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夢現Re:Unification



――もう一度”逢える”のなら。優しい、キスを。


         1

虹園寺の空は抜けるような春晴れ。
わたし、大鳥あい。ユリイカソフトのAD、アシスタントディレクター。
二年目の春です。

「さて、みな揃ったわね。それでは『ニエ魔女』ファンディスク制作に向けて第一回の会議を行います」

会議室にそろったわたし達に向かって、社長、ほのかさんが言います。
襟を正して、厳かな口調です。
なんだか、らしくない……気もしますけど。ちゃんとするときはするのがほのかさん、我らが社長、なんでしょう。そう思いたいです。思いたいんですけど、隣に座ってるこころはわたしの胸のうちを読んだみたいにちっちゃな声で「甘いよ」と呟き。
え、とわたしはなります。続く言葉を引きとったのは、ななさん。

「……こーゆーときのしゃちょーは、むしろ、絶賛悪巧みおばさんっす。こえーっす」
「あら、失礼ね。せめて、おねーさんと言いなさい、なな」
「は、姐御!」ぴし、と敬礼して、ななさん。
「ふん」と鼻を鳴らしたのは、さきさんです。「おねーさん言える歳か。第一揃ったと言っても肝心の原画家がいないじゃない」
「そうなのよねぇ」

悩ましげに頬に指を添えるほのかさん。
そうなんです、昨年、秋、無事に発売された『ニエと魔女と世界の焉わり』……の、ユーザーさんは知らないだろうけど実はリマスター版。それはめでたくヒットとなり、初動だけじゃなく、じわじわ売れ続けて。
ファンディスクが作られることが決定しました。でも、欠かすことのできないシナリオと絵、その片方の原画担当マリーさんは。

今は祖国ギシリアに戻っていて。

「本当はね、発売してすぐ初動の勢いからファンディスクいけるって思ったの。だからマリーちゃんとは、もう少しこの国にいれないか、ギシリアに戻るにしても、絵の仕事やってくれないかって、何度も相談していたのよ。でも、いろいろ大変みたいでね」

それで制作決定まで、ここまで引っ張ってしまったのだと。ほのかさんはそう説明しました。

「それで絵は? どうするんですか?」

こころがディレクターの顔で聞きました。そうです、マリーさんの絵がなくて、どうするのか。

「ファンディスクにも旬があるわ。これ以上引っぱれない。絵は……最悪、別の人で行くことになるでしょうね。似せられる人を探して」
「最悪ってことは、まだ行ける可能性あるんすか?」とななさん。
「分はだいぶ悪いけどねー。はい、というわけで、現状の確認はここまで。ファンディスクをどうするか、という話よ。喜んで。テーマはもう決まってるの。――ひらめいちゃった♪」

おお、と唸るななさん。でも、それはめでたいはずの話ですが、なんだかみんな「大丈夫か?」という顔で。

ほのかさんは言いました。

「ファンディスクのテーマは、ずばり〝キス〟。そしてタイトルは――」

ほのかさんは言いました。
なんとも、ごきげんな口調で。
なんとも、自信満々な口調で。
なんとも、〝これしかない!〟って顔で。
言いました。

「『ニエと魔女と世界の焉わりChu☆』よ!!!!」

みんなの「大丈夫か?」という顔色が、いっそう濃くなりました。

          2

1.ファンディスクのテーマは「キス」
2.とにかく、登場キャラクターたちに、たくさんキスさせる(ちゅっちゅしまくりよー!とほのかさんは表現してました)
3.素材はできるかぎり、あるものを使う。それでいて新規感も出す(さきちゃんのシナリオに掛かってるわ、よろしくね!とほのかさんは言いました)(さきさんは、はん、と鼻息を吐いただけでした)
……こわかったです。

その夜、手を繋いで、こころと寮まで帰りました。
空には星の海に浮かぶ船のような三日月。〝春三日月〟というそうです。春は月が下から照らされるかたちになるので、そういうふうに見えるのだとか。テレビの受け売りですけど。
月の船、それに乗ったらどこか遠くへ。どこまでも遠くへ行けてしまいそうな。

どこか―――。

たとえば、別の世界、とか。

「ファンディスク、かぁ」こころが呟きます。
「うん、キスだってね、テーマ。わたし達のことから、ひらめいたって」
「やり倒してるもんね、あたしとあい」
「……そ、そうだけど。キスでしょ、ちょっと言い方が……」

姉妹でありながら、わたしは達はキスする姉妹。

「ニエと魔女は……ユメとウツツは、ずっとキスできなかったんだよね」
「できなくはないけど、したら、どっちかが死んじゃう……でも、あたし達の作った『ニエ魔女』で、それは解消されて」
「うん、だから……」
「いっぱいさせてあげたいよね、ちゅー」

キスできなかった、許されなかった、姉妹。ユメとウツツ。

「あたし、社長の案、悪くないと思う。タイトルはどうかと思うけど」
「同意……」

ファンディスクは明るくポップに行きたいと、そういう考えだそうです。本編が暗いから。じめっとしてるから、だそうで。その考えも悪くはないと思うんですけど。
えとですね、その、『Chu☆』はどうなんでしょう『Chu☆』は。

――ふっ、悪くないわね。いいんじゃない。

さきさんはそんなふうに言っていましたけど。あの『いいんじゃない』は『(どうでも)いいんじゃない』というふうにも聞こえて。とことんやる気のなさそうな。
よろしくね、とほのかさんに言われたときの鼻息も「知ったことじゃないわね」という感じでしたし。

「……『ニエ魔女』、さ」

こころの呟きに、うん? とわたしは見返します。

「なんだか、あたし、あんまり自分の手で作ったって感じがしてないんだ、今でも。あ、もちろん、一人で作ったなんて言えなくて、みんなの力で作ったんだけど。そうじゃなくて」
「うん、わかるよ」

わたしはそっとこころと、妹と繋いでる手に力を籠めます。不安を、少しでもとり除くように。こころも握り返してきます。わたし達の、わたしとこころの置かれてる状況はややこしくて。
記憶はある、一生懸命、ゲームを。『ニエ魔女』を完成させようとした記憶は。
同時に〝やくそくのばしょ〟から、見てるだけだった記憶もあって。
ゲームを作ったのは、自分であって自分でないような。

「あいはいいよ」
「え?」
「どっちにしろ、泉の絵のことあるし。作ったって言ってもいいじゃん」
”やくそくのばしょ”から届いた、ラフ。
「あたしは…………」

口ごもる、こころ。

「うん、だから頑張るんだよね。ディレクターとして。ファンディスク」

会議室で。
ディレクターは続投でいいか、と聞いたほのかさんに、こころは「絶対やらせてください」と即答しました。誰も反対する人はいなくて、それはその場で決定事項となって。
――あたし、頑張りますから。今度こそ。
会議室で吐かれた言葉は、みんなに言ってるようで、自分に言ってるようでもあって。それから、そこにいないニエと魔女、ユメとウツツに向かって誓ってるようでもあって。

「がんばるんだ、あたし」
「うん、協力するから、わたしも。ADとして」
「ADとしてだけ?」
「ううん、こころのお姉さんとして。妹のことが大好きな、姉として」

迷わずに、わたしも言います。
細い月明かりの下、こころのほっぺたが赤くなったのがわかります。キスしたいなと思いました。こころもしたいと思ったのがわかりました。もう寮の前です。わたしは立ち止まって、こころも足を止めて。

「あい、ちゅーして」
「うん、好きなだけ」

二十回しました。……えーと、その、すみません……。
ぽつりとこころがいいました。

「ユメとウツツにも、いっぱいさせてあげたいな、あたし」

うん、と頷きます。
やっぱり、ほのかさんが考えたテーマは正解だったと思います。好き合ってる二人は、たくさんキスできたほうがいい。なんの憂いもなく。当たり前のように、愛情を確かめ合えるのがいい。わたし達も、三年、ううんそれ以上、そんな当たり前のことができていなかったから、尚更、そう思います。そして、わたし達が今、そんな当たり前のように愛情を確かめられているのは、ユメとウツツ、二人のおかげで。

ただ、でも――。

(やっぱり『ニエ魔女Chu☆』はですね『Chu☆』は。ほのかさん!)

ちょっぴりどうかと思いますよ。はい。

          3

そんなふうに。
月明かりの下、ファンディスクに向けたやる気と、愛情を確かめ合ったわたし達、ですが。
次の日。ディレクターとADには過酷な展開が待ってました。

まず、わたし。

朝、自分の席で、ファンディスク制作に向けた資料をあれこれまとめているとほのかさんが出社してきました。飲み明けの顔でした。……見慣れてますけども。
おはようございます、と声を掛けると。

「あいちゃーん、かむひーあ」

ほのかさん、人差し指で、ちょいちょい。それから、顎をくいっとやって社長室を指します。お呼ばれです。はい、と返事をして、わたしは席を立ちます。ディレクターのこころではなく、わたし、ADを呼ぶということはそんな大した用事じゃないんでしょうけど。
わたし、社長室へ。
ちらっとこころを見ると、目が合いました。『なんだろね』という視線です。行ってくるね、とわたしは目配せ。一応、メモ用紙とペンを手にして社長室に向かいます。
失礼します、と入ると、ほのかさんは鞄からチューハイの缶を取り出すところでした。

「ほのかさん!?」
「やーね、違うわよ、飲むんじゃないの。ゆうべ買って放りこんで忘れてたのがあったから、出しただけよ。どうりで、今朝は鞄が重いなーって思ったのよねー。冷蔵庫、入れておいてくれる?」
給湯室の冷蔵庫にチューハイが入ってる会社って、どうなんでしょう。
「……わかり、ました」
一応、わたしは缶を受けとります。まさか、これが用事でしょうか。
「あのね、来てもらったのはお仕事の話」
「あ、はい」
「ファンディスクの。ほら、マリーちゃんがどうなるか、わからないでしょう。なるべくありもので、と言ってもそれで全部どうにかなるわけじゃない。そこで――」

まさか、と思いました。

「あいちゃんに絵、お願いしようと思って」
「その〝まさか〟――――――――――――――――――――――!?」
「う、まだお酒残ってるから大声は」
「す、すみません、でも、でもでも、ムリです。無理です無理です無理です無理です。わたしにマリーさんみたいな絵なんて描けません。天と地ほど違いますから、ムリですよ」

必死に訴えます。だって、そんな、いくらなんでも……な話です。 

でも、ほのかさんは、にっこり笑って、

「そうね。あなたとマリーちゃんじゃ実力に天と地ほど開きがある。アリと象ほど! 月とすっぽんほど! 鯛とミジンコほど! 社長と平社員ほど私とあいちゃんほど!」
「…………はい」
なんだか、胸にもやっとしたものが生まれましたが、飲みこみます。
「描いてもらうのは、SDキャラよ」
「えす、でぃ?」
「そう、ニエと魔女、いえ、ユメとウツツと呼ぶべきね。二人を2~3等身のマスコットキャラ的にデザインしてもらって、カットインで挟んでいく演出を入れたいの。数多く。だから、似てる必要はないし、なんならヘタウマな絵でもいい……むしろ、ウケるわ」
「は、はあ」
「スランプ、治ったのでしょう?」
「…………はい」

利き手がうまく動かない、というスランプは今はもう治っていて。確かにそれはそうなんですけど。でも、やっぱり急な話で、多少ヘタウマな絵が描けるといっても、わたしはどこまでも素人で。
商業作品に、自分の絵を使ってもらうほどでは……ない、気もして。
なんと答えればいいか、わかりませんでした。

「『いつか、姉妹でひとつの作品を作りたい』」

ほのかさんが言います。
どきり、としました。――胸が。

「え?」
「それが夢なのよね、あなたとこころちゃんの」
「あ…………」

確かに、そうです。幼い頃からの、わたし達、姉妹の夢。ほのかさんに言ったことがあるでしょうか。あるいは、こころが教えたのか。わかりませんけど、でも。

「ばっちり叶えちゃいなさい、次の作品で」

どう答えるか。戸惑っていると、ほのかさんが悪戯っぽくウインク。

「あのね」

内緒話を教えるように。

「これは、さきちゃんの提案なの。あなたにSDキャラを描かせるって」
「え?」
「ふふ、考えるものよねー。こころちゃんはこころちゃんで、今頃、託されてるはずよ。我が『ユリイカソフト』自慢のシナリオライター様、プチザウルス様からね。重~いミッションを」
「……え?」

わたしはそんなふうに一音呟くことしかできませんでした。

「ちなみにこれ、しゃちょー命令♪ よろー」

そして、場面はこころの方に移ります。

          4

これは後でこころから聞いた話です。
わたしがほのかさん呼びだされたすぐ後、こころもさきさんに呼ばれたそうです(寝てると思ってたさきさんは、起きてタイミングを伺ってたらしくて)以下、こころの話をベースとして。

「……は? なに馬鹿なこと言ってんの?」

思わず。
タメ口&小馬鹿にした口調で言ってしまったそうです、こころは。
さきさんからの、あまりの提案に。
でも、さきさんは珍しく、こころのそんな失礼な反応にも、怒ったりせず余裕の、むしろ楽しげな様子で。「そうね、馬鹿かもしれないわ、いーえ馬鹿ね、きっと」と肯定して。

「馬鹿でいいのよ、モノづくりなんて。だから面白いんじゃない」

人生の、仕事の先輩顔で。

「いい、ディレクター柳谷こころ。ファンディスクの物語は、あなたが作りなさい。……てか、わたしは考えないから。あなたがやらないっていうなら制作は中止ね」

それもいいけど、とさきさんはそんな態度だったそうです。
そして、それはこころの目にポーズや脅しではなく、本気の態度にしか見えなかったそうで。なるほど、会議でのさきさんの「(どうでも)いいんじゃない」って態度は、ファンディスクを作ると決まったときから、そうしようって考えがあったのかもしれません。

でも、物語を。

ゲームの根幹とも言える、それを任されることになるなんて、こころは。どんな思いで受けとめたのか。迷ったそうです。というか、断ろうと思ったそうです。わかります。気持ちはわかります。
断る。無理。自信がない。
まだしも新規の作品ならよかったのかもしれません。『ニエ魔女』は本編が発売されて、ヒットもして、評判も良くて、そのファンディスクともなれば。期待もされる。下手なものは作れません。
だから。
無理ですと。
こころは言おうと。

「あ、あたしには――……」

そこにさきさんが。

「夢、なんだってね。姉と一緒にひとつの作品をつくるのが。逃げんな」

ほのかさんがわたしに言ったように。
……ほのかさんより、ずいぶん厳しい言い方だったみたいですけど……。
でも、それでこころは決めたそうです。

「テ、テキストは……文章はさきさんが書くんですよね? あたしはプロットだけで……」
「そうね、でも、大事なシーンの台詞や地の分はプロットにも入れ込んでおいてもらうわ。プロットと下書きの中間、くらいに思っておいてもらうといいわね。喜びなさい、〝この〟わたしが推敲、清書推敲してあげようってんだから。ふ、ふふふふ、楽しみね、フフフフフ…………」

恐怖しか感じなかった、とこころは言いました。
これまでディレクターのこころは、さきさんの作業の遅れに怒って、上がってくるものを精査して、判断して、ダメなところは指摘して。それが仕事で。それが――逆転。
よりによって、さきさんを。〝あの〟さきさんを相手に。
わたしじゃ無理です。
泣いてごめんなさい言いそうです(いえ、考えてみればSDキャラの絵にだってさきさんが口出しすることはあるんですけど)(そのことに気づいたのは、ずいぶん後で)(泣いてごめんなさい言いたかったです)
でも、こころは。

「やり、ます。やらせてください!」

言ったそうです。
受けたそうです。
かっこいい妹です、頼もしいディレクターです。ほのかさんの前で煮え切らなかった、わたしと大違いです。……こころから聞いて、恥ずかしくなりました。こんなことなら、わたしも自分から「やります」って言えばよかったと。無理ですけど、性格的に。
ともかく、わたしはわたしで、ほのかさんとの話が終わり、社長室から出ようとしてた頃。さきさんは最後に言ったそうです。

「とりあえず、〆切は一週間後ね。期待してるわ」

どうりで。
わたしが社長室からオフィスに戻ったとき、こころがどんより曇った顔をしていたわけです。ライターからディレクターへの〆切返し。いわばそれは革命?反乱?……わかりませんけど。
というか、考えてみればライターに〆切を設定する権限はない気もしますけど。こころも後で気づいたと言ってました。
後の祭り。ときすでに遅し。
そんなわけで、わたし達は。わたし達、姉妹は。揃って。
新作(せんじょう)の最前線へ。

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