ものが壊れるとき
「モノが壊れるとき。それはその人の身代わりになって、守ってくれるらしいよ」
この言葉は、母がまだ結婚する直前のこと、成人祝いに祖母からもらった高い時計を落としてしまったときに、ある人から教えてもらったことだそう。
2021年になってからというものの、幾度も激しく体調を崩したり、さらにはたくさんの電子機器たちを落としたり壊したりした。
その度にかなりこころが振り回されたんだけど…最終的にはPCまで壊してしまって、もはやめちゃくちゃ笑ったりした。笑
とにかくどうしてもこのループから抜け出したかった。
とりあえず壊れるということは、不必要なものが増えているのかもしれないとふと思い、身の回りのものを、下宿3年目でたまりにたまった服や書類やら化粧品やら、無心でかたっぱしからゴミ袋に詰めた。粗大ゴミ?と思うようなものも含めて6袋分くらい。
身に纏っていた重たかったものが、抜け落ちたようにとても心が軽くなった。厄除けに行くことも決めた。
大学受験を控えている妹の合格祈願も含め、離れて暮らす母と北野天満宮を訪れ御祈祷を受けた。そのとき母がわたしに携えてくれた言葉。
「モノが壊れるとき。それはその人の身代わりになって、守ってくれるらしいよ」
腑に落ちた。すっと入ってきた言葉。
身体も心も壊したりしたけれど、幸いにも流行りの疫病にはおそらく感染してないし、自己にあったり身内が亡くなるようなこともなかった。
今まで壊してしまったものたち、身代わりになってくれてありがとう。そんな母もいまではわたしのお守りみたいな存在だけど、ずっと好きになれなかった話はまたどこかで。
母がだれかから受け取った言葉は巡りに巡ってわたしにやってきた。出逢うべくして出逢うことばたちなのですね、と思いましたと。
なぜか今年のおみくじは大吉しか引けないのも、きっとわたしを守ってくれているのね。
母を見送る前に、お気に入りのお洒落な発酵野菜の居酒屋でたくさん食べた。とても満たされた気持ちになったけれど、胃がはち切れそうになり、気持ち悪くなっているのも、きっと最後の厄落とし。
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