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ちあきなおみ~歌姫伝説~26 契約解除処分

 一九七七(昭和五ニ)年、商業ベースに乗って与えられた曲を歌う道筋から、自らが歌を選んで取り組む独自の路線を歩きはじめたちあきなおみは、翌年の一九七八(昭和五三)年一月、アルバム「あまぐも」を発表する。
 このアルバムは、河島英五が六曲、友川かずき(現・カズキ)が五曲、全楽曲書き下ろしによる作品で構成されている。収録されている「夜へ急ぐ人」(作詞・作曲・友川かずき)は、宮川泰アレンジによるシングル盤とは趣を変え、岸本ひろしアレンジの別ヴァージョンとして仕上がっている。
 バッキング演奏を務めたのは、この直後ブレイクすることになる、ミッキー吉野を中心としたゴダイゴである。
 私がこの「あまぐも」について精査していたところ、大変興味深い記事を探し出すことができたので、その一節をご紹介したい。この記事は、二〇一四(平成二六)年三月から七月まで「デイリースポーツ」紙上に掲載されていた、ミッキー吉野による【BAND狂時代】という連載の中での、六月十一日掲載の記事である。

「ちあきをゴダイゴのバックで歌わせてくれ」 
 ゴダイゴをやっていて、一番嬉しかった言葉はこれかもしれません。これも俳優さんと の付き合いなんですが、ちあきなおみさんのダンナさん、郷鍈治さんから「ギャラの半 分をあげるから、ちあきをゴダイゴのバックで歌わせてくれ」と言われたことがあるんですよ。郷さんとちあきさんは1978年に結婚するんだけど、その年に僕とゴダイゴが、ちあきさんと一緒にアルバムを作っているんです。「あまぐも」というタイトルで、僕がアレンジを担当して、ゴダイゴのメンバーが演奏したんです。それを郷さんが気に入ってくれたみたいで、あんな言葉が出たんだと思います。

デイリースポーツ(2014年6月11日付)

 結果的に願いが叶うことはなかったが、このミッキー吉野による回想記事から、これまでのちあきなおみから、まったく違う可能性への広がりを試算するプロデューサー・郷鍈治の姿勢が伝わってくる。アルバムの中でのちあきなおみも、前年の「夜へ急ぐ人」から一筋の糸のように連鎖してゆく独自路線を、果し合いに赴く侍の如く、本身の剣で十一曲の歌に挑みゆく様相を呈しているように思われる。
 特に「普通じゃない」(作詞・作曲・友川かずき)という歌は、恐縮ながら私流の造語である"焔歌様"(ほむらかよう)の極致である。そしてこの連鎖の中に、ちあきなおみと郷鍈治による、ちあきなおみロードの躍如たる面目があるのである。
 まさに「あまぐも」は、それまでの日本のポップスや商業作品にはない、ちあきなおみでなければ絶対に歌えない、きわめて稀有な名盤であり、現在、オリジナルアルバムの中で最も入手困難な一枚である。

あまぐも LPジャケット


 アルバムジャケットとなっているちあきなおみのシルエットの横顔は、歌手としてのエポックメーキングを示唆させる、現在眺めてみるとなおさらに感慨深い、また、往年のジャズピアニスト、ビル・エヴァンスのライブアルバム「ワルツ・フォー・デビイ」へのオマージュを込めた、郷鍈治の奧妙なセンスを窺わせる。
 そして翌二月、アルバムのタイトルでもある「あまぐも」(作詞・作曲・河島英五)のシングルリリースを最後に、ちあきあおみはデビュー時から所属していたレコード会社、日本コロムビアと絶縁するのである。

 前年の七月、「夜へ急ぐ人」(一九七七年九月一日発売)を巡り、如実にあらわれた歌への制作スタンスの根本的相違から、ちあきなおみ側は日本コロムビアに対して、今後契約更新の意思がないことを表明する。日本コロムビア側は、スターである歌手に辞められてはドル箱を失うことになり、ちあきなおみがどう動くかということは、今後マーケットに大きな影響を及ぼす重要な問題だった。しかし、双方による水面下での話し合いはつづいたものの、歌への価値観という核心部分での断層を埋めることは叶わなかった。
 その後の事実経過のみを洗い直してみれば、七八年七月二一日、日本コロムビアは専属契約の解約をちあきなおみに通達する。このことは事実上解雇であり、レコード業界からの抹殺である。

 ここで私は、ちあきなおみが私に話して聞かせてくれた、この言葉の余韻を噛みしめざるを得ないのである。

「会社を辞めるとき、いろいろなことを言われて・・・・。会社としては、辞められては後の人に示しがつきませんから、私がわがままで辞めたとか、悪者にされて。そういったいろんなことが嫌で、少し休みたいと思ってました」

 当時ちあきなおみには、〝奔放歌手〟〝恋多き歌手〟といったレッテルが貼り付けられ、揶揄的なニュアンスを込めたゴシップ記事も数多く太文字で横行した。歌に対する真摯なスタンスが、これほどまでに歌手のイメージを転倒させてしまうのは、やはり言葉に込められた、レコード会社における政治の介入というものがあったのは明白である。そして政治というものは、人間としての個人の尊厳を犠牲にして大義名分を振りかざすものである。
 ただ、まず歌というものが在り、レコード会社が成る、という観点に立つならば、このちあきなおみと日本コロムビアの対立構造において、商業主義かなにかは知らないが、歌の本質そのものを検討してみることにレコード会社が熱心だった、とは言えないのではないだろうか。
 そして、この対立構造がはっきりとした形で浮き彫りとなったのは、ちあきなおみと郷鍈治の結婚である。
 ふたりはこの年の四月二八日、ひっそりと式を挙げる。ちあきなおみ二九歳、郷鍈治四十歳のときである。この結婚が公になると、日本コロムビア側は態度を硬化する。レコード会社になんの相談もなく、というわけである。
 数年に及ぶ制作スタンスを巡ってのせめぎ合いは、この結婚が大きな一因となって終止符を打つ。
 それは、ちあきなおみのわがまま、そしてその元凶は郷鍈治、としてであった。
               つづく


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