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デジタル化が呼び込む全体主義。堤未果 著「デジタル・ファシズム」。


前著『日本が売られる』で人気を馳せた国際ジャーナリスト、堤未果 (つつみ みか)氏。

国際ジャーナリストという肩書に相応しく、日本だけでなく海外 (特にアメリカ) の報道資料、官公資料に基づいたジャーナリスティックな著作が多い。

今回は彼女の新刊『デジタル・ファシズム』をご紹介。

本書の要点

堤氏の著作は日本で普通にメディアに接しているだけでは知りにくい貴重な情報提供してくれるのが特徴。その出典元も明示しているため、"事件の裏を暴く"という記事にありがちな「陰謀論」の書とは一線を画す存在だと。その分析と考察も非常に鋭く、いわゆる大手メディアの情報に染まりがちな一般人にとって非常に価値の高い書となっている。

今作で堤氏が取り上げたトピックは、本書のタイトルの通り「デジタル化」だ。

新型コロナ対応において、行政システムのデジタル化の遅れが政府の後手後手の対応に一役買ったこともあり、デジタル化推進は世間的にも一刻も早く推進するべきだという風潮がある。だが、本書の中で著者はそれに安易なデジタル化推進に慎重な立場を取っている。

ざっくり言えば「”デジタル化=良いこと”と思われがちだが、必ずしも良い面ばかりではない。むしろデジタル化することで、国家や大企業に国民の個人情報は丸裸にされ、個人の権利を奪われる可能性が高い。また、そこにはIT企業と政府との巨大な利権を巡るビジネスの思惑も潜む。デジタルによる徹底的な監視社会の誕生、政府と企業による富の収奪の危険性を回避するためにも、安易なデジタル化に流されず、国民による徹底したチェックが必要だ。」という警鐘を鳴らすこと。それが主旨だと言えるだろう。

個人情報収集ツール「TikTok」の恐ろしさ

本書の中ではそのような危機感を抱かせるに十分なレポートが数多くなされている。

たとえば昨今若者の間で流行っている動画共有アプリ「TikTok」だ。

日本ではあまり話題にならないが、このアプリは元々北京を拠点とする中国企業が開発したものだが、世界の各国から警戒対象に定められている。台湾、香港、インドでは利用が禁止。アメリカでは保護者の同意なく未成年から個人情報を収集していたとして570万ドルの罰金が科せられた。アメリカ国防総省ではすべての兵士にTikTokの利用を禁じられた。

それだけではない。

今年同じくアメリカでプライバシー保護法に違反しているとして、100億円以上に和解金を支払わされたTikTokは「ユーザーから生体識別情報 (顔写真や声紋のような個人を特定する情報)を収集する」と利用規約を更新。アプリをダウロードする際にいちいち利用規約をチェックするユーザーはいないことから、”合法的に”かつ”ユーザーが知らぬ間に”個人情報を収集することを可能とした。

生体認証があれば偽造パスポート、クレジットカード口座などが簡単に作れる。アカウント乗っ取りや詐欺などの材料に使われる可能性も非常に高い。海外の多くの国はTikTokに警戒を強めているが、なんと日本ではTikTokの親会社であるバイトダンスが経団連に正式に加入し、日本の財界や政府の動向に影響を与える力を持つようになってしまっている。

このTikTokの件は本書の第一章で取り上げられている事例だが、これだけでもかなりセンセーショナルな内容であることがお分かり頂けるだろう。「若者の間で流行っている」という理由だけでTikTokをビジネスに活用する向きが強いが、より長期的かつ国家戦略という俯瞰的な立場から眺めた場合、そのような単純な思考がどれほど危険をはらむ行為であるかが容易に想像がつくだろう。

デジタル・ファシズムという言葉の曖昧性

ただ、本書で一つ残念なことはタイトルにも使われている「ファシズム」という言葉の定義が曖昧だったことだ。

もともとファシズムという言葉自体、定義が曖昧なところがあり、研究者によってもその解釈は幅がある。いわゆる全体主義という言葉と同じ意味で使っている人もいれば、第二次世界大戦中のファシスト政権による独裁体制を指して言う人もいる。

本書で著者はファシズムという言葉を「独裁」に近いニュアンスで使っているのだが、本来ファシズムと独裁はイコールではない。

たしかにファシズムとは第二次世界大戦前にムッソリーニ率いる「国家ファシスト党」が敷いた独裁体制から出てきた言葉である。

しかし、このファシストの語源となる「ファスケス」とは古代ローマ時代に権威の象徴とされた斧飾り”ファスケス”から来ているもので、力強さの象徴ではあるものの、現代の私達がイメージするような独裁という意味は含んでいない。ムッソリーニがこの権威の象徴たるファスケスを党名に取り込んだのは、当時まで国民国家としての体制が脆弱だったイタリアという国に盤石な基礎を打ち立てる”力強さ”が国民の間で広く求められたからだった(参照: 本村凌二「独裁の世界史」)。

すなわち、力強い国家を求める”空気”が国民の間にあったからこそ、ムッソリーニが政権を取り、結果的に独裁体制を取ることになったのだった。そしてこの空気こそが全体主義の特徴であり、ファシズムが"空気が全体を動かすという意味での全体主義"の一形態であることの証左でもある。

ファシズムの恐ろしさに踏み込めなかった弱さ

その意味から考えると、デジタル・ファシズムという言葉を「デジタルを使った政府の独裁」という意味で使うことについて、著者は慎重になるべきだったのではないかと思う。

これは言葉の定義にこだわる「言葉遊び」をしようというのではない。

そうではなく、ファシズムという言葉を「政府がデジタル技術によって国民を意のままに操ろうとする独裁体制」という意味づけで使ってしまうと、ファシズムという言葉が持つ意味合い・・・すなわち「国民全体が何かの”力”を求め、それに応える人物(扇動者)が現れ、結果として国家全体が独裁体制へと突き進む」という全体主義としての側面が薄れてしまうのではないかと危惧しているのである。

著者が警鐘を鳴らすデジタル化の安易な推進の恐ろしさは、まさに全体主義の本質である”全体を突き動かす空気”に依拠している。その空気とはすなわち、利便性、効率性、あるいはデジタル処理という"人の関与"を排除することが正しいという思想への盲目的な追従であり、これこそが今の日本全体を動かす"空気"なのである。

著者が本書で指摘するのはデジタル化がはらむ、全体主義の一形態としてのファシズムの危険性である。それならば、政府の独裁という一面的な見方ではなく、国民側から巻き起こる"空気"がもたらす全体主義の恐ろしさにこそ着目すべきではなかっただろうか。著者がその点に踏み込まなかったのは少し残念だ。

本書を読む上での注意点

とはいえ、堤氏の著作は日本で普通にメディアに接しているだけでは知りにくい貴重な情報提供してくれるのは間違いない。その意味では今作も非常に興味深く、さまざまな人にお勧めしたいのだが、一つだけ難点を挙げるとすれば、彼女の書き方の癖によって、読み解くのに若干疲れる著作になっている点だ。

というのは、ジャーナリストであるのだから当たり前かもしれないが、彼女の著作はいつも一冊の本が全体として体系だった書かれ方をしていないことが原因。

各章がデジタルという一つのトピックで関連づけられているものの、それぞれの独立性が高く、関連性が薄い。また、事実の列挙や解説に終始している箇所も多い。著者独自の観点やそれに基づく主張が分かりづらいため、バラバラの記事の寄せ集めのような印象を受ける。

その一方で、膨大な情報が掲載されているだけに、連続して読むと”胸焼け”がしそうになってしまい、著者が調べ上げたことの”面白さ”がいまいち伝わりづらいのが非常に残念だ。

とはいえ、今回の著作では”デジタル化の光と影”という横串を通して、下記のような私たちの生活に関わるさまざまなトピックが取り上げられている。

・デジタル庁の利権問題

・スーパーシティに隠された利権構造

・巨大IT企業による個人情報収奪の問題点

・スマホ決済などのデジタルマネーを取り巻く企業の闇

・教育のデジタル化の影でボロ儲けするIT企業

などなど。

どれもが日本社会のこれからの動きを考える上で非常に有用な知見を得られるのは間違いない。最初から全部読もうとせずに、興味がある章だけを一章ずつ読むなどの工夫した読み方をすれば、”胸やけ”することなく楽しめるのではないかと思う。

という訳で今回ご紹介したのはこちら。

堤未果 著「デジタル・ファシズム」でした。


今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m

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