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ちあきなおみ~歌姫伝説~28 ちあきなおみ復帰画策事件

 一九七七(昭和五ニ)年、「夜へ急ぐ人」(九月一日発売)を巡り、如実にあらわれた歌への制作スタンスの根本的相違から、七月、ちあきなおみは当時の所属レコード会社・日本コロムビアに対して、今後契約更新の意思がないことを表明する。日本コロムビア側は、スターである歌手に辞められてはドル箱を失うことになり、ちあきなおみがどう動くかということは、今後マーケットに大きな影響を及ぼす重要な問題だった。しかし、双方による水面下での話し合いはつづいたものの、歌への価値観という核心部分での断層を埋めることは叶わなかった。
 そして、この対立構造がはっきりとした形で浮き彫りとなったのは、ちあきなおみと郷鍈治の結婚である。
 ふたりは翌年一九七八(昭和五三)年の四月二八日、ひっそりと式を挙げていた。ちあきなおみ二九歳、郷鍈治四十歳のときである。この結婚が公になると、日本コロムビア側は態度を硬化する。レコード会社になんの相談もなく、というわけである。
 数年に及ぶ制作スタンスを巡ってのせめぎ合いは、この結婚が大きな一因となって終止符を打つ。
 それは、ちあきなおみのわがまま、そしてその元凶は、プロデューサーである郷鍈治、としてであった。
 そして、七八年七月二一日、日本コロムビアは専属契約の解約をちあきなおみに通達する。このことは事実上解雇であり、レコード業界からの抹殺であった。
 ここで、業界から干された形となったちあきなおみは、少しのあいだ芸能界とは距離を置き休業状態に入るのである。しかし・・・・。

 その一方で、密かにちあきなおみ復帰計画は進められていた。
 
 しかし、ちあきなおみ路線を阻むふたつの事件が夫婦の前に立ちはだかる。この事件にも、やはり業界の圧力といったものが働いていたと判断せざるを得ない要素がいくつも絡み合っていた。このふたつの事案に対し、私は関係者に話を聞き、私なりに検分を重ねたが、やはり私自身も含めちあきなおみサイドからの見解が多くを占め公平を欠くので、【ちあきなおみ 50年目の真実】として、夕刊フジの公式サイト「zakzak」に二〇一九(令和元)年七月に五回にわたり掲載された、フリーライターの中野信行氏による記事を参照してみたい。
 現在に至り、数多く公開されているこれらの事件に関しての文献の中で、この記事が最も肯綮に中るであろうと思われる。

 この記事には、ちあきなおみの歌へのイデオロギーが、当時の歌謡界とどのように絡み合っていたのか、そして一度目の業界からの家出事件を考える上で、至って注視すべき事実が収められている。
 まずはひとつめの、「ちあきなおみ復帰画策事件」である。

 一九八〇(昭和五五)年、映画『象物語』(東宝東和)が製作された。同年、ちあきなおみはCBSソニーと契約していた。ちあきと親交のあった阿木燿子・宇崎竜童夫妻が映画の主題歌『風と大地の子守唄』を用意。ちあきは二年ぶりにサウンドトラック盤を収め、シングル盤も発表するという計画がもちあがる。ちあきと郷鍈治が大事に温めてきた計画でもあった。だが・・・・。

〈映画公開の前年12月、サウンドトラック盤はレコーディングを終えていた。ソニーは映画公開に合わせてキャンペーンを展開、自動車CMのタイアップも決まった。
 だが80年の年明け、シングル盤のレコードプレス直前、ソニーは「ちあきなおみのカムバック作戦は中止。シングル盤は出さない」と発表。「ちあきサイドに家庭内の問題が噴出してプロモーションに支障をきたしかねず、カムバックにも消極的」と説明したが、夫婦が大切にしてきた企画を、ちあきサイドが壊すなんてあり得るのか?謎が深まった。〉
(二〇一九年七月九日付より)
  
〈ちあきなおみは映画『象物語』のサントラ盤とシングル盤で復帰を計画したが、移籍先のCBSソニーが突然「ちあきのシングル盤は断念」と発表したのである。会社側はあくまで「家庭内の問題などで迷惑をかけたくないという、ちあき側の申し入れを受け入れた」と原因はちあき側にあると説明。
『象物語』のマスコミ向け試写会は1980年2月4日に開かれた。
 記者たちはサントラから流れるエキゾチックで風変わりな、ちあきの歌を聴いた。ところが「シングル盤は黛ジュンに変更した」という。集まった記者から突っ込んだ質問が飛び、CBSソニーは交代劇について苦しそうにこう説明している。
「ちあきの歌唱は映画主題歌では面白いが、シングル盤は発売するには重く、プロモート的には不向きと判断。全く別のイメージソングとして、主題歌は母性、シングルは男と女の世界をテーマに置き換える展開が必要。そのため、1種類の歌が必要となった」
 このとき、ちあきの事務所は「サントラということで録音したが、シングル発売については最初から聞いていない。ちあきは、あくまで主婦。復帰は考えていない」と答えている。
『象物語』の主題歌は急遽、黛がレコーディング。〉
(二〇一九年七月十日付より)

 ここでまたトラブルが起こる。急いでプレスしたため、初回7万枚のうち5000枚にミスがあり「A面・黛⁄B面・ちあき」となってしまった。黛側から訴えがあり急いで回収したが数千枚が、ファンの手に渡ってしまったという。
 黛のレコードはまずまずの売り上げとなったが、ちあきのサントラ盤は幻の歌となって消えることになる。しかも、なぜか、ちあきはソニーではレコードを1枚も出さずに退社。
 
〈当時はあまり報道されなかったが、最近になって関係者は「実は、あの事件の実態はレコード会社業界の力学が働いた」と明かすようになった。〉
(同)

〈1980年公開の映画『象物語』のサントラ盤はちあきなおみ、シングル盤は黛ジュンという珍事の原因は「レコード会社の力学に押しつぶされた、ちあきの不運」と音楽関係者は見る。ちあきを日本コロムビアから引き抜き、大々的な復帰プロモーションを狙ったCBSソニーだが、ドル箱歌手を奪われたほうは面白くない。
 ちあきは郷鍈治さんとの結婚をコロムビアに報告せず、それがもとで契約問題がこじれたと言われている。ソニーが休業状態となったちあきに目をつけ、移籍に成功させたが、当時の関係者は「最終的にはソニーも業界の秩序を重んじ、彼女のシングル盤を断念させたようだ」という。〉
(二〇一九年七月十一日付より)

 この記事から率直に受ける印象は、当時の日本コロムビアの怨念という感触である。
 文中にある「レコード会社業界の力学」「業界の秩序」というキーワードは、「嫉妬妨害」「外面的体裁」と置き換えることができるだろう。
 ちあきなおみ側もまた、この見え透いた演劇性を漂わせる出来事に、レコード会社に対して口火を切った以上、その報復処置と言っていいであろうこのような状況をひとまず受け入れざるを得ず、こういった権謀術策が渦巻く業界からはもう少しのあいだ距離を置き、家出したまま独自の活動を始動したほうが得策であろうと、憫笑を漏らすしかなかったことだろう。
 このようなことが、ちあきなおみが業界に対して、なんとかならないものだろうかと感じていた問題の本質であり、ひるがえってみれば、歌を当時のレコード業界の力学的レベルで捉えていたから、この後、歌謡曲および歌謡界が衰退の一途を辿ったのだと理解することもできないだろうか。
 しかしながら、この事件が起きてしまった要因はすべてこのように、レコード会社側のみにあったのであろうかと言えば、それは必ずしも適切ではないだろう。私は記事の中にある音楽関係者の、「レコード会社の力学に押しつぶされた、ちあきの不運」といった見解から受ける悲観的なイメージよりも、当時のレコード会社などという二流相手に、あまりにも正々堂々と歌への意志を貫くちあきなおみが自ら惹起させた、逃れるつもりなき命運のようなものを感じてしまうのだ。
 そしてこの事件から二年後、その命運を繋ぎたる、ふたつ目の事件が起こる。
 中野信行氏の記事は、再びちあきなおみの不運という匂いを漂わせている。
 それは知る人ぞ知る、「矢切の渡し事件」である。
               つづく
 
          

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