ってカウンターに座る、など、物語に必要ならなんでもいい。
主人公あるいは視点人物(以下「主人公(視点人物)」と記す)ではない誰かの行動が起点になるケースも多々ある。バーの客同士がケンカをはじめる、隣席の男が一杯奢ると話しかけてくる、マスターが急にショットガンを取り出す、など。これらは登場人物の ”行動” だが、主人公(視点人物)から見れば周囲の状況が勝手に ”変化” したとも言えるので、行動と変化がごっちゃになるが、ここではなんとなく行動という扱いにしておく。

さて、800字のなかで「行動が起きない」とどうなるだろうか。
「俺はこういう男で特技は……」「主人公はこういう生い立ちで……」「この世界はかつて……」みたいな説明ばかりになってしまうか、強敵を前に主人公が「こいつは強えぇぞ……だがオラだって修行してきた……あの必殺技をお見舞いしてやる……」とか考えてる背後で応援キャラが「あ、あ……勝てるのですか……」と絶望したたま「続く」で終わる引き伸きのばしアニメみたいになってしまうか、スペースシップでトラブルが発生してたくさんのクルーがひたすら報告をしまくって艦長が判断するかしないかの場面で終わるか、寡黙な探偵が何かを観察しながら思考を巡らせまくって閃いたあたりで終わるか……そんな感じになってしまう。
800字あるのだから、何かしら行動を起こし、物語を動かしてほしいと思うのが読者の気持ちではないか。


”変化” はめちゃくちゃダイジだ。行動の結果、状態や状況は大なり小なり変わる。変わらないと「物語が動いた」とは言えない。新たな何かが起きる、登場人物の関係が変わる、(必要な)情報が読者に開示される、などなど、読者が読み取る変化はいろいろある。

日課の散歩を楽しんでいた俺は腹が減ったのでファミレスに入った(行動)→宇宙人B型が日本刀で店員を脅していた(変化)

雑な例で申し訳ない

行動→変化。これで ”物語が動く”。
変化が起きると、次の行動が生まれる。

日課の散歩を楽しんでいた俺は腹が減ったのでファミレスに入った(行動)→宇宙人B型が日本刀で店員を脅していた(変化)→「よそでやってくれ。俺はペコペコなんだ」俺は紳士的に頼んだ(行動)

次の行動が生まれれば、次の変化も生まれて、また新しい行動や変化が生まれる。

日課の散歩を楽しんでいた俺は腹が減ったのでファミレスに入った(行動)→宇宙人B型が日本刀で店員を脅していた(変化)→「よそでやってくれ。俺はペコペコなんだ」俺は紳士的に頼んだ(行動)→宇宙人B型は俺を睨んでから床に唾を吐いた(変化)→カッとなった俺は懐の宇宙光線銃を抜いてトリガーを引いた(行動)→ポワワワワ…リング状の光線をモロに浴びた宇宙人B型は一瞬で挽肉になった(変化)→「その肉でハンバーグを焼いてくれ。よく焼きで頼む」俺は店員に言いながらテーブルについた(行動)

行動→変化の繰り返し。このサイクルを作品にあわせたテンポでチューニングすることで……ドライヴ感が生まれ、物語の推進力となる。

もし変化の無い ”行動” ばかりが続くと、「なんかいろいろ動いているのに物語はさっぱり動いていない」状態に陥り、退屈だから読むのやめよう、となりかねない。
寿司屋に入ってカウンター席に座り、まずはヒラメを注文、食べる(行動)。うまい。続いてイカを注文して食べる(行動)。うまい。玉子は外せない(行動)。うまい。そしてマグロと海老だ(行動)。うまい。光り物はどうだろう……(行動)。なんかいろいろ注文しているが、寿司屋で寿司を食べる(行動)で括ってしまえば状況に変化は無く(おなかは膨れていそう)、物語はちっとも動いていない。作者に言わせれば「このシーンはこの寿司屋の腕前を試すためにいろいろ食べることが重要なんだ」「寿司屋のネタを食べ尽くす大食漢を表現するんだ」という場合であっても、聞いたことのない作家が書いた寿司を食べるばかりのパルプ小説に根気強く付き合ってくれる人はかなり少ないだろうから、必要最小限の描写に圧縮することを推奨したい。
寿司は極端だが、よく例に挙がるのが、大勢の敵を相手にしたアクションだ。いろんな技や動きでバッタバッタと敵を倒していくシーンは書いているとなんか気持ちいいしアクションしている感があるけど、いくら文字数を費やしても「大勢の敵と戦っている」という行動から ”変化” がない。作者として一定の目的を達成したら物語を動かしたほうがよいと思う。例えば警察に追われるカーチェイス。映画ばりにいろんなシーンを盛り込んでも、一言で言ってしまば「警察から逃げる」という行動から ”変化” がない。トム・クルーズとかヴィン・ディーゼルが好きなだけチェイスしても許されるのはトム・クルーズとかヴィン・ディーゼルがやっているからだし、2時間の映画鑑賞を覚悟している途中で「カーチェイス長いから観るのやめよ」とはなりづらいし、なにより映像だから成立しやすい派手な見せ場だし、みたいな理由はあると思う。これがnoteで無料で読めるワシのパルプ小説の冒頭800文字で300文字とか使ってカーチェイスしていたらTHE ENDだ。

なお、行動→変化ではなく、その場の状況変化が起点になって行動が発生し、物語が動いていく場合もある。冒頭で言うなら、ビル火災発生→中にいる人を助けに行く、など。これも物語に必要ならなんでもいい。

”エンタメエキスを読者の脳に注入する”
これは、行動→変化の結果、読み手がエキサイティングな感情を抱けば成功と言える。エキサイティングな感情とは、爽快感とか、恐怖、怒り、緊張、不安、笑い、驚き、悲しみ、苦しみ、欲情、共感……つまり読者がエンタテイメント作品に求めているものだ。
スゴイ描写力で主人公が行動して、何かが変わって、展開が先へ先へと進んでも、それが感情に訴えかけてこない無味無臭のシーンの連続だと「なんかいろいろ起きたけどつまらない」「続きが気にならない」みたいな烙印を押されてしまう。逆噴射小説大賞でも審査員は繰り返し「エモーションが大事」と言っている。

行動→変化→読者にエンタメエキス注入。この繰り返しが上手くいけば、読者はページを捲る手が止まらなくなる。たぶん。

■物語を動かすために……

1.すでにあるTipsをダイジにする

ワシなりに記す、とか偉そうに宣言しておいてそりゃないだろう、と投石されるかもしれないが、実際真実なのでまずは記しておきたい。
悩み全般を解消するため……レベルアップのため……ヒントとなる情報は、以下にこれでもかというくらい凝縮されている。
パルプ小説の書き方(有料)
・逆噴射小説大賞2018~2022最終選考作品群の総評(ここから飛べる
・逆噴射小説大賞2022二次選考結果発表の後半(有料部分に記されている)
・前述のしゅげんじゃさんTips
毎年のことだが、最終選考作品に対する評価コメントはめちゃくちゃ勉強になるし、必ずといっていいくらい『物語を動かす』について言及されている。上手くいっている作品がどういうものか……これほどお手本になる情報はなかなかない。
2018年に小説トーシロとして飛び込み参加したワシも、「他人の作品の講評を見て我が作品なおせ」みたいな気持ちで毎年結果発表を読んで、学んで、翌年の逆噴射で工夫している。

2.冒頭、はやめに物語を動かしはじめる

これは一行目から銃を撃とうとか派手に殴り合おうとか爆発させようとかいうわけではない。はやめに物語を動かす……をおすすめする理由はいくつかあるが、ひとつは、余暇時間が有限な読者たちに見限られないために、ということだ。近年の音楽業界でよく言われる「サブスクでは全体の1/4の曲が5秒でスキップされる」「ヒット曲にはイントロが無い」に近いが、昔からそういう手法は存在している。ビートルズとかプレスリーもやっているし、アニメにもある。
例えば魔法少女アニメ『クリーミーマミ』は40年もむかしの作品だが、第1話の冒頭ですぐに物語が動く。両親がクレープ屋を営む自宅の2階で空を眺めていた主人公のユウがソッコーで宇宙船みたいな光を見つけてヘルメット被ってローラースケート履いてお手伝いそっちのけで家を飛び出し、今あったら売れそうな一輪のエンジンつきスティックを動力に爆走し、主要人物のトシオをスルーするがトシオもチャリと二本足で追いかけてきて、爆走を目撃した警官が暴走はやめなさいと原付き(白バイと間違えるドジっぷり)で追いかけながら無線で応援要請し、数台のパトカーも加わって派手にユウを追いかけ、遂にはヘリまで登場する。
ここまでの尺はなんと「たったの5分」だ。
その後は謎の現象で全員を振り切ったユウが光学迷彩ばりに透明化している箱舟を見つけて、ネコみたいな2匹の妖精と出会い、舟に吸い込まれて変な夢みたいな世界を見せられて(ここはちょっと不思議すぎるし長い)、魔法のアイテムをもらい……1年後にまた来る……とか言って箱舟は去り……ユウは帰宅し、親にこっぴどく叱られ、寝る前になんとなくピンポロパンポロしたらマミに変身しちゃう……ここまでを第1話でやってのける。狙って作ったのかは知らないけれど、現代のテンポ感と比べてもまったく見劣りしない。

はやめに物語を動かしはじめたほうがいいふたつめの理由は、逆噴射の800字勝負に当てはめて想像するとわかりやすい。クリーミーマミの場合、空を眺めてボンヤリや両親のクレープ屋の人気ぶりやトシオとその友人の告白計画とかおしゃべりでのんびりしていたり、細かいチェイスの展開とか切り抜け方とか書きすぎると、箱舟や妖精の登場、変身アイテムの入手と変身という物語にとって超重要なシーンを書くタイミングがどんどん後ろ倒しになり、800字に収まりきらないか、後半に詰め込みすぎて小説として歪な形になってしまう。
このしくじり、ワシは過去に何度もやらかしている。鼻息荒く書いているときは自分でも気づかず、二次選考落ちしてからハッとすることが多い。800字の終盤までそれっぽい雰囲気だけの無駄な会話やアクションが多く、実際には物語がほとんど動いていないパターンだ。自己満足に浸ってもったいぶっているせいで、ラストで唐突に重要なモノゴトが動いている構成になり、小説として地に足ついた安心感/安定感がまったく感じられなくなる。それでもワシはまだ気づかず、それっぽい台詞を吐かせて「さあ物語の方向は示されました。このあとも続いていく感じがしますよね?」と半ば投げっぱなしのようにシメてしまった経験は一度や二度ではない。そして「あー、これよく考えたら去年と似たような失敗だな……」と悔やむのだ。逆噴射講評で依頼エンド、出撃エンドなどと呼ばれるこの罠は本当に油断できない。
自身への戒めとして今も忘れないのが2019年の逆噴射小説大賞だ。ワシが書いたこの作品は参加者からの評判も悪くなく、ゲームのオープニングみたいだとか、キマってるみたいなお褒めの言葉も頂きすっかり浮かれていたが、余裕の一次&二次選考落ちでフィニッシュした。主人公はいろいろやっているが一言で言えば朝のルーチンと身支度であり、事件解決に向けて出撃したところで終わる。もう一歩、二歩、出撃の先……物語を動かせば、800字の面白さも「続く」の向こうへの期待値も変わってきたはずだ。

また、閃いたアイディアに手ごたえがありすぎるときも注意が必要だ。ワシはアイディア・マンではなく毎年苦労するからむしろ羨ましいが、ユニークでエキサイティングなアイディアが思いついた場合、面白くなりそうな設定がどんどん浮かんでくるものだから、ついつい興奮してあれもこれもと開示/説明したくなり、そうしているうちに気づけば2000文字くらいになっていて、何とか圧縮して800字に詰め込んでラスト一行で行動を起こさせたが、肝心の「そのアイディアで実際に ”物語が動き” 加速していく」ところが書かれておらず……という失敗もありえる。
前述のしゅげんじゃさんTips記事のなかでも「5. 小説として自然な「引き」をつくろう」という項があり、800字終盤の書き方は冒頭の一文と同じかそれ以上にダイジだということがわかる。繰り返すが、「自然な」は本当に重要だ。自然な引きになるには、1文字目から800文字目まで中編長編小説のつもりで読んでも自然な動きになっている必要があるので難しい。現代的なテンポを生み出すための圧縮もダイジだが、そもそもの構成……物語の本質的な部分を動かすタイミングも……等しくダイジ……だと思う。

3.物語を ”大きく” 動かすタイミングも大事

ワシが『ロード・オブ・ザ・リング』を映画館で観たとき、指輪の力につけこまれてちょいちょい指輪クレヨしていたボロミアが最後に我にかえってピピンとメリーを助けてウルク=ハイの矢を3本も受けて瀕死になり、そこに駆けつけたアラゴルンが激しい一騎打ちの末にそのウルク=ハイの首を刎ねた瞬間、シアターの観客たちが「ワッ!」と大歓声をあげた。ワシもコーフンのあまり軽く失禁していた。このシーン、単にピンチに駆けつけた助っ人がシビレル一騎打ちに勝って首チョンパしたから観客が沸騰したわけではない。ゴンドール王国のボロミアという人間がもともと何を大切にしていて、ここに至るまでにどういう行動と変化を繰り返してきたのか、そして同じ人間族のアラゴルンはどういう男なのか、指輪の恐ろしさ、オークたちの行動、そういう積み重ねがあったからこそボロミアの勇姿を見守る観客は「いま物語が大きく動いている」と感じ、手に汗握り、祈り、絶望し、怒り、悲しみ、アラゴルンの勝利に喝采する。
800字でここまで表現するのは不可能に近く、無理矢理ねじ込んでもタメが無さすぎて思うようなエモーションは生まれない。なので「800字の先に極上のエンタメエキス摂取タイムがありそうだ」という期待を持ってもらえるような内容を提示しながら物語を動かしていき、さらっと「続く」とシメられるかが勝負になる……ような気がする(自信はない)。

4.主人公が行動した方が物語は動く

主人公(視点人物)ではない誰かの行動や周辺状況の変化ばかり起きていても、物語の動きはダイレクト感が無く主体性にも欠け、読者がモヤモヤする。PS5のゾンビサバイバルゲームを買ってホクホク顔でプッシュスタートしたら、オープニングでゾンビウイルス搭載ミサイルが街に落ちて、車を運転していた主人公が渋滞に巻き込まれているシーンからはじまって、車外のあっちでは老紳士が若い女の喉笛を噛み切り、こっちでは車同士が衝突して爆発炎上し、そっちではゾンビ化したお散歩チワワが飼い主の少年に襲い掛かり……さんざんヤバい状況を見せられるものの、ワシは車内で3Dスティック(右)をぐるぐるしてカメラを動かすことしかできず無意識に○ボタンを連打している……みたいな。さっさと自分が車を降りて行動したいと思うのが自然ではなかろうか。

5.「一言で言えば●●」の罠

ここまでに何度か述べたとおりだ。自分で書いた800字の構成がどうなっているのか、ブロック分けして冷静に俯瞰すると、自分でもビビるくらい物語が動いていないことがある。
いくらバリエーションに富んだ攻撃をしていても「一言で言えばザコと戦っているだけ」、とか、目覚ましを止めて顔を洗ってトーストを焼いて香ばしいコーヒーを入れて新聞を開いても「一言で言えば朝起きて身支度をしているだけ」、事件を解決してほしい依頼主がいろいろな情報を喋っていても「一言で言えば探偵が依頼内容を聞いているだけ」などだ。その行動の連続のなかに「物語が動いている」と言える変化や情報が上手く組み込まれているなら話は別だが、それでも物語の動き無き類似行動の連続は出来るだけ端的に記したほうがテンポがよくなる。

6.一歩も動かなくても物語は動く

この記事の最初の方で書いたはずだが、長文のせいでワシも忘れてきたのであらためて述べると、物語を動かすのに派手なアクションは要らない。いや、派手なアクションがいい時ももちろんあるのだが、「動き」という単語の意味を広く捉えておくと、物語の動かし方にも幅が生まれる。
好例としてすぐに思いつくのが、逆噴射小説大賞2020でダブル大賞を成し遂げた摩撫甲介さんの2作品だ(こちら)。『英雄の証明』は開幕から走る走るの連続だが、『そしてあの子はいなくなる』は視点人物のアリアが物理的な点でほとんど動かないまま、物語はしっかりと動いている。どちらが正しいというものではなく、書きたいシーンによって適切に使い分けることがダイジだ。

7.その会話は本当に必要なのか

主人公(視点人物)が物理的に動かない800字の場合、会話が多めになりがちだが、会話というのは本当に難しい。2021年の夏、ダイハードテイルズの御二人が催してくれた逆噴射ワークショップという企画にワシもタノモーして作品の講評を頂戴したことがあるのだが、全体的にボコボコにされつつ、「会話に無駄が多い」「本当にそのやり取りは必要なのだろうか?」と指摘されたことを(ことも)忘れず教訓にしている。あれから上達したかどうかはわからないが、もっと突き詰めて考えねば……と居住まいを正すきっかけになったことは感謝してもしきれない。「ワシの会話劇は軽妙でキャラ立ちもしているような気がするし会話シーンは筆が弾むぜ!」とか調子こいていたけど実際ただの気のせいだったのだ。
今でも書き上げたあと、よくよく、よくよく見つめ直すと、物語の進行ドライバーになっておらず、「いやぁ、んー、無くても……」「アッ、もっと端的なほうがいいですね……」みたいな台詞が発見できるので、ウンウン唸りながら修正する。書いたあと、少し寝かせて、「本当にその会話は必要ですか?」と冷静に自問自答する……とてもダイジ。
あとは会話に頼らず、地の文でしっかりと話を進めた方が上手くいくことも多い。文字数を減らしながら情報量を増やせるし、小説作品として求められている部分に真正面から向き合うことになるので、自然といい感じになる……ような気もしている。

8.やっぱりダイジなのは文章力

最後に。
「物語を動かす」ためには、当たり前だが読者に「物語が動いた」と認識してもらう必要がある。書き手の伝えたいことなんて●%しか伝わらない……みたいな話も聞くけれど、それでも、なるべく作中の行動、変化……意図したコトを意図した解像度で伝えようとするための絶え間ない工夫はダイジだ。
ワシの場合は文章に個性とかないから、個性派パルピストいいなぁとか羨ましく思いつつ、ワシ自身は平易であれ、平易であれ、誤解を招かぬわかりやすい文章で……これで伝わるか? これで違和感はないか? 物語よ伝われ……動け……と意識しているが、ここは作者それぞれ。文章力というものの正解はまだワシにもわからないし、小手先のお行儀なんて考えずパルプの衝動に従ってロケットみたいな勢いで書いた方が断然面白い人もいるはずなので、「伝えたいことちゃんと伝わってるかなこれ」くらいの感覚で意識工夫しておけばいい気がする。

以上。

いただいた支援は、ワシのやる気アップアイテム、アウトプットのためのインプット、他の人へのサポートなどに活用されます。