【エッセイ】 子どもの頃、変な町に住んでた
カタチあるものはいつか滅びゆくということで、私の通った小学校も消え失せた。
いわゆる統廃合というやつだ。
私が生まれ育ったのは東京の下町にある当時ギンギンの新興住宅地で、とにかくめちゃくちゃ変な町だったし町として完全に気が狂っていたと思う。
新築のマンションと都営住宅が入り乱れて建ち並び、医者や経営者みたいな小金持ちからパチンカスやら銅線泥棒まで、日本の未来を背負って立つ若者から半グレ集団までを内包した多様な人間がワイワイガヤガヤ住んでいた我が故郷。
幼馴染はビックリマンのシールだけを集めてウエハースチョコは全く食べないから、いつもウエハースチョコだけテーブルの上にジェンガみたいに積み上がっていて遊びに行くたびに私が全部食べる係、いや係長だった。
大人になった幼馴染君はでっかい海苔屋に勤めていて、今でも時々海苔を送ってくれる。
カタチあるものは滅びるけれど、友情にはカタチがないから、永遠なのだ。
ズッ友よ、
永遠に海苔を、
送ってくれよな。
私はあまり長い時間じっと座っていられないので成人式には出席しなかったけど、式後の同窓会にはひょっこり顔を出した。
二十歳になった同級生たち、5年ぶりのクラスメイト。
駅前の居酒屋。
汚ねえ長机。
中央付近に座る私を境にして上座側にはケンブリッジ、ハーバード、東大京大一橋早慶上智ICU。
下座側には作業服を着た現場帰りの土方土方土方。
彼らは衝立てみたいになった私を飛び越えて会話をすることもなく、というかお互いの存在に気付いてさえいないような変な感じの空気感。
昔はさあ!なんも違わないみんなただの同級生だったのにさあ!
な〜んて安っぽいノスタルジーに浸りながらハイスペ卓と土方卓の双方に愛想を振りまき煙草を吸い続けそれ以来同窓会に行くのはやめた。
そうか目も合わせられなくなるのか、と思った。
同窓会はクソ。
我々が通った小学校は当時のなんちゃらかんちゃら推進なんちゃら校で、とにかく総合的な学習の時間というのに力を入れていた。
後年は形骸化したらしいが私たちの学年はまさに走りで、一人ひとりが自分でテーマを決めて調べに調べ、ガチの研究発表をやらされた。発表会には教育委員会の連中や区議会議員みたいなバカがいっぱい来た。
大学院まで経験した今だからこそ思うが、あの熱量は異常だった。
ちなみに私は当時依存症に興味があったので、薬物依存について調べてその成果を個人で発表したのと、ギターが弾けたのでビートルズ研究をしていた友人のサポートで一緒にIN MY LIFEを弾き語りした。
そんな地域だったので中学に上がるとそこは公立だっていうのにバケモノみたいな学力の学校だった。完全に何かがバグっていた。
どのくらいイカレていたかというと、当時偏差値が73あった私が学年の丁度真ん中で、成績表はオール3だった、と言えば分かり易いかもしれない。
学年の上位連中は模試を受けると満点、偏差値80以上、全国1位、みたいなのばっかり。
当時は今と違って相対評価だったから、5は何人、4は何人、3は何人と上から枠が決まっていて、偏差値80オーバーがゴロゴロいる学年の順位を平すには定期考査を模試より難しくするしかない。
そうするとどうなるかって、私立じゃなくて公立なのであまり勉強が得意ではない連中も沢山いるだから、そういう学年の下位30%程度は完全に切り捨てられたというわけ。
成績上位者は大金をかけて塾や家庭教師による訓練を受けているから成績が良いだけであって、学校の授業そのものは他所の中学と変わらないごく普通の授業をやっているだけ。
でも先述の通り順位をつけねばならないから定期考査は激ムズ。
何でもかんでも環境のせいにする他責人間は嫌いだが、さすがにもうちょいやりようがあったんじゃないか〜?とは感じざるを得ない。
特に同窓会のあとではね。
ラッキーだったのは私がちょうど中学3年生になるタイミングで成績が相対評価から絶対評価になったこと。
私の成績表からは3が消えて、4と5だけになったし、そのおかげでほとんど勉強せず推薦でちゃちゃっと進学先を決めることが出来た。
相対評価、完全に多くの人間の人生を狂わせた悪魔のシステムだったと思うね。
他所の中学に行けばオール5なのにうちの中学に居たらオール3、それで受けられる高校が決まってしまうなんて、ハイパーハイパークレイジーでしょ。イエローイエローハッピー。パーティーパーティーピーポー。
あと自分が塾の先生やるようなって初めて知ったんだけれど他所の中学校の定期考査って選択問題ばっかり。
うちの定期考査には選択問題なんてなくて全部記述だったよ。
クソッ。
そういえば統廃合になった我が小学校、ふたつの学校がくっついたんで「双葉」みたいな名前になったんだけどなんか金玉みたいで嫌だね。
我が故郷。
35年前、多くの子育て世帯が移り住んだ町。
今では私たちの里帰り先になり、多くのジジババが盆に暮れにかわいい孫たちの来訪を待っている。
私のようなカスの子育て世代はもう都内に住み続ける資金力はなく、埼玉くんだりに住み、春から娘が通う小学校なんてもんは一学年になんと10クラス。
時代は移り変わる。
親孝行は、親が生きているうちに。
カタチあるものは滅びゆく定めダカラ。(なぜか最後カタコト)
令和6年1月29日
草々
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