創始者と後継者

「唯才是挙」は、知る人は知っているだろうが、魏の曹操の言葉だ。意味は「登用するのに才能さえあれば良い。人柄はどうでも良い」ということだが、曹操は自分が統治者として極めて優秀だったので、部下の人柄は見抜いていた。見抜ける自信があったからこう言ったのだ。こいつはきちんと評価すればついてくるか、いつかは裏切るか、彼は見抜けた。


曹操は魏王として事実上滅びゆく漢の実験を握ったが、在世中に漢を滅ぼして自分の王朝を立てようとはしなかった。曹操が没すると、息子の曹丕が後を継ぎ、彼は早漢の皇帝から「禅定」と言う形で皇帝位を奪い、ここに新しい帝国魏が正式にスタートした。曹丕は無能ではなかったが、猜疑心が強かった。元々曹操の嫡子ではなく、本来後継になるべきだった上の息子が次々死んだため、嫡出子の扱いを受けたこともあり、兄弟への警戒心が異常に強かった。


曹丕の弟に曹植がおり、彼も有能だった。曹丕は曹植の有能を警戒し、殺してしまおうと思った。ある時些細なことから難癖をつけ、「七歩歩くうちに詩を作れなければ殺す」と言い放った。曹植は直ちに七歩歩き、


煮豆燃豆萁
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

と読んだ。

豆殻で豆を煮る。豆は釜の中にあって泣く。元これ同根、なんぞあい煮ること甚だ急なる。


元々同じ親から生まれた兄弟なのに、あなたは私を責める。なぜこうも苛烈にいじめるのか、と言う意味だ。


これを聞いてその場で泣かない者はなく、曹丕も立ち上がって曹植に詫びたという。

だが結局、曹の魏王朝は長続きしなかった。事実上の創設者である曹操は傑出していたが、その後継者たちはお互いに疑心暗鬼に陥って団結できなかった。結局魏は実力者司馬氏に奪われてしまい、魏は数十年で滅びた。

同じ経営者と言っても、初代創成者と後継者では求められる資質が違うと言うことなのだろう。

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