見出し画像

落ちるべくして落ちた有田芳生さん(立憲民主党・現)〜参議院議員通常選挙ウォッチ4〜

行動する保守と反差別カウンターの「フェイクスター」

 世の中には「フェイクスター」という表現が当てはまる人がいます。大した成果を上げていないにもかかわらず、過大な評価を受けている人物のことで、この表現が当てはまる人物としていわゆる「行動する保守」から見た日本第一党党首の桜井誠こと高田誠さんと日本第一党最高顧問瀬戸弘幸さん、反差別カウンターから見た有田芳生参議院議員を私は上げたいと思います。
 日本第一党最高顧問瀬戸弘幸さんについては、私の過去のnote記事「日本第一党最高顧問瀬戸弘幸さんの放り投げっぱなしの宿題の数々」で触れたとおりですので詳細は割愛したいと思います。

 日本第一党の桜井誠こと高田誠さんは、在日特権を許さない市民の会会長として、在日コリアンにいわゆる「在日特権」があるとして活動していたわけですが、京都朝鮮第一初級学校前での街頭宣伝活動などを理由として京都朝鮮学園から民事訴訟を提起されてから迷走が始まりました。
 この民事訴訟については、右翼や右派の市民活動家たちは危機感を抱いていました。学校法人に対する抗議をするために学校の前で抗議をするだけでなく、朝礼台をぶつけるなどという威力業務妨害を伴った在日特権を許さない市民の会の街頭宣伝が常軌を逸するほど出鱈目なものであることは明らかであったわけですが、この民事訴訟の如何によっては、右翼や右派市民活動家のまともな街頭宣伝活動ですら同様に規制されるのではないかと危惧していたわけです。案の定、桜井誠こと高田誠さんは、街頭宣伝活動の正当性を主張するわけでもなく、京都朝鮮学園に対してきちんと謝罪するわけでもなく、ただ支持者の前で威勢のいい言動を繰り返すだけで、裁判所から人種差別目的のデモであるとして相場より多額の賠償額を命ずる旨の判決を言い渡されることとなりました。第一審判決が言い渡された後に千葉県の右派市民団体の代表の方が「きちんと対応しないと大変なことになると言っていたのにこの様」と吐き捨てるように述べたことが強く印象に残っています。
 そして、反差別カウンターから見た「フェイクスター」が有田芳生参議院議員という意味は、本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律の施行において、特に反差別カウンターから不当なほど持ち上げられ、法律の施行の熱が冷めてくると有田芳生参議院議員の功績が他の国会議員と比較しても思ったほどではないということが判明し、他ならぬ反差別カウンターからの評価が下落したと感じていることが理由です。有権者に対してアピールすることで精一杯であるはずの選挙期間中に当選の見込みがまったくないと思われる日本第一党への批判をなしていたのは、有田芳生参議院議員の余裕ではなく、反差別カウンターからの評価の下落を自覚し、必死に反差別カウンターへアピールしようとしているのが有田芳生参議院議員の本心なのではないかと私は感じています。

【有田丸日記】朝7時半から夜8時までフル回転。選挙で4人の知人と再会。昨日は池袋で鳥井一平さん、大塚でTBSワイドショーでご一緒した女性アナウンサー、新橋でフリーランス時代にときどき飲んだ女性(いまは東京新聞)、今日は三田で共同通信元編集委員の上野敏彦さん。池袋で日本第一党を徹底批判。

@aritayoshifu

【有田丸日記】浦和、西川口、赤羽で街宣。日本第一党なる差別団体とすれ違い、一喝。赤羽では多くの人たちと会話。共通の質問は最低賃金をいかに上げるか。韓国ではいっきょに上げている。政治のイニシアティブ。北見市の小野卓也市議、弘前の成田大介市議、那覇市の普久原朝日市議の応援をいただく。

@aritayoshifu

反差別カウンターにとっての最大の成果であるはずの本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律の施行と有田芳生さん(立憲民主・現)の選挙の時間軸

 有田芳生参議院議員は、平成19年の参議院議員通常選挙で田中康夫さんが代表を務める新党日本から比例代表の公認候補として立候補して落選し、民主党による政権交代が成し遂げられた平成21年の衆議院議員総選挙で東京第11選挙区で新党日本の公認候補として立候補して落選しました。
 その後、民主党に移籍し、平成22年の参議院議員通常選挙の比例代表に民主党公認で立候補し初当選し、平成28年の参議院議員通常選挙の比例代表に民進党公認で立候補し再選されました。
 つまり、有田芳生参議院議員は、一期目に本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案に取り組み、その法律案が施行された平成28年6月3日直後の二期目の参議院議員通常選挙で再選されて参議院議員を二期務めたことになるわけです。

任期中に大きな動きのあった在日特権を許さない市民の会

 平成21年12月4日に在日特権を許さない市民の会大阪支部、主権回復を目指す会の関西支部、チーム関西のメンバーらが京都朝鮮第一初級学校前で抗議の街頭宣伝活動を行い、平成22年6月28日に京都朝鮮学園が京都地方裁判所に街宣等差止め及び損害賠償の支払いを求めて民事訴訟を提起し、同年8月10日に川東大了在日特権を許さない市民の会副会長兼大阪支部長(当時)、西村斉同京都支部長(当時)、チーム関西の荒巻靖彦さん、主権回復を目指す会関西支部の中谷辰一郎さんが威力業務妨害で逮捕されました。
 また、平成22年4月11日、京都朝鮮第一初級学校前の街頭宣伝活動で逮捕された川東大了在日特権を許さない市民の会副会長兼大阪支部長、西村斉同支部長、チーム関西荒巻靖彦さんに加え、後に川西市議会議員となる中曽千鶴子さんらが加わって徳島県教職員組合事務所に侵入し事務所内でトラメガで抗議活動を行う徳島県教職員組合威力業務妨害事件が発生しました。同年9月8日に上記参加者のうち中曽千鶴子さんを除く3人のほか計7人が逮捕されました。
 平成25年1月から在日特権を許さない市民の会などいわゆる「行動する保守」が新大久保でのデモを活発化させました。新大久保で行われたデモは次のとおりです。

平成25年1月12日
主催 在日特権を許さない市民の会東京支部
現場責任者 桜井誠

平成25年2月9日
主催 新社会運動
現場責任者 桜田修成

平成25年2月10日
主催 日本侵略を許さない国民の会

平成25年2月17日
主催 湘南純愛組
現場責任者 優

平成25年3月17日
主催 在日特権を許さない市民の会東京支部
現場責任者 桜井誠、堀切笹美

平成25年3月31日
主催 新日友会、神鷲皇國会

 そして、在日特権を許さない市民の会は、平成25年2月16日に名古屋で行われた全国大会において、政治への関わりを模索していくと方針修正を行っていくのです。

 しかしながら、いわゆる「行動する保守」が最も勢力を持っていた時期は平成25年ではありません。例えば、私も近くでその動きを監視していた平成21年9月27日の秋葉原デモでは、「排外主義反対」のプラカードを掲げていた常野雄次郎さんに対し、主権回復を目指す会代表西村修平さんの号令の下、次のような状況になってしまったわけです。

有田芳生さん(立憲民主党・現)はなぜ落選したのか

 時系列を整理すると、有田芳生さん(立憲民主党・現)は、平成22年施行参議院議員通常選挙においてはオウム事件のコメンテーターを務めたなどの知名度から当選し、平成28年施行参議院議員通常選挙では、本邦外出身者に対する不当な差別の解消に向けた取組の推進に関する法律の施行直後という時期もあって反差別の主張を掲げる有田芳生さん(立憲民主党・現)が評価されやすい時期であったと考えることができそうです、
 そして、本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律の施行に伴う熱狂が覚めてそれぞれの政治家がどのように法律の施行に向けて尽力したかが冷静に評価されるようになったのが令和4年施行の参議院議員通常選挙であったといえるでしょう。
 ただ、本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律の施行に尽力した国会議員は有田芳生さん(立憲民主党・現)だけではありません。有田芳生さんとともに動いた西田昌司参議院議員、与党内で関連団体をまとめた平沢勝栄衆議院議員、同じく与党である公明党で動いた国重徹衆議院議員、遠山清彦元衆議院議員、樋口尚也元衆議院議員、そして政治的に進めるという判断をなした菅義偉官房長官(当時)などがいました。
 そして、「とことん現場主義」を掲げる有田芳生さん(立憲民主党・現)は、新大久保のデモで現場にいたことがあるのは確かですが、警備を担当する警視庁の機動隊という国会議員に対して反論することが許されないほど立場が下の者に対して法務委員会に所属する国会議員の権威と権力を隣でトラメガで叫ぶアジテーターが誇示するよう程度のものでしたし、本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律案の心理に向けた質問等の資料についても、それなりの量の資料をまとめたのは、反差別カウンターから「冷笑系」などと卑下されるウォッチャーだったのではないかと私は思っています。

さて、今から原稿作成と資料準備という2つの作業を実質今日一日で突貫しなくてはならんのだよね(涙

@wochakai

情報の収集と人材の確保、そしてそれらによる資料の作成が物事を始める上での基本3点セットである。

@wochakai

 本邦外出身者に対する不当な差別解消に向けた取組の推進に関する法律の施行という熱狂が覚め、施行のために尽力した国会議員が有田芳生さん(立憲民主党・現)だけでなく多くの国会議員が尽力したことが有権者にも明らかになってきて、その中で有田芳生さん(立憲民主党・現)が埋没していったのが令和4年施行の参議院議員通常選挙であったと私は思います。有田芳生さん(立憲民主党・現)はそれを自覚していたからこそ、選挙期間中という非常に忙しい時期に日本第一党と批判合戦をして崩れ行く岩盤支持層を押しとどめようとしていたのではないでしょうか。そして、それほど追い込まれた状況であったゆえ、まったく意外性もなく落選したのだと思います。