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「虫垂粘液腫瘍」〜母の手術記〜

幼い頃の盲腸手術の取残し…と言うことらしい。
母親ですら、何歳の頃に切除したのか、何処の病院だったかすら覚えておらず、そのぐらい遠い昔の話だ。切ったのは元「軍医」だったと言う事だけは記憶しているようだ。「軍医」と言うだけで一気に「戦争」を肌で感じる。

虫垂の根っこが盲腸に残っており、そこから出る粘液が悪さを働いて腹痛を起こしていたようだ。私を産んだ時の帝王切開手術や、36歳頃の腹膜炎手術で、母のお腹は傷跡でクチャグチャになっている。そこへ「開腹盲腸切除術」をするものだから痛ましい事である。
悪性ではないので緊急性はないし、手術をしたからと腹痛が皆無になる訳でもないのだが、本人立っての希望でお願いする事とした。おそらく私と同じ考えで、悪性じゃないとわかっていても身体に潜ませておくのを良しとしない判断基準の遺伝子が存在するのだろうか。

付添ができないので、日程を変更してもらって7/27(水)となる。2日前の月曜からの入院だ。1ヶ月延期したので、入院準備はその前から入念に行われていたので安心だ。完璧だ。
さらにその間に、退院後の生活が色々と辛くなるだろうと予想し、地域包括支援センターに相談して介護申請をした。介護と言っても排泄や入浴などは一人でできて着替えや食事も難なく行えるし、この先100歳まで痴呆やアルツハイマーとは無縁の様な気力(つまり元気ハツラツ)なのである。
…がしかし、骨粗鬆症で圧迫骨折5箇所の細く痩せた身体は、日常生活の些細な転倒で一気に「寝たきり」になる可能性を秘めている。包括支援センターの担当職員も、役所の介護課から認定審査に来た職員もその辺は神妙に納得していた。なので、希望としては週に一回様子を見に来てもらえる「要支援」で良いのだ。
スマートフォンに変えたばかりで、いつの間にかマナーモードになってしまい、電話しても繋がらない騒ぎで様子を見に行ってもらう騒動が度々起きたので、今回の入院・手術の事も併せてこの判断に至った。
母はヘルパーとして長年働いていたので事情や実態はよくわかっており、なので「自分が世話になる事」をとても嫌がっていたので抵抗されると思っていたけれど、「様子を見に来てもらえる事がどれだけ安心するか」を滾々と説いたので割と素直に納得してくれた。

この1ヶ月、度重なる検査や診療、地域包括支援センターの方、市役所介護課職員、心配してくれる親戚や友人など、たくさん交流して忙しかったので、変な話とても生き生きとしていた母だった。「他者と対応する」と言うのはそれだけで脳も活性化するのだろう。
私自身も友達と合わなくとも、業者や取引先、ECサイトの担当者と話をしただけで、もう「他者と交流」した事になり、それだけで充足感は得られている気がする。もっとも、友達と対峙しなければ心の充足感は得られないのかもしれないが、必ずしも得られるとは限らない事は勉強してきたつもりである。

手術開始09時00分、終了の院内電話が11時18分だった。面談室前にいるように指示される。

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