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庭の木陰から

収穫が終わって、あとは落葉を待つだけのブドウの葉に、茶色の立派な芋虫を見つけた。
スズメガの一種、コズズメの幼虫らしい。
一番前に付いているお手々で葉を支えて、むしゃむしゃと食べ続けている。
顎が疲れるのか、時々休憩をはさむ。

このコスズメ、食事のお行儀が良く、1枚の葉をすっかり食べ終わるまでは、次の葉に手を出さない。
今も、残り少ない葉を、身体を折り曲げながらせっせと食べている。
葉が残りわずかになると、隠れるものがなくなって、敵から丸見えだろうに、どうして1枚を食べきることにこだわっているのだろう。

昨日いたはずの、もう一匹が見当たらない。
そういえば、食べ途中になっている葉があるし、他の虫の餌食になったのかもしれない。
お行儀や美意識よりも、生きてることが大事じゃないの?
美しく生きることなんてどうでもいいから、身を隠せるように、次々に葉を変えればいいのに。

そんなのは私の勝手な見方で、この方法にはきっと、メリットのほうが大きいのだろう。

移動が苦手だとか、動くと敵に見つかりやすくなるから、出来るだけその場に留まっているとか。
この方法でコスズメは絶滅しないのだから、心配はいらない。
全ては私の心が創り出す、おセンチな物語だ。


芋虫と言えば、ずっと前に庭の花を摘んで家に入った時、一緒に小さな青虫が花に付いてきたことがあった。
ふと目を離した隙に見失って、どこに行ったのかわからなくなっていた。
次の日、青虫は台所のバナナのところで見つかった。
青虫は、美しかった透き通るような緑色の身体が、一部黄色に変色し、弱りながらも、バナナの皮を食べようとしていた。
外にいれば、いくらでも食べ物はある。
けれど、家の中に閉じ込められた青虫には、食べるものが見つけられない。
そこで、必死の思いでバナナに辿り着き、普段食べ慣れないものを食べてでも、生きようとしていたのだ。

青虫が「生きる」の一択だったことになんだか感動して、私は泣きそうになりながら、黄色くなった青虫を外に逃がした。


心が弱っている時、昆虫を見て元気になることがある。
犬よりも猫よりも、鳥よりもさらに、生きることにシンプルな彼ら。
できるだけ敵から逃げて、食べる、産む、残す。
「かわいい」なんて、彼らには必要ないのだ。
夏に爆発的に命を燃やしたら、寒くなる頃には、未来への種を残し、ひっそりと消えてゆく。


むしゃり、むしゃり、むしゃり。
規則的に、集中して食べ続ける。
気持ちいい食べっぷりだ。
コスズメの食べる勢いがすごくて、この文章を書き終えるよりも早く、葉を食べ終わってしまった。

次の葉へ。
なるほど、彼等は葉の先まで行って食べ尽くしたあと、Uターンするのがとても大変らしい。
吸盤のように枝に張り付けていた足を、一旦浮かせて折り返す時、落下する危険があるようだ。
地面に落ちたら、多分最後。
地上には空中の何倍もの敵がいる。

慎重に、ゆっくりと次の葉へ向かう。
きれいに食べ尽くしてから次に行くのは、この作業を最低限にする為なのだ。
私は自分が見たいように、この世界をちょっぴりおセンチなものにしている。
そのほうが、なんだかロマンチックだからだろうか。


今はゆっくりとしか動けないこの芋虫は、自分が将来、自由に空を飛べることを、知っているのだろうか。

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