ボルシチ


ボルシチ。ロシア語でБорщ、ウクライナ語でборщ。Б(ベー)はб(ベー)の大文字というだけですから、要するに綴りは同じ。発音も同じです。「ボールシシ」に近い発音です。ロシア語もウクライナ語もアクセントが強いところが長く発音されるのです。

ここに載せたのは我が家の相方特製ですが、ちゃんとビーツを使って赤色を出し、スメタナ(サワークリーム)を載せた本格的なものです。以前はクリスマスイブの夜に毎年作る習慣がありましたが、今ではもう私も相方も歳ですから、なかなかボールシシを食べるのも面倒になってしまいました。これは「少量作る」というのは難しいものです。

ボールシシについては忘れ難い思い出があります。医学部を卒業し、医師国家試験を終えた私は、仙台からYS-11で新潟に行き、そこからアエロフロート便でハバーロフスクに飛びました。国家試験の自己採点は散々で、私は「ああ、俺はもうダメだ。いっそレニングラード(当時)音楽院に行ってあの大ホールでレニングラードフィルの演奏を聴いたら北海に身投げしよう」と思ったのです(マジです)。当時ソビエト時代はウラジオストク(Владивосток,ヴラヂヴァストーク)には外国人は入れませんでしたから、ハバーロフスクが東の玄関でした。そこで一泊し、アムール側を見てからシベリア鉄道の特急ロシア号に乗ったのです。ハバーロフスクからマスクヴァまでは6泊7日ですが、途中バイカル湖畔のイルクーツクで2泊しました。

このシベリア鉄道の道中で忘れ難い思い出はいくつもあるのですが、その一つが車内の食事です。無論、レストランカーがあります。席に着くと、やおらボーイが分厚いメニューを持ってきます。ものすごく分厚いのです。ロシア語と英語で表記されていました。それで私はその分厚いメニューを眺めて、「これとこれをください」と言いました。そうしたらボーイの答えが「ニェーイェスチ」、ありませんです。じゃあこれをください・・・答えは同じ「ニェーイェスチ」。要するにメニューは分厚いけど、どの料理もないんです。

私は諦めて「シトー・イェスチ?」、何があるの?と訊きました。そうしたら実際にあるものはボールシシと黒パンだけだったのです。他は全てニェーイェスチ。

ロシア号の食堂車で出てきたボールシシはこんな色々具が入ったものではありませんでした。どういうわけか、牛肉は入っていました。それとじゃがいも。毎日毎日朝昼晩、食堂車で出て来るのはもうこれだけなんです。ある時たまりかねて「ヤー・ハチュー・オーヴァシシ」(野菜が食べたい!)と叫んだらなんとボーイが「ダー・イェスチ」(はい、ありますよ)、と答えたではありませんか。期待に胸を弾ませた私に運ばれてきたのは、ご飯。ロシアで米(リース)は野菜だというのは、確か以前書いたような気がします。

でも実は食堂車にはボールシシと黒パンしかなくても、食べ物にはあまり困りませんでした。途中停まる駅ごとにおばちゃんたちがペリメーニ(ロシア風水餃子)やピローグ(愛称はピローシキ)を売り歩いていたからです。ついでにヴォートゥカも。

ソビエトがロシアになり、ボールシシすら「ロシア料理だ」、「いや本家はウクライナだ」と争いに巻き込まれてしまいましたが、1日も早くмир(ミール)、平和が訪れて欲しいものです。

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