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好き嫌いと良し悪し

こんにちは、千鶴です。

思ったことなどを唐突につらつらと書き記してみようと思います。

「好き嫌いと良し悪し」
今回のタイトルです。

今まで色々な作品や何かしらに対する表現と、それに対する世間、というとなんだか主語が大きくなってしまうような気がするので他者、と言ったほうが良いかもしれませんが。

作品だったりを評価をする際に人は「好き嫌い」を混同しがちです。
私もあると思います。

しかし本質的には好き(嫌い)であることと、作品表現に対する素晴らしさ(上手い、すごい、等)とは別物ではないかと思うのです。

「感動した!」「泣いた!」
多くの人がそう語る作品について、私は感動できない、泣けないことも多々あります。
むしろいわゆる「泣き」作品(泣けると言われるような作品)においては、お涙頂戴展開だったり、泣かせにきてるのが透けて見えることも多いのでそういう作品こそ冷めてしまいやすい部分があるわけです。

前置きが長くなりましたが、つい最近の推しの出ている舞台作品について思ったことを。

私はまず原作のシナリオが好きじゃなかった。
「泣かせにきてる」とまさに感じる作品だと自分は感じたし、人の死を「感動ポイント」として持ってくるのはどうにも苦手なのです。
「この作品はそこだけじゃない!」と主張するファンの方もいらっしゃるかと思います。しかし一番の大きなテーマはやはりそこなのではないかと思います。
私はそう感じてしまった。そして苦手意識が心の奥にありました。

しかしこの舞台が悪い作品だとは全く思いません。
まずとにかく楽曲は大変素晴らしいし、その楽曲においての歌唱表現の仕方だったり、役柄に対しての真摯な向き合い方、その演技だったり。
出演キャスト様の力はとても素晴らしいものだと感じましたし胸に響くものは確かに強くあり、心が震えました。

しかしやはりそもそものシナリオにどうしても心が震えないわけです。
(泣いたところはありますがちょっと特殊な感情移入というか何かが違う泣き方でした。なので泣くタイミングも周りとズレてました)

推し、そして他のキャストさんは「さぁここが泣きポイント!泣かせるところ!」という演じ方をしていなかったように思います。だからきっと良かった。
推しは特にまさにその「泣き所」のポイントであるキーキャラを演じているからこそ、もし彼女が泣かせようと演じていたらきっと冷めてしまっていたし辛かったと思います。自分の役柄を全力で、その役柄の人間としての人生を懸命に生き抜いてくれてた。あの子いつもそうなんですよ。(好き)

ちなみに主人公のダブルキャストについて、複数回の観劇を経て私は圧倒的に木村達成くん派で最後までブレませんでした。これはおそらく、原作のストーリーシナリオ自体が好きではないところ、そしてこの作品において私が最も惹かれた「楽曲」の力をより強く引き出してくれていたのが彼のほうだったから、だと思っています。本当に素晴らしい歌唱でした。木村達成という役者はすごい。

何にせよつまり、私はこの作品を「素晴らしい」とは思うけれど「好き」とは思えない、ということだと思います。

SNSにおいては作品の感想が飛び交います。その中で多くの絶賛のコメントを見ることにより自分の感覚がおかしいのだろうかと不安になったり心細くもなります。ていうか、なりました。
あと、大好きな推しが全力で取り組んでいるその作品のすべてを好きになれないことに申し訳なさを感じてしまう罪悪感で勝手に苦しんだりもしました。が

結局のところ推しは存在そのものがすべて素晴らしいのです。生きてるだけで尊い。視界に入ってくれることに感謝の極み。もう何でも好き。推しちゃんマジ天使フォーエバー(頭の悪い役に立たないオタク)

まぁそこのところがあればそれできっと良いのでしょう。これからもそのスタンスで行きます。それはさておき。

作品は「好き」ではないが、推しは「好き」であり、作品は「素晴らしい」と感じている。
この感覚を自分の中で処理するのがもしかしたら難しいのかもしれません。

特に何かを伝えたかったわけじゃなくて。
心の中を少しだけ、きっと吐き出したかった。
そんなただのオタクの独り言でした。

伝えたい事があるとすれば。
もしもあなたが周りと違う感想を抱いたとしても自分の感性を疑わないでください。色んな捉え方、色んな想い、みんなそれぞれ違うのです。

お付き合いいただきありがとうございました。

結論 推しは尊い。


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