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韓国語の螺旋階段

絶賛のんびりモードのこぐまです。
ゆっくり過ごしていることの成果として手ごたえを感じているのは
体重の増加のみ。脇腹のぷよっが成長しています。

今日は韓国語を話すこと말하기についてのお話です。


冷静と情熱のあいだ

最近、韓国語を話すことへの熱が冷めていました。話したい気持ちは、いつでもあるんですが、機会がない。機会は作るものだけど相当パワーのある時じゃないとそれも無理。

話したい!という情熱と気力やお財布事情の冷静との間でこぐまの「話したい欲」は常に変化しています。

会話は主にカフェトークのレッスンに頼りきりですが、最近フリートークを
お願いしていた先生がレッスン料値上げをしたり、これから毎週お願いしようと思っていた先生が行方をくらましたり(事務局と連絡が取れないとの表記)もあって停滞していました。

個人的な意見ですが、フリートーク30分で1000円超えはちょっと厳しい。20分500円くらいが時間的にもお財布的にもありがたいです。

でも話さなければ簡単に話せなくなることは十分承知ですから3連休の間に新しい3人の先生にリクエスト入れました。

2人は予約が取れたものの1人の先生は
「その日は予定があってレッスンできません」とキャンセル。

その時間受付してたからリクエストしたのに~ちゃんとスケジュール管理お願いしますよ~ってこと何度かあるんですが、韓国人の先生あるあるでしょうか。

話したかったんじゃ~!

さて、はじめての先生と久しぶりのトーク。朝8時からということで充実した1日のスタートになりそうじゃな~い! なんて思っていたのですが。

はじまってすぐに暗雲が立ち込めました。
ひとこと話すごとに、ちょっと直してくれるんです。「間違ってはいませんが……」と。

直されると思うと、正しく言わなきゃとか考えて「フリートーク」の楽しさも消え戦意喪失……。口数が少なくなる私とは対照的に、先生は韓国のお正月のこと、最近のニュースのこと、楽しそうにおしゃべりされてました。

韓国語を聞くだけならラジオやYouTubeでいくらでもできる。

わたしは話したかったんじゃ~!

と思いながらひたすら先生の話を聞く苦しい25分を終え「韓国語お上手だからこんな話までできて楽しかった」とのお言葉をいただきました……。

先生、わたし……ほとんど話してません……。

レッスンに求めること

みなさんがフリートークレッスンに求めることってなんですか?

わたしは「話せるって楽しい!」という感覚です。

もちろん正しい表現、ネイティブっぽい言い回しもできるようになりたい、きれいな発音も身につけたい。でもその前に多少間違っていても少し発音悪くても「楽しかった」「思ったより話せる」のわくわくは「もっと話したい」への大きな力になるから。

表現や発音については別途直してもらう前提で臨む矯正レッスンでお願いしています。

いままでたくさんの先生のレッスンを受けてきたので、このダメージを「あぁ……早くほかの誰かと韓国語話したい」という気持ちに変換できていますが、これがもし初心者の方だったら……。

「よしっ! そろそろネイティブと話してみるぞ!」
と意気込んで申し込んだレッスンで、一言一言直されて聞くだけで終わってしまったら……それこそ「会話恐怖症」になってしまうかも。

講師の存在ってやはり大きいんだなって思いました。
生徒さんが踏み出した1歩を「楽しい」に変えることも「無理だ」に変えることもできてしまう。

おススメの先生を聞かれることがあるんですが、こればっかりはわからない。その人が何を求めているかによって違うし、みんながおススメしててランキングに入っている先生も自分には合わないこともありますから。

自分に合った先生を見つけることも、またひとつの楽しみにできたらいいかもしれません。

韓国語を話すということ

わたし自身、教科書のみの勉強で10年以上やってきましたから、話すことには抵抗がありました。外国語を口にする恥ずかしさとか、正しい文章を頭で作ってからでないと口に出してはいけないこだわり?とか、間違ったら恥ずかしいとか……。

2019年から話すことをはじめて、全然話せなくてホントに涙が出たこともあるし、ちょっと話せるじゃんっていい気になったら勘違いだったってこともあります。いまだって「流暢」とはとてもとても言えるレベルではありません。

でもひとつ……いや、ふたつ言えることは……

話さなくては始まらない!
1度の失敗でくじけるな!

です。

どんなに頑張って勉強してインプットしても、口を開かなければ「話せる」ようにはなりません。1度の失敗で「わたしは話せない」と決めてしまってはもったいない。せっかく頑張って言語学習をしているんだもの「通じる」という最大の楽しみ、味わわなければ損です。

螺旋階段をのぼるように

以前にもどこかで書きましたが、韓国語の実力向上は踊り場の広い先の見えない螺旋階段のようだって感じています。

ぐるぐるぐる回って「ちょっと上達したかも」ってひと息つける踊り場に到着!と思ったら、その踊り場が広すぎて変化を感じない時期が来る。

でも少しずつ少しずつ上にいけば、またワンフロアあがったんだって思える踊り場につく…みたいな。

わたし自身まだまだこの螺旋階段の先がどこなのかもわからないし、先に何があるのか、自分がどこに向かっているのか、間違えて階段を下りようとしているのかもわかりません。

でも話す楽しさを知っているのは、話せなくて苦しい時があったから。
だからまた、失敗しながら、話せない自分に情けなくなりながら話したい気持ちを捨てずにいきます。

そんなわけで25分の苦しいレッスンも無駄ではなかった。こうしてブログを書くネタになったし、また話してやるぞ~!っていう気持ちをくれたから。
(と自分に言い聞かせ中)

以上、こぐまでした。





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