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武田砂鉄さんの「出版中止はKADOKAWAが悪い」論

ラジオ業界の宿命ともいえる人材不足

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は一日のかなりの時間をラジオ、特にFMラジオを聴いて過ごしています。その中でラジオ局の特色というものを感じることがしばしばあります。そのFMラジオにも系列局というものがあって、石垣のりこ参議院議員がアナウンサーとして勤務していた仙台のDate fmなど各都道府県に系列局を持つTOKYO FMをキー局とするジャパンFMネットワーク(JFN)系列、J-WAVEをキー局とするジャパンFMリーグ(JFL)系列、キー局も含めて系列局がJFNまたはJFL系列の傘下局となりつつある在住外国人向けの国際放送をルーツに持つInter FMをキー局とするMEGA NET系列があります。JFNとJFLの毛色の違いを一言で述べれば、JFNが総合局、JFLが音楽に大きく舵を切った局と言えますが、これが中京圏では逆転していて、JFN系列のFM AICHIが音楽に舵を切っていて、JFL系列のZIP FMが総合局に近い印象です。
 首都圏の独立局で言えば、FM YOKOHAMAとbay FMが音楽寄り、FM NACK5が思いっきりトーク寄りで、関東地方のAM局の中ではLacky FM茨城放送が音楽寄りでありながらトークが魅力的なバラエティ番組も多く、最もよく聴くAM局となっています。
 ただ、これはテレビ局などと比べて予算が少ないラジオ局の宿命とも言えますが、首を傾げるような方が起用されていたりします。音楽中心であったJ-WAVEにニュース解説という硬派な番組を定着させて「局を変えた男」として高い評価をされていたのが「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上さんで、後に学歴詐称で全番組を降板するという大混乱を招くことにことになりましたし、中京圏ではアシスタントの女性に対する番組生放送中の傷害事件で男性パーソナリティが逮捕されるというような出来事もあったりしました。また、TOKYO FM「ONE MORNING」ではかつてBuzzFeed JAPAN初代編集長の古田大輔さんを解説者に起用していましたが、イデオロギーに基づいて偏った情報を発信する梁英聖さんが代表を務める反レイシズム情報センターの発信情報を公的な団体が調査したものであるかの様にラジオで発信していました。
 そして、そのラジオ業界の人材不足をご自身で表現なさる方がいらっしゃいました。TBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」のパーソナリティを務める武田砂鉄さんです。

週刊SPA!ニュースカタリスト「トランスヘイト本出版中止」における武田砂鉄さんの呆れ果てた発言

 週刊SPA!の巻頭コラムといえば、勝谷誠彦さん、菅野完さんと「痛い」方々が担当することで有名です。特に菅野完さんの場合は、週刊SPA!の編集側がそれまでSPA!に広告を掲載したことがない高須クリニックの高須克弥さんからの「圧力」があったと述べたと言う理解不能な理由によって連載が終了しています。なお、連載終了直前には、「公安怖いねん」、「抱っこして」などと述べながらその気のない女性に対して迫った性的暴行事件について告訴がなされ、民事から刑事へ審理が移ったことは連載終了には関係がないようです。
 本題に戻りましょう。武田砂鉄さんは、SPA!12月19日号「ニュースカタリスト トランスヘイト本出版中止 中止を決めた版元は不安を覚えたという声に丁寧に応えるべきだ」において、KADOKAWAに対し、こう述べています。

KADOKAWAは刊行中止を伝える声明で、書籍の中身ではなく、「タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ありません」と謝罪した。「海外では刊行されている」を理由に刊行を擁護する意見もあるようだが、版元の理由は「タイトルやキャッチコピーの内容」だ。ならば、SNSで散見されるが、「焚書」「言論弾圧」などの言葉を用いながら、中止の判断や批判する声に向かっていくのはおかしい。

 私は武田砂鉄さんのこの発言に対して疑問しか感じません。作家の書き下ろしによる原稿を書籍にするものと異なり、翻訳の場合は著作権を持つ者に対して権利の利用許諾を得ることが最も大きなステップとなり、その利用許諾契約に基づいて翻訳を行って書籍化することになりますが、出版が決まった段階で出版に必要な費用の支払いはほぼ確定しており、出版数に基づく著作権使用料だけが初版の冊数や重版の有無によって変動するだけの状態であるはずです。書き下ろしに比べて遥かに出版に向けて進んでいたはずの翻訳本が出版中止に至った理由について、KADOKAWAが出版を思い止まらなければならないほどの強い圧力がかかったという想像が元編集者である武田砂鉄さんがなさらないのが不思議でなりません。おそらく「プレ金ナイト」などでなさっている特定のイデオロギーに配慮したする姿勢がこの記事執筆にあたっても発揮されたと言うことなのでしょうか。