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【エッセイ】 裸の一番星と俺の自転車

私が通っていたのは小説を読んだり映画を観たりして感想を書いたり、あるいは奇妙な格好をして飛んだり跳ねたりすると単位が貰えるちょっと変な大学だった。

イケフクロウからやや先に行ったところにあって、名前だけは無駄に有名で、卒業生は誰も就職できないかわいい学校。

子どもの頃から勉強が嫌いだった私はわざわざ大学に行ってまで嫌なことをするのは嫌だなと思っていて、でも本を読んだり映画を観たりするのは好きだったから、それで学位が貰えるなら儲けもんだと思ってフランクに受験した。

芸能の仕事の中ではCMのギャラが一番良いと聞いたので演劇の学科を志望したのだけれど、実際のところ演劇とかは学校の芸術鑑賞教室みたいなイベントでしか観たことがなかったし、もちろん演劇部でもなかったし、芸術的なことは特に何もやったことがないズブの素人だった私。

入試の倍率も当時は15~20倍くらいあって、さすがに未経験じゃ厳しいかなと思ったのだけれど、オープンキャンパスに行った時に個別相談の先生(後の担任)が「新聞の音読だけ毎日やっておけば大丈夫~」と言ってくれたのでその通りにしたらちゃんと受かった。(一応落ちちゃった時のために専門学校の願書も取り寄せていた)

そうしてロックミュージシャンになる夢を絶たれた私は珍妙な大学生になり、歌ったり踊ったり読んだり観たり書いたりして単位を稼ぐ日々を過ごす訳であるが、これも不思議な縁だとは思うのだけれど私にとっては本当にぴったり(本当にぴったりという言葉しか思いつかない)の学校だったようで、のびのびと(のびのびとという言葉しか思いつかない)過ごした(過ごした)。

作品を鑑賞して、感想を提出して、それに点数がついて返って来る、という体験は、今にして思えば社会生活における様々な場面に応用が利く重要な要素的何かを育てる機会になったように思う。

博士論文であっても「まず読み物として面白いか」が審査項目の一番目に来る大学だったから、ある作品に触れてそれが面白かったと書くにせよ、あまり面白くなかったと書くにせよ、論じるに値しないカスであると書くにせよ、まず読み物として面白い体裁の上で根拠を示し論説を展開して読み手を納得させて行かねばならないという作業環境の中で、そういった物の見方に毒された私は学部も佳境に差し掛かる頃には作品を素で楽しむという視点をすっかりぽっかり失ってしまっていたように思う。

子どもの頃に夢中になった映画もアニメも、構成や展開が気になり、セリフが気になり、テンポが気になり、音楽が、効果音が、作画が、声優の演技が気になり、どうしてもどこか一線を引いた鑑賞姿勢というようなクソ態度でしか関われなくなっていたように思うし実際そうだった。もちろん大好きだった小説とも。

そんな時、バイト先の塾の教え子たちに学芸会を観に来て欲しいとせがまれた。

生徒たちが通う中学校はバ先から歩いて5分もかからないところにあって、当時はそこが区内で一番学力が高くてそれゆえ一番人気もあって、そういう学校って不思議と学芸会のような文化的イベントも体育的イベント的に盛り上がるものである。

生徒たちはもちろん私が学芸会みたいな大学に通っていることを知っていて、ある種詳しめの人に自分たちの全力を観て欲しいんだと、そう勇ましく宣うのだった。

初めてくぐる校門を抜け広い校庭を横切って体育館に入ると、自分の母校とはまた造りの違うプロセニアムの舞台には幕が下りていて、その大仰な紺色だけがほろ苦い既視感を運んできた。

どの辺りに席を取ろうかとキョロついているところへ見知った生徒が駆け寄って来て、「先生はここ~」と言って下手側のやや後方の席に案内してくれた。

席と言うのも憚られるバキバキのパイプ椅子に腰を下ろしてしばらくすると若い校長による開会の言葉があり、雑多な学芸会の幕が上がる。

合唱、合奏、ソーラン節、大太鼓、英語劇、ダンス。後で聞いた話では、クラス単位ではなく演目単位で希望者を募りオーディションを経て出演が決まるのだそうだ。

だからこその熱気なのかと後から合点がいったのだが、それでも中には明らかに参加意欲のない者、練習が不足している者、やる気が空回りしている者、顔を真っ赤にしながら演じる者など様々居て、そんな子どもたち一人ひとりの彼らなりの頑張り、彼女達なりの表現に触れるたび、自分の心眼神経が少しずつほぐれていくような温かな気持ちを覚えた。

私を誘ってくれた生徒たちが出演する劇はお世辞にも高尚なものではなかったが、脚本はオリジナルで、知恵と工夫に満ちていて、演者スタッフ全体に強い一体感があった。

在校生が笑えるシーンがあり、卒業生が笑えるシーンがあり、保護者が笑えるシーンがあり、生意気にも観客皆が「自分に向けて届けてくれている」と感じられる仕掛けがたくさん用意してあった。

劇の終盤、主人公の男の子が「ほら!一番星だよ!」と言って上手側上方を指さすと、キャットウォークの手すりに括りつけられた何かがパッと光ってチカチカと煌めいた。

裸電球に電飾を巻き付けて作った一番星の小道具。

そのあまりにチープで、あまりにも創作心に満ちた一番星の輝きを認めた瞬間、私は柄にもなく胸がいっぱいになってしまって、きっとまた自由にものを見られる日がくる予感がした。

帰り際、生徒たちに感想を求められたので、「自分たちでは何点だと思ったの?」と尋ねたら、十人十色で様々な点数が返ってくる。

100点、90点、65点、30点。

「でも俺にとっては2兆点だったよ」と言ったのだけれど、「そういうのいいから」とすっかり呆れられてしまって、しっかり人数分のジュースを奢らされたし、近くのコンビニに停めておいた自転車はもちろん撤去されていた。


令和5年11月4日
草々


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