【書留】罪と罰

4.5年振りに太宰治の「人間失格」を読んだ。此処に至って簡単な書留をしておこうと思う。

初めて読んだ際には衝撃のあまり単なるバッドエンドにしか思えず、こんなに凄惨な物語があるのかと嘆いていたのだが、久方振りに読んだ人間失格は何故か思ったより凄惨さを感じなかった。
一度読んでしまっているからというのもあるだろう。だが殆ど内容を覚えていない状態であったので印象としては初見とさほど変わらないはずである。

寧ろ親近感まで湧いてきているのだ。別に死にたいなんて思っていないし、アルコール中毒でも薬物中毒でもなく、そもそも精神的に参っている訳でも何でもない。何の共通点も浮かばない主人公の葉蔵に、私は惹かれた。

嗚呼、この感情こそが、葉蔵を取り巻く女性達の感情なのだ。意図せず女性を魅了してしまう能力。それは葉蔵にとっては破滅への道を辿らせるに過ぎない、極めて迷惑なものだ。
...いや、葉蔵は、本当に迷惑だったのか?

彼は人間に対して畏怖や疑念を抱き続けてきた。作中にも書いてある通り、女性に対しては特にその感情が強かった。
確かに、女性絡みで幾つもの悲惨な事柄が起きている。だが、私には、その女性達の感情全てが、葉蔵にとって迷惑でしかなかったとは到底思えないのだ。

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神に問う。無抵抗は罪なりや?

このフレーズに、葉蔵の全ての思いがつまっている気がする。
否定するという行為が出来なかった葉蔵。心の中では様々な感情が渦巻きながらも、全てを受け入れるしかなかった。否定をしない、所謂「良い子」を演じ続けてきた結果が、脳病院行きである。

誰よりも人間らしく生きようとした彼は、最終的には人間で無くなった。何という皮肉だろうか。

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個人的に印象強いもの。 

「罪の対義語」

あくまで私個人の考え、憶測に過ぎないが、この「罪の対義語」こそ、この「人間失格」の作品の核心であり、太宰治自身の最大の謎だったのではないだろうか。

悪友堀木は法律と答えるが、葉蔵はドストエフスキーの著「罪と罰」を引き合いに出し、「罪」と「罰」は類義語ではなく、対義語として描かれているのではと解いている。その根拠たるものは明確に記されていないので何とも言い難いが、あながち間違いではないのかもしれない。

罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、
氷灰相容れざぬもの。
罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、
腐った池、乱麻の奥底の、

残念ながら私は、この文を理解する頭を持っていない。よって理解不能だが、言葉のニュアンスとして、何となく、分かるような気がする。

この文を理解出来れば、「人間失格」の本質が分かるかもしれない。私はそう期待している。
もう一度述べるが、これはあくまで私の憶測に過ぎない。だが「罪の対義語」を知ることが出来れば、少なくとも、この奇怪な、それでもいやに現実味を帯びている「人間失格」の世界に、我々は近付けるのではないかと願うばかりである。

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