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立秋からの変化は少しリセットしろの合図やもしれぬ

土用が明けて暦の上での秋が訪れたのと同時に、お世話になった叔父が逝去しました。昨年亡くなった叔母の新盆を迎えることなく、3度の大動脈解離の手術から奇跡の生還を果たしてきたけど4回目のミラクルとはなりませんでした。仲の良い夫婦だったので叔母が待ちきれなくて迎えにきたのか、叔父は気丈な振りして本当は寂しくて力尽きたのか…そんな事を考えながら送ってまいりました。

訃報を聞いてから告別式まで、胸に一物抱えたまま盆前商戦の忙しさをかいくぐり、告別式終わってすぐ義実家へ向かって盆仕事をこなし、用足しして昨夜帰ってきてそのまま9時間ぐらい寝てしまいました。こう言ったメンタル的な調整を整える事がとても下手くそなので上手く切替ができないまま走り回って何だか魂が抜けている状態です。

どんなに夜ふかししても5時間ぐらいで目を覚ますのに、よっぽど疲れていたのか、雨の墓参りで濡れた身体に薄手のカーディガンが寒すぎて応えたのか、風邪を引きそうなダルさを感じつつも、熱を出して寝込む事態にならなくて安堵です。普段の規則正しい生活と夏の間にモリモリ食べたご飯と味噌汁、ガブガブ飲んだ美酢のおかげだと思っております。

しかしながら、いつもの左肩甲骨〜肩〜首の痛みが治りきらないまま、2日間運転しっぱなしで、コルセット(自主的に)するまで悪化し、あとはやはり告別式で久しぶりに大勢の親戚に会って、独特の疲れを生じて帰ってきました。

親戚に意地悪されたとか嫌味を言われたとかそんな事は一切なく、勝手に1人で落ち込み、奈落の底へ突き落とされてるというヤツです。何年も患って完治が難しい特殊な病です。
母の兄弟姉妹はたくさんいるので当然、「いとこ」もたくさんおります。いとこ達は子供の成長や家族の話題でもちきりになるので、子供のいない自分は勝手に自信を喪失して、剥がれ落ちていく虚無感を隠しながら笑顔で対応するのはあとから何かがどっと、きます。
若い頃よりはあまり気にならなくなって、ADHDを知ってから処理速度も早くなったのですが、子供がいないと言うことは、自分が死ぬときに誰も身内が送ってくれないということか…などと現実をまざまざと突きつけられた、その重みをプラスされて疲れ具合が増したのか…と自分で分析をしておりました。

秋雨前線も停滞して寒いお盆となり、雨が上がる頃には秋の空に一気に変化して空気に季節の移り変わりを感じ、寂しさも一層増し増しになると予想されます。

でも大丈夫、伝えたい事は「少しリセットすれば大丈夫」と言う事です。
歳を重ねると季節の変わり目にやけに敏感になり過ぎて困ります。
たった1日でいいので、ゆるりとだらりと過ごせればそれでいい…。そうすれば、自分は今、孤独ではなく一生懸命生きているという事を思い出せるはず…。そんな事をヒシヒシと感じた盆休みの日記でございました。

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