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【アドラー心理学の理論】#08 全体論:私という個人が無意識や感情や心を「使っている」

4月12日(木)から早稲田大学エクステンションセンター中野校で「アドラー心理学入門」(全8回)が開講しました。この連載では、講座の内容を同時並行でお伝えしていこうと思います。講座に参加できない方にも、その雰囲気が伝わればいいなと思っています。

前回は、「無意識さんのせいですよ/全部私が決めました」というワークを紹介しました。「無意識のせい」でも「全部自分が決めた」でも、どちらも「かのように理解」にすぎません。どちらを採用してもいいのです。それこそあなた自身が選べばいいことなのです。どちらが自分にぴったりくるか、自分に役に立ちそうかということで決めていいのです。

アドラー心理学では、自分の一部分である無意識が決めたとするのではなく、自分全体が決めたと考えます。この自分全体のことを「個人 individual」と呼びます。アドラーは、感情、認知、行動を統合するものとして「個人」というものを設定しました。

感情、認知、行動はお互いに矛盾したり、葛藤したりするかもしれないけれども、最終的には個人というものが統制しているはずです。その意味でアドラー心理学では全体論という立場を採用するのです。

全体論は、自分全体は、無意識や感情や心から成り立っているとしても、それだけを取り出すことはできないと考えます。あくまでも全体として働いていると考えるのです。

全体論では、私全体としての「個人」が無意識、感情、心を「使っている」と考えます。これを「使用の心理学 Psychology of Use」と呼びます。それに対して、要素論では、無意識が自分を動かしたり、心が自分を動かしたりしていると考えます。つまり、自分が無意識や心に所有されているのです。これを「所有の心理学 Psychology of Possession」と呼びます。

全体論と要素論ではそれぞれに利点があります。要素論の利点は、私個人の責任を取らなくてよいことです。たとえば、「無意識や感情が自分を動かしている/所有している」と考えれば、私個人の責任ではないと主張することができます。私個人ではなく、私の無意識の責任だというわけです。

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