1-アドラー用ヘッダ

【アドラー心理学の理論】#06 全体論:フロイトの無意識対アドラーの個人という概念

月曜日はアドラー心理学のトピックで書いています。4月12日(木)から早稲田大学エクステンションセンター中野校で「アドラー心理学入門」(全8回)が開講しました。この連載では、講座の内容を同時並行でお伝えしていこうと思います。講座に参加できない方にも、その雰囲気が伝わればいいなと思っています。

今回は5つの基本前提の2つ目として、全体論について取り上げます。

最初に、あなた自身は何からなりたっているかを考えてみましょう。まず物理的な身体があります。そして、心あるいは精神があります。身体がなくなっても、心あるいは魂は残るという考え方はあるけれども、科学の範囲を超えますので、ここでは身体があって、その上で心があると考えましょう。

さて、身体と心だけで私ができているかというと、それだけではなく、私のまわりにいる人々、家族や友人や同僚がいます。そうした人々がいなければ私もまた成立しないでしょう。さらには私が住んでいる社会やその文化も私の一部を構成しています。違う国に長く住んでいると、自分の一部分は確実に変わる感じがします。私の一部として社会や文化が入り込んでいることの証拠です。

このように「私」は、大きく分けても、身体、心、社会文化から構成されています。そして、これはお互いに切り離すことのできないものです。私から身体だけを切り離すと、それは物質としての骨や筋肉や神経となります。

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