こえりだすぅ

ツィートで書ききれないちょっとした事をそこはかとなく書き綴ります。

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最近の記事

スポーツクラブなんて必要ないと思っていた私のスポーツクラブ初日

必要ない理由とは。 ①運動は無料の「ご近所ウォーキング」で充分だ ②お金を出して運動なんてとんでもない ③仕事忙しすぎて時間がない そう思っていたで私には縁のないものと決めつけていました。 しかしながら、度重なる(終わりのない)山積みになっていく仕事のストレスが限界にきていて、先日は仕事中上司と大喧嘩した。 上司=夫と、職場のオイルヒーターを蹴り倒し合戦になり私は金切り声をあげ椅子もぶん投げた。夫は窓からオイルヒーターを投下した。醜い争いだったけど暴れた私は非常にスッとし

    • PLAN75を視聴して団塊ジュニアの私が思う事

      「この制度が本当にあるのなら私は申し込む」が結論です。(以降、ネタバレ有り) 話の途中まで、独居老人のぼんやりとした孤独が自分の親と被って苦しかったのですが、途中から「制度賛成派」を自覚して少し楽になりました。しかし、いかんせん重い。…重すぎる。 これは、現段階の老人の話ではなく明らかに私たち「団塊ジュニア」の方が観ていて苦しくなるのではないでしょうか。少子高齢化・少子高齢化と毎日声高に叫ばれ、その声は脳内に響き渡り刷り込まれていきます。夫とも、そう遠くない未来の老後生活

      • 新しく設置したシンプルデスクがあの頃へ連れ去った

        十代の頃、私の勉強机は台所にありました。それが恥ずかしくて恥ずかしくてたまりませんでした。 東京から母の実家に移り住み、祖父が建てたというその実家は母の兄弟姉妹5人が暮らしてきた古い家。それぞれが出て行ってそして母がまた舞い戻り、私と言うコブ付きで舞い戻り、お世話になることになりました。 家財道具などほとんど捨てて身一つ状態でも、人間が二人プラスされるというのは大変な事です。古いその家は8畳ぐらいの二間しかありません。既に家財道具があるその部屋に、どうして私の勉強机が入れら

        • 最近のサウナにて、子供さんが多い件

          毎度おなじみのホテルステイ。 今回の連休は、いつものお気に入りビジネスホテルが軒並み満室だったので、足を延ばして成田まで来ました。 窓からは絶えず轟音と共にヒコーキが飛んでくのが見えます。 お風呂はもちろんのこと、サウナに凝りだしたので必ずサウナも視野に入れて検索してくれるようになった夫。 来てしまえば楽しむ事に全力を注ぎますが、とにっかく、やる事がたくさんあるのでできるならなるべく家に(事務所に)籠もりたい私。家に居るなら居るで、際限ないTODOを中断されることの無い環境

        スポーツクラブなんて必要ないと思っていた私のスポーツクラブ初日

          「虫垂粘液腫瘍」〜母の手術記〜

          幼い頃の盲腸手術の取残し…と言うことらしい。 母親ですら、何歳の頃に切除したのか、何処の病院だったかすら覚えておらず、そのぐらい遠い昔の話だ。切ったのは元「軍医」だったと言う事だけは記憶しているようだ。「軍医」と言うだけで一気に「戦争」を肌で感じる。 虫垂の根っこが盲腸に残っており、そこから出る粘液が悪さを働いて腹痛を起こしていたようだ。私を産んだ時の帝王切開手術や、36歳頃の腹膜炎手術で、母のお腹は傷跡でクチャグチャになっている。そこへ「開腹盲腸切除術」をするものだから痛

          「虫垂粘液腫瘍」〜母の手術記〜

          エピローグ〜乳がん(かも)備忘録⑦

          5/24(火)、病理検査の結果を聞いてきた。夫もついてきてくれた。 タイトルから分かるように、この備忘録を私は終わらせている。つまり、結果は良性だった。 夫が、とても喜んでいたので本当に申し訳なかったが、私の中ではもう手術をする前の組織検査の結果が逆転の「良性」だったので、そこでもう終わっていた。 実は、3月の半ば頃から母親が腹痛を訴えてクリニックから総合病院に紹介されて診察・検査の嵐で、ことごとく私の検査とシンクロしていた。日にちがまるかぶりで付添に行けず、結果もハッキ

          エピローグ〜乳がん(かも)備忘録⑦

          断捨離ズムと甲子の日~甲子の日の過ごし方ができてきた話〜

          タイトルの通りです。そうなのです。できてきたのです。 今までは、この日が近付くと急に「何をはじめよう?」「どこをどうする?」とワクワクのあまりテンパって、結局何もできなかった等と非常にもったいない過ごし方しかできませんでした。 私は何かを「始める」ことより「終わらせる」ことの方が難しい傾向にあるので、他の開運日や一粒万倍日、新月や満月よりこの「終わらせるのにも良い日=甲子の日」のドキドキとワクワクったらないのです。 物をため込んで片付けができない私には「捨てる(棄てる)」

          断捨離ズムと甲子の日~甲子の日の過ごし方ができてきた話〜

          摘出生検〜乳がん(かも)備忘録⑥

          いわく付きのしこりを取る日がきた。 4/25(月)朝9時受付、9時30分オペ開始。 大腿骨転子部骨折の手術をした時は全身麻酔で何もわからないまま終わってしまったが、今回は局所麻酔で意識がある状態で行われてしまう恐怖体験だ。 …とはいえ、手術室にはジャズが流れていたし、助手の方は女性で、他の2人も若い女性がテキパキ動きながらも優しいトークは欠かさないので安心する。 右腕に点滴を入れながら、血圧を測る。血圧は手術中ずっと測定。数分おきに右腕がキューっと締められては緩むを繰り返

          摘出生検〜乳がん(かも)備忘録⑥

          限りなく黒に近いグレー?〜乳がん備忘録⑤

          3/9(水)検査結果の日。告知を覚悟した私は夫と共に驚いた。 「良い結果ですよ。…良いと言うのも変な話なんですが」。Vクリニックの紳士先生はそう言うとカルテとこれまでの検査結果を時系列に見せながら説明してくれた。 つまり、1番決め手になる先週の組織生検では「良性」なのだ。「悪性」じゃないし「がん」ではないというのだ。追って見てみる。 先生曰く、こういう事はごくまれにあるとの事。先生自身も困惑していて「厳重に注意しながら経過観察で次回3ヶ月後にまた診察してみるということに」

          限りなく黒に近いグレー?〜乳がん備忘録⑤

          超音波誘導下吸引式組織生検 〜乳がん備忘録④

          略して(VAB)、ミサイルみたいだけど検査なのである。 3/2(水)夫に付き添ってもらいVクリニックへ。MRIの画像をもらって先に届けていたので、生検前の説明時に夫と共に見せてもらえた。MRI画像上では「7mm」とされていた。エコーとMRIで誤差は生じるものであるらしい。それよりも他にも数か所、しこりのようなものが散らばっていたのが気になりましたが、こちらは今回の対象ではないので結果次第・今後の治療方法の時に、と言うこと。 エコー画像も再度説明してくれて、赤い部分(Hot)

          超音波誘導下吸引式組織生検 〜乳がん備忘録④

          気持ちの推移〜乳がん備忘録③

          ここまでの気持ちの推移と各先生の見解。 2/2(水)G病院健診センター(乳腺分泌外科医師見解) この日初めて左胸のしこりの存在を知る。自覚症状全くなしだった。 マンモグラフィの画像に映し出されたしこりが拡大されていたので、部屋に入るなり驚いた。触診も探しづらいような小さいもので、左乳頭より少し上を自分で触ってみても確認できたようなできないような…そのぐらい小さい。 先生は石灰化したものだと思うけど、悪性の可能性がないとも言えないと悩んでいた。後ほど判断して「お手紙を書く

          気持ちの推移〜乳がん備忘録③

          おそらく多分そうだろう間違いない 〜乳がん備忘録②

          2/18(金)画像診断センターにて、おっぱいのMRI画像を撮りにいく。今度の組織検査でしこりの一部を吸引してしまうので、その前の画像を撮っておかなければならないらしい。 胸部に2つ穴の開いた診察台にうつ伏せになり、その穴に乳房を垂らし…その穴に乳房を垂らし…すみません、垂らすものなどありませんが?と聞きたかったがかろうじてやめておきました。 右手親指下部あたりから造影剤を注入し注射器は自らが持つ。「大きな音がする」らしいのでヘッドホンをして開始。音が鳴っていたようですが爆睡し

          おそらく多分そうだろう間違いない 〜乳がん備忘録②

          沈黙の3.4mm 〜乳がん備忘録①

          健康診断のマンモグラフィ&触診で左胸にしこりが見つかる。健診の結果を待たずして、自主的に最寄りの乳腺外科の専門クリニックにて検査し、細胞診検査をお願いした結果は 悪性の疑いあり。 90%は癌の可能性が高いらしい。全くもって予想外でした。3.4mmのしこり。石灰化したものだろうと健康診断での担当の乳腺外科の先生は言っていたが、「悪性の疑いがない訳でもない」と緊張を残してくれていたので、事の運びを早く進める事ができていましたが。 あまり実感がありません。 「おまえは強いな」

          沈黙の3.4mm 〜乳がん備忘録①

          2022年 今年の抱負

          甲子の日・天赦日・一粒万倍日とスペシャルに吉日な本日。出張に出かけるので何もできないと嘆いていたけれど、出張にいかなくて自宅にいても結局は何もできなかったような気もします。 こうしたかった、ああしたかったとギャーギャー騒ぐ前に、ありとあらゆる状況を受け止めてその時その時に合わせて臨機応変にやり過ごす…事が功を奏した2021年でした。 その想いを今年も継続していきたいと言う決意表明だけでも、今日と言う良き日にnoteに記せる事だけでも、多いに意味があると自負しこの先も長く書い

          2022年 今年の抱負

          チェッカーズにまみれていたあの頃

          Twitterのフォロワーさん(ストロベリームーンさん)が彼らについてnoteを書いておられました。返信しようにもTwitterのリプ欄に書ききれない想いが、十代の頃にあの時代を生きてきた者としてたくさんあるわ…と改めて感じ、私も感想の意を込めてnoteしてみました。 趣味嗜好や興味対象があれこれと移ろいゆく性格なので、彼等7人と過ごした日々もまた数年と言う日々ではありましたが、間違いなく「十代」「思春期」と言う多感な時期を共に過ごしたので、一度は記しておかなければならないと

          チェッカーズにまみれていたあの頃

          メディカルダイアリーをつける事を真剣に考えてみた

          これまで、お薬手帳もあるし、人間ドックの検査結果もとってある、だけどそれぞれは「何となく」保管されていて、保管場所もバラバラになっていることに気づきました。 事の発端は、Twitterのフォロワーさんで手帳を使いこなして雑誌にまで載った方が、診療記録をつけるぞと言うことで「ほうほう、これは是非真似したい」と思ったのが始まりでした。 とっても参考になるのでいつもこの方の真似っ子ばかりしているのですが、手帳については時間がなくて細分化できず、自分なりに抽出する程度だったのですが

          メディカルダイアリーをつける事を真剣に考えてみた