祖父を想う日

両親は、末っ子同士だったのもあって、私の祖父母は、物心ついたときには、すでに高齢で、小学校・中学校までで3人亡くなり、最後の一人だった大好きなおばあちゃんも大学を卒業した翌年の春に亡くなった。
アラフォー同世代は、Wケア(育児と介護)が悩ましいという話題も聞くが、両親自体は若いので、介護もなく、孫守りに専念できるパワーはじめ、諸々恵まれていたことが、あって、今ここの私がある。

今日は、母方の祖父の命日だ。小学校6年生のときに亡くなった。

でも、小学校低学年の頃には、すでに、「何年生になったかね?」(九州弁)を繰り返して聞く症状があったし、毎年帰省するたびに、どんどん弱弱しくなって、寝たきりで過ごすようにもなっていた。そんな祖父を、祖母は、まさしく老々介護状態ながらも懸命に介護していた様子が、幼い記憶に刻まれている。

高齢化社会の問題を、文字の前に感じた。


未就学の頃、まだ、元気に散歩するのが日課だった姿もうっすらと記憶にあるが、後に祖母に語ってもらったのは、散歩といって出掛けたまま行方がわからなくなって、親族・近所の方総出で探し回ったという、ドラマティカルなアクシデントのリアルだった。一歩間違えれば、悲劇的な展開もあったかもしれないけど、運よく、そういう危機は潜り抜けて、祖父はだんだんと弱っていった。

散歩が日課だったから、祖母とお嫁さんとで、後をついて見守っていたこともあった話も最近聞くことができた。

私は父の転勤で、祖父母とは遠方で暮らしていたから、帰省の折の数日間しか生活を共にしていなかったけど、おばあちゃんが大好きで、べったりくっついていた。おばあちゃんから語られるおじいちゃん像しか知らないけども、たしかにルーツを自覚する。

戦争体験もある祖父母の話も印象に残る。

お風呂屋さんだった記憶もたしかにある。

日々親子の時間が限られる毎日で、今日は、久々にママだけが送る登園日。

雨のせいで自転車がぬれていたので、朝は晴れたけど、両手を二歳と四歳とつなぎながら、歩く短い道のりにあふれる幸福感。


おおいおじいちゃんよう。おかげさまで元気だよう~って伝えたいな、と、見守られているような気がして。ただの登園道だって冒険になる。

たくさんの写真を撮っているけども、心のシャッターでしか残せない風景もある。それが一番いい構図だし、その方が多い気がする。残すことにこだわらなくてもいい。感じることに敵うものはない。

4連日遠出イベントの合間のつかの間のゆったりか、送り出した後に巻き起こる問い合わせ旋風。立て込みすぎて、コントロールが真剣に必要なうれしい悲鳴。。。

私はがんばるよー。

なんて言ったら、健康のことばかり気にしてくれていたおばあちゃんの、「無理せんこつよ」(九州弁)が聞こえてきそうだ。

私は長生きするバイ!!無理せんこつよ、の教えを遵守していく。

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