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アーカイブ(KOGADOの冒険ワークショップ vol.42+)

北川:
 先日はお誕生日おめでとうございました。

鈴木:
 なに、録音が上手くできてなかったって??

北川:
 そうなんです。まあ居酒屋だったので……。あと録れていたとしても内容がねw という事で改めてお時間いただきすみません。

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今回のゲスト:鈴木眞資さん
 工画堂スタジオ、顧問。御年72歳。工画堂スタジオデザイン制作部の全てを知るレジェンド。つまりソフトウェア開発部のもっとも古い記憶を持つ人でもある。街歩きと下町居酒屋が大好き。
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生き字引


鈴木:
 ソフトウェア開発部の立ち上げ当時の事?は、……あんまり覚えてないんだけどね。

北川:
 え?w

鈴木:
 ん-。
 ポイントになった要素ってのはいくつかあってね、当時うちの方(デザイン制作部)でアナログのボードゲームを作ってて、そういうノウハウがあったというのは一つあって、

北川:
 はい

鈴木:
 当時、小さな液晶ゲームのブームがあったんだよね。

北川:
 えーっと、ゲームウォッチですかね、任天堂さんの。

鈴木:
 そうだね。うちは任天堂さんとはお仕事できなかったけど、学研さんだったかな? そのお仕事があったんだよね。

北川:
 当時、いろんなメーカーさんから出てましたもんね。

鈴木:
 あのゲームの中身を作るんじゃなくて、ゲームの液晶のね、版下を作るって仕事だったんだよ。

北川:
 版下ですか?

鈴木:
 そう版下。墨一色のね。液晶ってこんなちっちゃい画面だけどね、その表示させる図柄とかを書き起こさないといけないでしょ。

北川:
 紙に墨一色で、絵を描くということですか。

鈴木:
 そうそう。こんな液晶がこんなちっちゃなものだったとしても、縦横5倍ぐらいのサイズの絵を描いて、それをぎゅーっと縮小して精度を出すんですよ。

北川:
 例えばキャラクターが横向いて歩いてるみたいな、ピクトグラムみたいなものですよね? それの手書きの部分の作業ってことですか。

鈴木:
 そう。それの全パターンを一枚の大きな紙に並べて描くんだよ。例えばリンゴが落ちてくるってのを、1、2、3って。でその横に、人がトランポリンに乗ってて跳ねるのをこれまた1、2、3と並べて描く、という具合にね

北川:
 それを書いてくれっていうお仕事だったんですか。

鈴木:
 それを鬼羅さん(注釈:工画堂スタジオの前社長。故・鬼羅あきら氏のこと)が営業してとってきたんだよ。

北川:
 ゲームの中身を作ろうってのは、その時点ではまったくなかったんですね。

鈴木:
 そうそう。まあもともと鬼羅さんがそういう新しいものが好きでね、仕事じゃないんだけど、いろいろいじってたんだよね。コンピューターとか。ゲームとまで言えないようななにかをね。

北川:
 仕事ではなく、半分遊びみたいな。

鈴木:
 半分というかほとんど全然遊びみたいな(笑) でもこれから先、パソコンを使って何か物づくりをしたいなって思ってたんだろうね。その結果何か仕事になればなって。

北川:
 その時点では、パッケージゲームを作りたいってイメージがあったわけではないんですね。

鈴木:
 あとすごく覚えているのは、俺が当時、アメリカ人の画家がエアブラシで書いた美人の女の子ばっかり収録されてる画集を買ったんだよ。それを鬼羅さんが見て「おお!いいじゃん!」っていって、なんか……、それが彼に、これをコンピューターの表現に持ち込めたらいいんじゃないかっていうインスピレーションを与えたっぽいんだよね。

北川:
 ああなるほど、CGにね。

鈴木:
 今のCGという言葉からイメージするようなものから遥かにかけ離れてるような、色数も少ない、ドットで描かれている絵だけどね。

北川:
 当時はドットで、どれだけ綺麗な絵を書けるかってのを競っているような時代もありましたもんね。工画堂のソフトの黎明期もそれでちょっと有名になったというのもあったようですしね。

鈴木:
 あとね、面白かったので覚えてるのはね、ボールペンで点描するみたいな装置を作ってね。

北川:
 装置? 誰がですか??

鈴木:
 誰だったかなぁ……鬼羅さんと……、N君がバイトで来てたような気がすんだよなぁ。あとA君?(注釈:NさんAさん共に後の工画堂SWDを作り上げたレジェンドです)その3人でやってたんだよ多分。

北川:
 え? 機械を作っちゃったんですか? ハードウェアを?

鈴木:
 そうそう。4色ボールペンてあるでしょ?あれをバラして、CMYKの色のものをその装置にセットして、それをコンピュータで制御して、コツコツコツコツ……って点を打ちながら絵を描くんだよ、何日もかけて。多分制御するプログラムも、自前で作ったんじゃないかなあ。

北川:
 その点描する絵自体は、コンピュータの中にCGとして用意していてあるんですよねきっと。つまりアナログ→デジタル→アナログってやってるってことですか?

鈴木:
 多分そうだったと思うよ。

北川:
 え、何のために?

鈴木:
 いや、わかんない(笑)とにかくね、なんかすんごい時間をかけて、で、結局描くのは美人の女の子なんだけど。「こんなのできたよ」とか見せてきてね。スゴイけど、けどこれどうするの??って聞くと、「いや、考えてない」みたいな(笑)

北川:
 なんか、デジタル技術の使い方を完全に間違っている、彷徨っているw

鈴木:
 Emmyとかまだ作る全然前だね。世の中も多分みんなコンピュータのうまい使い方がわかってなくて、そういう試行錯誤というか実験というか、何ができるのか可能性みたいなものをずっと探ってたよね。

北川:
 なんか、スゴい話だなw
 何年ぐらいの話ですか?1980年とか。

鈴木:
 80年の初め頃だよね。台町ビルが出来上がった頃だから。学芸大の学生さんがたくさんアルバイトに来ててね、仕事なのか遊びなのかわからないようなことをみんなしてた。

北川:
 会社的には、ソフトウェア開発ではなく、あくまでもデザイン制作部の業務の延長で、鬼羅さんが率先してやっていたんですかね。

鈴木:
 そう。それで人が増えて場所がなくなって、台町の近くにアパートを借りてたんですよ。余丁町のあたり。そこでもう缶詰生活みたいな、みんな家に帰らないってのが始まったんだよ。

北川:
 ソフトっぽいですねw

鈴木:
 ある社員がね、布団とか毛布とか持ち込んじゃって。それがあるから家に帰らないんだって隠したんだけど、またすぐ見つけてきてかぶって寝てる。だからもうホントに捨てちゃったりしたんだけど、そしたら窓のカーテンを外してかぶって寝たりしてて。

北川:
 ひどいw

鈴木:
 ソフトはね、そのあともどんどん人が増えていって、あっちこっちに部屋を借りて。高円寺に行った時はもう本当にご発展って感じでね。パワードールよりもっとまえの、なんだろう。

北川:
 シュヴァルツシルトとかですかね。もっとまえですかね。覇邪とか?

鈴木:
 そうそう、覇邪の封印。あれがすごかったな。これは売れそうだなって。フィギュアとか付けたじゃん? ああいう差別化をしようっていうのが鬼羅さんの一貫した考え方で、おもちゃをやっていたってこともあるのかもね。


いつでもいっしょ(言われることは


北川:
 眞資さんが役員として、デザイン制作部だけじゃなく会社全体を見るようになっていったのはいつくらいからでしたっけ。

鈴木:
 2000年から、だから、20年近くは見てたかな。

北川:
 当然デザイン部だけじゃなくて全体が見えるし、最初の台町時代から枝分かれしていったソフトウェア開発部の、できてる部分できていない部分ってのが見えてきますよね。

鈴木:
 うんうん。

北川:
 思うところというか、どう感じられましたか?

鈴木:
 んー、鬼羅さんが立ち上げたころのソフトの様子も知ってるから、勢いのある時も見てるしね。だんだんと状況がかわって大変だなってのも見えていて。PCのプラットホームに絞って、そこがだんだんシュリンクしてきて、コンテンツがしっかりしていれば何とかなるといってたけれども、それも十分なクオリティを維持できなくなってきて。当然お金も時間もかかることだし、加えて世の中の流れの影響も強く受けるものだし難しいなとは思ってたね。

北川:
 業務的に、例えばBtoCとBtoBで全く違うことやってるわけで、一発当りさえすればみたいなことを言われることもありますよね。なまじ勢いの良かった時の記憶もあったでしょうし。

鈴木:
 山師的なね(笑)
 でも、どうなんだろう。ちょっと俯瞰して感じることとして、やっぱりいろいろ話を聞くと、ソフトの制作がやりたいことと経営的に考えていることとにずれがあって、ちぐはぐだったというのは感じたかもしれない。

北川:
 自由度高くやっていて。

鈴木:
 そうだよね。みんなを一つの方向に向かせるっていうのは、ちょっとできてなかったのかもしれないね。

北川:
 なるほど。

鈴木:
 みんなすごい想像力も才能も持ってるし、やる気だってあるんだよね。それをぐっと集約できなかったのは、一つあるかもしれないね。

北川:
 それは時代が変わっても、今も必要なことでしょうね。

鈴木:
 あとは、実際はどうなのかわかんないけど、ある程度スケジュールみたいなものをきちん立ててね(笑) 難しいとは思うけど、計画立てつつ進めないとね。その意識が足りないかなと。いろんな取引先さんを見ていても、計画通りにはいかないなって言うのはわかるんだけど、一つ一つを振り返って肥やしにしてやっていかないとね。大変だとは思います。でも知恵のある人ばかりだからね。

北川:
 出し合って、力を集約して、ですね。

鈴木:
 そうだね。

北川:
 肝に銘じます。ありがとうございます。


 ここに文章化されてないたくさんのエピソードも伺えたのですが、今回はソフトウェア開発部に纏わることだけに絞って記事にさせていただきました。そりゃ全部記事にしたら40年分以上あるし・・・。 いつかデザイン制作部に纏わることで記事化してみたいと思います。
 持てる力の集約の大事さ、エピソード付きで再確認できたことをありがたく思います。取材のご協力、ありがとうございました。

 アーカイブの大事さ、です。

 今週はこの辺で。
 また次回。

※「KOGADOの冒険ワークショップ」では、ソフトウェア開発部の北川がその時思いついた事柄を駄文にしたためております。取り上げて欲しい事柄などありましたらお気軽にリクエストください。
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