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誰が単独親権制を誤らせたか

単独親権制の問題を研究中です。

世間の追い風とあいまって、多くの方に関心もっていただき大変ありがたいです。

勉強のために読んでいる本の感想だったりするのですけどね。励みになります。

華麗にスルーしてもいいのに、「気になっている」リアクションが見えたりすると、もっと伝えなければ!とやる気が増えていきます。そのため、判例研究ネタもあっためているものの、中断して、読書感想文を続けます。

第2章 日本における親権・監護法制の問題点と課題 第2節実務から見た離婚後の子どもの共同監護 共同親権制度と関連して

鈴木経夫弁護士の解説です。

民事紛争の白黒つける仕事をする弁護士が、夫婦関係の離婚問題にとどまらず、親子の問題に介入することによって、子どもにとって迷惑なことになっている、という指摘の続きです。

本来子どもと親とは離婚後も長期にわたり関わりを持つので、それは財産関係のように一回限りの関係ではない。離婚と同時に子どもと親との関係を決めてしまわなければならないとの必然性には乏しい。暫定的には子どもの監護者を決めなければならないかも知れないが、それはあくまでも臨時的、一時的である。親権者の指定に問題があるケースでは、ある程度、離婚後時間をかけて、子どもとの関わりを調整し、その監護のあり方を決めるのが望ましい。そのようになれば、両親の冷静な共同関係を築くことも可能なケースも増えてこよう。その間に、面接交渉の試行や、さらには円満な親子関係の樹立について、第三者の手を借りることも容易になろう。現状の紛争性の高い離婚事件から見ると、共同で子育てに当たるというようなことは絵に描いた餅のように見えるかもしれない。しかし、それは日本の法制が離婚と親権者の指定とを同時に解決するのを原則としているところからもきているのである。共同親権というより、離婚後も父母の双方が、子の監護にできるだけ関わりを持てるようにとの法制度は、これまでの離婚訴訟の同時解決の要請を改める、つまり離婚後に時間をかけて親権者の問題を調整することを必要とする。現行の離婚とからんだ親権者、監護者の指定の方法は、すなわち、ともすれば激しく対立するなかでの指定は、子どもの立場を無視していると表現しても差し支えない。

単独親権制は、最終責任の所在を明確にする点が子の福祉に適うと語られる。その点、そうかもしれない。子の福祉に反する親権行使(他方親との断絶などもその例に含まれるだろう)が見られれば、ただちに、親権者変更、停止、喪失等によって、単独親権者の暴走を制御する運用が実現していれば、世界に誇れる理想的な単独親権制度になりえた。しかし、現実はそうはなっていない。

親権者変更事件を複数扱ってきたことがあるが、実は、珍しいとされる。

適切に離婚後親権問題を扱える法曹が不足しているのに、単独親権制(暴走制御機能含む)が正しく運用されるわけがない。結局、離婚時の一回的指定が固定化されることによる弊害が放置されているといえるのだ。この点についての脚注も鋭い。

弁護士をはじめ、関係者すべての願いが、1回ですべての問題を解決したいというところにあった。そのところは、考え方を改める必要もあろう。

離婚をゴールとするから、離婚後の子育て、子どもが成熟する年齢に達すること、その先の人生もあることを置き去りにしてしまっているのではないかという懸念を見事に指摘したものといえよう。未成熟子のいる離婚案件に携わるすべての支援者、とりわけ弁護士こそ、依頼者が父母の一方であるにもかかわらず、その両者の間にいる子が、両親の離婚というライフアクシデントに直面しながらも、傷を負うことなく、全うに成熟することを見届ける気概で引き受ける必要がある。子育て世代の離婚案件の解決は、子育てを担うことにほかならない。

弁護士の担う役目について、さらなる指針が示されている。

共同親権というより、離婚後も子の監護には共に関与していくというと、紛争性の高い事件、たとえばひどいDVのケース、児童虐待と関係するケース、さらには当事者の一方に性格的に著しい偏りのあるケースなど、そのようなケースを扱って苦労した経験のある人達は、当然のことながら大きな危惧を抱く。すなわち、「とんでもない話しだ、単独親権でもさんざん苦労したのに、共同親権となると他方の親から解放されるのはいつのことか、『共同』を盾として、さらに紛争が長引くだけだ」、という結論になりかねない。しかし、全体の離婚のケースからみて、そのようなケース、およそ話し合いの余地がないようなケースは、ほんの僅かである(弁護士の扱うケースのなかに、そのような紛争がかなりの比重を占めていることを否定はしないが)。それらについて、もっと毅然とした法的対応が望まれていることに反対するわけではない。また、親権の停止(一時的もしくは長い期間)や、必要な場合には親権の喪失子どもとの接触の禁止等の手段が、容易に採れるような法改正が、当然必要で、いわゆる共同親権制度にはそれらが必要不可欠となるであろう。

ほんの僅かのケースだからといって、軽視してよいことにはならないことは当然だ。法改正として、親権喪失よりハードルが低く用意された、親権停止制度は導入されている。問題は、適切かつ迅速に、当該事案を処理するスキルのある弁護士の養成だろう。親権停止手続きを扱うにあたって、金銭の流れがあるわけではないから、依頼者が貧困に窮している場合に、報酬の用意が難しいことを理由に弁護士に依頼できないということがないよう、また、だからといって弁護士が無償の労を強いられることもないよう、適切に対価が支払われる仕組みこそ必要になる。

DVや虐待ケースに対応できるよう、実のある議論と制度の構築は必要である。そうはいっても、原則と例外を混同してしまうと、そもそも議論が成立しなくなる。全体を見渡し、位置や方向を迷わない議論を歓迎したい。単独親権制を正しく運用することができなかった反省が必要だ。誰が、誤ってきたかがよくわかる。法曹改革は必要だったのだ。
決して、子育て当事者に責任を背負わせてはなるまい。

悲しいかな、現状は、子育て世代を都合よく分断し対立を煽り、足踏みをさせ続けてきた。共に何かしらの不調を訴えているのに、ループに落とし込んで、怠慢を続けている。

一方に肩入れることで、ますます放置が続いてしまった。それは、その一方にとっても不幸である。抜本的解決こそ急務である。

まだつづく。

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