見出し画像

鈴木邦男さんの訃報と菅野完さんと

鈴木邦男さん死去

 一水会の元代表の鈴木邦男さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

 民族派団体「一水会」の鈴木邦男・元代表が 誤嚥性肺炎のため今月11日に死去していたことがわかった。79歳だった。福島県出身で1972年に一水会を結成し、「対米自立」を掲げて「新右翼」と称された。右派の論客としてテレビの討論番組にも出演した。

「一水会」元代表・鈴木邦男氏が死去、79歳…「対米自立」掲げた右派の論客

鈴木邦男さんと菅野完さん

 この鈴木邦男さんと菅野完さんは浅からぬ因縁がありました。いわゆる「行動する保守」が衰えた現在をはるかに上回る勢いを持っていたころのある言論イベントで、当時東証一部上場の会社員であった菅野完さんは鈴木邦男さんと一緒になりますが、菅野完さんはこのイベントで号泣したのです。菅野完さんは、鈴木邦男さんほどの人物が自分たち若い者のことを考えていることに感謝する言葉を残し涙したわけですが、私はこの菅野完さんの姿に別の意図を感じていました。それは、菅野完さんが今後言論界で名を広げるために必要な人物へ阿っているのではないかというものでした。
 菅野完さんは、このような阿りなのではないかと思われる言動をよく行います。例えば、RKB毎日放送の「櫻井浩二インサイト」の「インサイトコラム」を担当していたころ、ある日の放送で同じ水曜日でインサイトカルチャーを担当する玉木正之さんに対し、菅野完さんはこう述べていたのです。

玉木正之さんの文章には勉強させてもらっている。勉強のため玉木正之さんの文章を丸写している。

 この菅野完さんの発言についても、自分の出演する番組を聴いているであろう玉木正之さんが菅野完さんに好印象を持つように述べた阿りなのではないかと感じたことを覚えています。

鈴木邦男さんを批判する菅野完さん

 この菅野完さんは、「日本会議の研究」において鈴木邦男さんを取り上げた記事を掲載し、ベストセラー作家となりました。そして鈴木邦男さんの訃報が報じられた日に、鈴木邦男さんへの弔意を示した後に次のように鈴木邦男さんの批判をなしたのです。

いやもうね、ちょっとほんとやめてくれ。 「鈴木邦男は数少ないまともな右翼だった」とかいうの、恥ずかしくてみてらんないから。 その一言ってさ   ・右翼とはなにか ・既成右翼と新右翼はどうちがうか ・そもそも鈴木邦男は新右翼の立場を堅持した...

Posted by 菅野完 on Friday, January 27, 2023

いやもうね、ちょっとほんとやめてくれ。
「鈴木邦男は数少ないまともな右翼だった」とかいうの、恥ずかしくてみてらんないから。
その一言ってさ
・右翼とはなにか
・既成右翼と新右翼はどうちがうか
・そもそも鈴木邦男は新右翼の立場を堅持したのか
・そもそも右翼はまともなのか
・そもそも右翼はまともであっていいのか
・そもそも鈴木邦男はまともだったのか
などのきわめて細密な議論が必要なものを、全部、放擲してるんよ。
こういうことを書くとさ「フツーの人は、そこまで細かく知らないし仕方ないじゃないですか」とかいうアホが湧いてくるの。最低よね。そもそもねふつーの人は、細かく知りもしないのならどんな分野のものであれ『あいつはまともな○○だった』とか断定しなしそもそも言及もしないの。知性がないから、よく知りもしない分野について「あいつはまともだった」とかヘーキで言えるわけ。「フツーの人」じゃない「能力低いくせに調子乗る大馬鹿者」でしかない。
鈴木邦男は決して「まとも」だったわけじゃねーぞ。かっこよくはあったが、「まとも」かどうかは、大いに疑問が残る。死んだあとにいろんなこと言いたくないから黙ってる人も多いはず。
鈴木邦男のそういう点はさておき、鈴木邦男の晩年がすこしかわいそうだなと思うのは、鈴木邦男は晩年に、そうした「能力低いくせに調子乗る大馬鹿者」たちにチヤホヤされすぎたことだ。
自分の耳に心地よい「政権批判」の言葉を聞いたら、前川喜平のような人非人や、望月衣塑子のような無能でもありがたがる、そうそう、そこのお前、ちょうど「鈴木邦男はまともな右翼だった」とか鈴木邦男の訃報に接してぬけしゃーしゃーといえてしまうような、そこのお前みたいなアホリベラルにもてはやされたことが、鈴木邦男の最大の不幸だわな。

1月27日付け菅野完Facebook

 ただ、菅野完さんは鈴木邦男さんの生前にこのような批判をなしたことがあったのかということが疑問として残ります。菅野完さんの発言のすべてをチェックすることができない私にはその裏を取ることができませんが、生前にこのような批判をなしていたか、なしていなかったかによって菅野完さんの評価は大きく変わるものであるとも感じています。