【エッセイ】 心の和室の襖はビリビリ
大切にしたい言葉がある
などと私が言おうものなら、賢明な読者はピシャリと屁をこきページを閉じて、矮小で瑣末な日常へと踵を返すだろうと思う。
太陽系の歴史を辿れば主観の大切物に客観が同等以上の重要性を認めた形跡は無いし、普遍的で軽薄な上等少女のように個人の価値観を公言すれば首を刎ねられるのが関の山である。
ただし、それでいても大切にしたい言葉というものは稀にあり、知らせというものは得てして急にやって来る。
「きみって絶対に私のこと好きでしょ?でもごめんね」
と、隣の席の女が言った。
だけれど私は彼女のことが取り立てて好きじゃなかったし、どちらかと言えば嫌い寄りの普通だった。
嫌い寄りの普通だったし、普通寄りの嫌いだった。
「嫌い寄りの普通や普通寄りの嫌いには気持ち多めに優しくしなさい」
と、母はいつも言っていた。
たまたま両親の話す言語の意味を理解していた私は偶さかの言いつけを律儀に守っていたのだろうと、今になって考えてみれば今日にとっての明日よりは多少のこと明白である。
ただそんな清廉さとは裏腹に、都バスの一番後ろの席に座って窓を伝う雨粒の徒競争を眺めていたら、急に「嫌い寄りの普通や普通寄りの嫌いに全然告ってもないのに突然フラれる人生はクソだ」と気付いてしまって泣いた。
大切にしたい言葉。
あれから20年、まだずっと泣いている。
夏が近づいて来て最近ちょっとばかし暑いねと言ったら、7月中旬は夏が近づいて来たとかじゃなくてもうとっくに夏なんだよと怒られてしまった。
関心なくして関与なし、関与なくして関係なし。
いま思いついた標語です。
夏になると思い出すのは故・義理の父の幻影である。
たしかまだ妻がギリ10代の頃であったと思うのだが、その日はうちに遊びに来ていて、じゃあそろそろ帰ろうかとなった時にこれから相当な暴風雨になるというニュースが聞こえて来たもんで、妻の自宅はその時まだ宇都宮だったし、今から電車に乗っても途中で止まってしまいそうだし、最寄りから自宅も徒歩で20分もかかるしで、これは無理して帰んない方が良いんじゃねえかとなった。
だから一応ちゃんと宿泊許可を貰っておこうか、ということで義父に電話することにした。
携帯電話(携帯電話!)から通話をかけて、妻の方から軽く事情を説明し、じゃあちょっとご挨拶をと思って携帯電話(携帯電話!)を受け取った私が、意を決して「はじめまして」と言ったその瞬間、
「なんだきみは。どうせすぐに別れる男と話すことなんかないよ」と来たもんだ。
真っ直ぐな言葉。ピシャリと切れる通話。多少の感情。降り始める雨。いつの間にかマツキヨになっていたTSUTAYA。弁当に白米を盛ってくれるポプラ。目の前で人が死んだ歌広場。いまはもう無いヤクザの事務所。
1時間後、妻は義父の繰る大黒スカイラインGTRに乗せられて宇都宮へと帰って行った。
無間を切り裂き駆けるテールランプを眺めながら「女の父親ってマジでクソだ」と思っていたら、なんか知らんが無性に泣けた。
大切にしたい言葉。
あれから15年、まだずっと泣いている。
そんな私も大人になり、夫になり、父になった。
父になったとちんちんになったは響きが似ているので注意が必要だ、というようなことはあまり口に出して言わない方が良い、というようなことを人々にレクチャーする仕事にも就き、順風満帆とは程遠いが駅の券売機のような場所でキョロキョロとしている困り顔の異邦人にハロー!メアイヘルプユー!?と声をかけられる程度には充実した日々を送っている今日この頃。
まさか自分自身がクソに、もとい、女児の父親になるとはついぞ夢にも思わなかったが、なってしまったものは仕方がないので、クソだとしてもなるべく普通寄りのクソ、クソ寄りの普通になれるよう一挙手一投足を丁寧にやっていくしかないのだろうと覚悟はしているつもりである。
丁寧な暮らしは心の余裕から、心の余裕は財布の余裕から生まれる。
この右肩下がりの島国において私は、私だけは、いつか現れる娘の彼氏に「なんだきみは」と言わずにおれる男でいたい。
本当にそう思っているんです。
そんな父の想いを知ってか知らずか、最近ではすっかり背も伸びて助手席に座るようになった娘。
後部座席に座った方がダラダラ出来て良いんじゃないかと思うのだが、「だってデートする時って後ろの席には座らないじゃん」とか何とか言いながらムシャムシャとぶどう味のグミを頬張りながらスマホをいじる小娘。
「あとどれくらいで着く〜?」と聞かれたのであと10分くらいかなと答えたら、「じゃあ着くまでに私のどこが好きか100個言って」と、ついに無茶なことを言い出した。
100個はムズいしこの女キツいなと思いながらそれでも出来る限り自分なりに精一杯頑張ったけれど、結局、到着までに24個しか答えられなかった。
背番号24と言えば、高橋由伸。
親孝行のためにヤクルトを蹴って巨人に入った高橋由伸。
いつの時代も親と子の間には、他者の関与を許さない不可侵の領域というものがあるのだ。
今は助手席に座る娘も、いつかまた後部座席に戻る日が来るだろう。
もしかしたらその時には、娘の隣にゃイケ好かないクソガキも阿呆面下げて座っているかもしれない。
それでも良いや。俺も結構頑張ったよ。
さっさと車を降りてひとりでダンス教室に入っていく後ろ姿を眺めながら、「もし彼氏が映画館で映画観ながらめちゃくちゃイチャついてくるタイプの男だったらどうしよう」と思ったらもうどうしようもなく泣けて来た。
大切にしたい言葉。
宛先のない想い。
あれから4日、まだずっと泣いている。
今日も明日も明後日も、心の和室の襖はビリビリ。
令和5年7月20日
既夏
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